自分にとって可能な最低生活

自分には最低の生活をする能力があるか)
(極貧の生活を味わってみよう)
ということで、一念発起して最低生活にチャレンジしたのは10年前のことでした。結局それは、一年限りのお遊びに終わってしまいましたが、その委細を紹介してみましょう。

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定年退職の日が来たとき、私は家内に頼んで電気バリカンで頭を丸坊主にしてもらって畑の中の住居に移った。そして家内と娘を旧居に残し、無人のまま放置してあった家で独居自炊の生活を始めたのだった。退職して年金以外に収入がなくなった身で、二重生活をすることの無謀は重々承知していた。だが、一人になって「労働と思索」の生活を始たいという長年の夢は、60になってもまだ捨てきれなかったのである。
故柳沢宏の作品
「労働と思索」の生活を描いた文学作品には、森鴎外の訳した「冬の王」がある。学生時代に、今は亡い柳沢宏と、自分たちも、そのうちに冬の王になろうと話し合ったことがあり、それがずっと私の心に残っていたのだ。

 家内には年金の全額を渡し、私自身は、退職時に手にした少額の積立預金通帳だけを手にして「新生活」に乗り出したのである。近所のみなさんは、退職後、私の姿が見えなくなったことを訝り、「どうも、離婚したらしい」と噂していたそうである。

畑の中の別宅に移った私は、翌日から早速畑に出た。そして耕耘機を動かして起耕を始めた。畑を掘り起こしたら、そのあと、三本鍬で畝立てをして堆肥を埋め込む。最初に作付けするのはジャガイモで、買ってきた種芋を二つ割りにして断面に灰をまぶし、土の中に埋め込むのだ。2、3時間働いたら家に入って休息する。

休息時間が長くなるのは、書庫に入って本を読み始めたときで、そのまま昼過ぎまで本を読んでいることもある。

働いては休み、又、働いては休んでいるうちに一日が終わる。素人百姓だから、どうしても休んでいる時間の方が長くなる。休憩時間を利用して、家のあちこちに棚をとりつけたり、呼び鈴や表札をつけたりする。一軒の家で、毎日暮らすということになれば、いろいろ手を加えなければならぬところが出てくる。こうした大工仕事で、一日が終わってしまうこともある。

畑で働いたり、家に入って雑用を処理したり、その合間に本を呼んだり、ステレオを聴いたり、こんな調子で毎日が過ぎていった。

続く