無政府主義への道 新聞を読んでいたら、次に掲げるような記事が載っていた。
途上国援助に「不熱心」な点で、日本は先進国中の最下位に置かれている。
援助額では2位なのに日本が最下位にランク付けされたのは、その援助がひも付き援助だったり、PKOの貢献度が足りなかったりするためで、つまり日本は金は出すけれども、その後のケアが足りないためなのだ。私が注意を引かれたのは、日本とは反対に、「熱心度」第一位にオランダの名前が出ていることだった。かなり前に東ちづるという美人女優がオランダに出かけて、オランダ紹介の番組を作ったのをTVで見て、この国に関心を持つようになっていたのである。
東ちづるがオランダに出かけた契機は、オランダ人と結婚した日本人女性が安楽死を選択したという「事件」を取材するためだった。その女性は既になくなっていたから、取材は残された夫と二人の子供からの聞き取りという形で行われていた。夫はその聞き取りの途中で、涙を隠すために数回席を立って別室に逃れていた。
オランダでは安楽死が公認されているから、日本から出かけていって、こうして大ぴらに取材できるのだ。問題の女性は不治のガンにかかって楽死を選択したのだが、死を間近に控えた彼女がノートに書き残した文章が今も記憶に残っている。「あと一時間で、お別れです・・・・」という文章である。
戦後、外地で処刑されたB級戦犯の遺書を読んだことがある。
処刑台に引き出される直前に彼は、「今呼び出しが来た。全身がかーっとする。酒を飲んだときのように」と書いている。痛ましさという点では同じだが、自ら死を選んだ人間の遺書には戦犯の遺書とは違った沈痛な響きがある。東ちづるは、オランダで見学したホスピス事情についても、レポートしていた。この国では、回復の見込みのないガン患者を一般の民家を借り上げて収容し、ボランティアの主婦が家庭的な空気の中で看護している。これも日本などでは想像もできないような光景であった。
この国では、安楽死が法律によって公認されているだけではない。
同性愛者同士の結婚が認められ、売春も公認されている。さらにマリファナまで専門の店で公然と販売されているのだ。
東ちづるは、なぜオランダではこれらに対する法の規制を解いたのか、その背景を探っている。売春や麻薬が公認されているのは、法律で禁止すればこれらが黒い暴力組織の資金源になるからだ。闇の組織の介入を防ぐには、これらを白日下に置いて万人の目が届くようにした方がいいのである。
安楽死・同性結婚・売春・麻薬と並べてくると、当事者にとって切実な願いであっても、放任すれば濫用の危険があるという理由で多くの国では禁じられている問題ばかりだ。
オランダなどの成熟した国家では、こういう問題に対して思い切って規制を緩和している。そして、このような国は、途上国援助でも世界の範となるような実績を上げている。冒頭のランク付けで、二位につけているのは同じ成熟国家デンマークである。
民主主義が成熟した国家では、思想・信条の自由を保障するレベルから更に一歩進めて、個人の嗜好や嗜癖の自由まで保障するようになって来ている。ところが、わが国では残念ながらいまだに思想・信条の自由さえ十分に保障されていない。
最近の新聞を見ると、小学校6年生の成績評価項目に「愛国心」をあげている学校が11府県172校もある。これは全くお笑いぐさというべきで、一体どうやって小学生の「愛国心」を判定する積もりだろう。ワールド・サッカー見学中、日本チームを応援する声が大きいか小さいかで判定する積もりなのだろうか。
現代では、無政府主義は最早過去の遺物とされている。
反権力・無支配を掲げる無政府主義は、政治機構が複雑化している現代では、実現の見込みがないというのだ。しかし、オランダの例で見るように、歴史の大きな流れが反権力・無支配の方向に向かっていることは疑いないところではないか。個人の自主性・自律性が強くなればなるほど、市民の私生活を規制する法律は廃棄されて、権力は骨抜きにされていく。数百年後には、国家はコンピューターで制御される自動統治装置のようなものになる可能性が高いのである。
例えば、企業間の取引・決済のすべてが国の管理する中央コンピューターに記録されるようになれば、企業も会社員も税金を誤魔化すことが不可能になる。金の流れが明確になれば、適切な経済政策が立案されて、景気をコントロールすることも容易になる。
一昔前までは、無政府主義者は官憲の弾圧に抗して「直接行動」に訴えた。
「直接行動」とはテロを意味する。だが、もはや反権力無支配の社会を実現するのにテロの必要はない。人権が尊重される社会を作っていけば、権力的な政府は自然に自壊していくのである。「急がば、回れ」という教訓は、ここでも生きている。