3万円生活の終わり

一年後に家内と娘が畑の家に合流した。そして、これで3万円生活は終わりを告げたのだった。簡素な生活を成り立たせるものは、エネルギーを定常的に流れ出させるように仕組まれた生活システムなのである。どんな金持ちでも、仕事が順調に運び、毎日が充実していたら、金などを使っている暇はない。

反対に毎日が空疎で、何をしてよいかわからず、エネルギーの余剰を持て余しているなら、そのはけ口として浪費に喜びを見出すことになる。亭主が脇目もふらずにせっせと稼ぎ、暇な女房がどんどん贅沢をする。これは互いに至極理にかなった行動なのだ。

私が独居自炊の間にほとんど金を使わなかったのも、毎日、為すべき仕事が敷石を並べたように続いていたからだった。朝目覚めた私を、畑の管理、炊事を含む家事、それに退職を機に着手しようとしていた勉強が待っていた。だが、家内と娘に家事をまかせ、農作業も家内が半分を担当するようになると、緊張感がゆるんで万事にイージーになった。時間的な余裕が出てきたのだから、「勉強」に精出せばいいのに、その方がストップしてしまったのだ。

私が退職してから勉強しようと思ったこと……

それは、森鴎外と夏目漱石の比較、特にその心性を比較することだった。
日本人は一般に若い頃漱石を愛し、暫くすると興味は鴎外に移り、最後には又漱石に戻ってくると言われている。私も、ほぼ同じようなコースを辿って、退職前には、一度は捨てた漱石を読み返していたのである。

戦後暫くの間、東大生の愛読書第一位は漱石の「心」だった。
私も学生時代には漱石を読んでいたが、ある時から、「心」など、深刻めかした外見とは裏腹に内実は意外に手薄だと感じるようになったのだ。

鴎外は違っている。鴎外には思い詰めたような深刻さはなく、何時も余裕を持って現世を見下ろしているように見えた。しかし私は20代の末に、鴎外が浮かべている微笑は、瀕死の重病人が自分の苦しみを人に告げても分かりはしないと考えて「苦しくはない」と微笑してみせるようなものではないかと、思ったのだ。
中野重治曰「鴎外は作家として源実朝以来最高の官位に登った」

鴎外は生きることを業苦と感じるような性の人だった。その苦痛を救う「鬱散」の手段として職務に精励し、夥しい原稿も書いたのである。鴎外の内面をかいま見たと思ったときから、私は「鴎外全集」を手放せなくなり、明け暮れその厖大な作品に親しんできたのだった。

50代に入ってから漱石に対する愛情が蘇ってきた。彼は、とにかく一生懸命に生きた人だった。その愚直なまでの努力、その「全力性」に対しては、理屈抜きの敬意を払わざるを得なくなったのである。

鴎外と漱石、この二人の精神の巨人はある面で共通し、他の面で対立しているように私には思えた。それをはっきりさせたい。これが当時の私が取り組もうとしたテーマだった。独居の期間中、二人についてのメモを一山作り、いずれは本に仕立て上げたいと思っていたが、それが時間的な余裕ができたためにかえって頓挫してしまったのだ。

(漱石・中野重治などに興味をお持ちの方は、下記のHPに飛んでください。
    http://www.mitene.or.jp/~takalin/

豊富な資料が提供されています)
  続く