普遍性を持つた体験
ここに抄出したような体験は、別に珍しいものではないですね。イスラム教徒はこうした内的な光を称して「イルミネーション」と呼んでいるそうです。東洋の禅僧はもちろん、キリスト教徒も、長期療養中の患者も、こうした光の横溢に遭遇することが多々ある。
となると、これは解釈可能な現象で、私の理解するところは次のようなものです。
――人間の意識は二重の構造をしている。
普段、われわれが自覚している意識を第一次意識とするなら、これはエネルギー体である人間が自分のエネルギーの状態を知るための計器にほかなりません。
エネルギーが順調に流れ出ているときには明るい気持ちになるし、そうでないときは意識は暗くなる。われわれは意識という計器板を見ながら行動し、エネルギーの出し入れをしているのですよ。
一方、宇宙もエネルギー体です。いや、「総エネルギー」と呼ぶべきものがあって、時間も空間も宇宙も、この総エネルギーが自己展開する過程で生み出されたものです。人間はこの総エネルギーの端末ですね。
総エネルギーの端末である人間は、総エネルギーの状態を表示する計器をも持っている。これが第二次意識です。個人の一次意識がデッドロックに乗り上げると、第二次意識が姿を現して、硬化した自我意識を溶かし解消してくれる。「解脱」と呼ばれる現象がこれですね。
総エネルギーへの信頼
老子はこの総エネルギーを「道」(タオ)と呼んでいます。人間はどうすれば幸福になれるか。「道」の説くところでは、エネルギーをシフトアップするのではなく、シフトダウンして生きよということですよ。高所ではなく、低所で生きよというのです。
これを敗北主義とか、無能な人間の負け惜しみとか言うのはたやすい。でも、一度、「老子」を開いて読んでみましょう。私は光体験の後でいろいろ本を読んでみたのですが、自分の体験をもっとも正しく説明してくれるのは「老子」だと感じています。いま、現代人に必要なことは、タオの観点から自身を、世界を見ることではないでしょうか。
続く