「御令息」首相の失態
鳩山由紀夫が首相に就任したときに、私は当ブログで彼が組閣する内閣の前途を危ぶんでいる。鳩山首相が、人間タイプとして安倍晋三元首相によく似ているからだった。
安倍晋三は首相になったとき、明確な政策を持っていなかった。彼は戦後体制を改めて、戦前の「美しい日本」に戻す、そのために憲法改正を断行するというだけで、「美しい日本」を再構築するために何をどうするのか、具体的な方策を持っていなかったのだ。鳩山由紀夫も同じだった。祖父ゆずりの「友愛」をスローガンに掲げながら、そのために何をどういう順序で具体化して行くかというプランを、全くといっていいほど持ち合わせていなかった。
二人とも、口当たりのいいスローガンを連呼し、それに自ら酔っているだけだったのである。
安部・鳩山の共通点は、まだある。
この両名の夫人は、どうしたことか熱狂的な韓流映画のファンで、安部夫妻のごときはそれが高じて統一協会の信者になったと疑われるまでになっている。鳩山夫人が韓流映画の男優を首相官邸に何度も招待したり、舞台に駆け上がって花束を手渡したりしたことは世間周知の話柄になっている。
安部夫妻・鳩山夫妻は公務で外国と往復するようなとき、これ見よがしに手を繋いで飛行機に乗り込んだり、降りてきたりする。これは恐らく夫人の提案によるパフォーマンスに違いない。いくらなんでも、亭主の方から言い出して手繋ぎを提案したとは思えないからだ。確かに、夫婦仲の良いことは結構ではあるが、だからといって、幼稚園児のようにお手々繋いでいるところを見せつけられては閉口するのである。
――さて、安部・鳩山が自前の具体策を持ち合わせていないということになれば、配下の奮闘に依存するしかなくなる。安倍晋三の周辺には、先物買いで彼を担ぐ議員が多数集まってきて互いに忠勤を争っていたから、これを目にして安部は彼らに実務を任せ自分は大所高所からそれを見守っていればよいと考えたらしいのだ(先物買いの議員のなかには、記者たちの前で安部賛美の替え歌を歌ってみせる議員まで現れて、国民の失笑を招いていた)。首相になった安部は、これらの議員を閣僚に据えたために、安倍内閣は「お友達」内閣だと呼ばれるようになった。が、安倍内閣は、これらのお友達の自殺や、彼らの引き起こしたスキャンダルによって行き詰まり、急速に国民の支持を失って行ったのである。
鳩山由紀夫の周辺には、それほど多くの議員が集まったわけではない。股肱になって動く配下は少なかったが、彼はその少数の議員に政治資金などを提供して手厚い援助を与えている(最も多額な資金援助を受けた議員の一人が平野博文だった。平野は執事のように、まめまめしく鳩山に仕えたから、首相は彼を引き抜いて官房長官にしている)。官房長官になった平野が鳩山首相の足をひっぱっている点は、安部の場合と変わりがない。
私が平野長官を信用しない理由は、記者会見場に出てきた彼が、わざとらしい態度で背後に飾ってある国旗に一礼するからだ。彼は、こうすることで国を愛している人間だと国民に自分を売り込もうとしているのである。これは些細なことのように思うかも知れないけれど、国会議員によるこの種の猿芝居がファシズム国家への道を開くのである。
鳩山由紀夫は、平野を普天間基地移設に関する委員会の長にして、彼に問題の処理をまかせたから失敗してしまったのだ。安倍晋三と鳩山由紀夫は、面倒な問題の処理を有能とはいえない配下に委せ、自分はのほほんと高みの見物を決め込んでいた点で似ている。こういうところは、トヨタ自動車の御曹司社長にもいえることで、クレーム問題の解決を人任せにしているうちに、米国で問題がボヤから大火事になり、自ら米国議会に出向いて弁明に当たらなければならなくなったのだった。
周りから御曹司だの、御令息だのと奉られている人物は、使用人や配下に命じて問題を処理することに慣れている。だが、世の中には、お坊ちゃんたちの威令の届かない世界があるし、自分よりもっと格上の人間だっている。安部、鳩山にとっては、米国大統領が格上の人間であり、トヨタの社長にとっては米国の消費社会が自分の威令の及ばない世界だったのである。
これらの前にでると、御曹司たちは、平伏して相手の要求を唯々諾々と呑むしかなくなる。安部は、イラク戦争やアフガニスタン問題などで米国大統領ブッシュの意のままに動き、ブッシュに約束したことを実現できないかも知れないと心配してノイローゼになり、結局、政権を投げ出している。
鳩山首相は、昨日、米軍基地を辺野古に移設するという協定を結び、それを共同声明として発表した。沖縄県民、社民党、更には日本国民全体の反対を無視して、米国大統領の要求を丸呑みしたのだ。
これまで使用人や配下を思うままに使ってきた鳩山が、米国大統領の前で正真正銘の下僕として行動しているのである。
戦後、米軍は占領下にある沖縄から、いいとこ取りで好きな場所を選んで軍事基地にしてきた。そして、沖縄を米軍の専用地のように勝手気ままに使ってきたのだ。日本はこれに抗議するどころか、思いやり予算と言う名目で米軍経費の7割を負担してやるという出血サービスをしている。日本がこれまでに米軍のために支払った金額は、5兆円〜10兆円に及んでいるというのだから、アメリカ軍が沖縄を手放す筈はない。軍隊をアメリカ国内に置いておくよりも、日本に駐屯させておいた方が安上がりになるとしたら、日本人が暴動でも起こさない限り米軍は沖縄に居座り続けるのである。
おまけに、航空機や艦船の整備も日本人にやらせた方が、ミスが少なく安上がりで済む。乱暴者の海兵隊員が犯罪を起こしても、その大半の犯人は日本の警察に引き渡されずに済むということになれば、米軍兵士にとってもこんな居心地のいいところはない。アメリカ兵による犯罪は、沖縄だけでこれまでに何と5千5百件もおきているのである。
これまで自民党政権は、アメリカが日本を属国扱いするのを許してきた。政権交代して民主党政権になったのだから、日本も少しは独立国並みに昇格するかと思ったら、鳩山首相は土壇場に来て変節し、米国に従属し続けるコースを選んでしまったのだ。
日本人は、こんな人物を首相にしたことを恥じねばならない。さらに我ら長野県人は、北沢防衛相を長野県から選出したことを恥としなければならないのである。
民主党のだらしない面々に比べて、社民党の福島党首の潔さには拍手を送りたい。これまで福島みずほは、ベビーフェースをした可愛い子ちゃんで、弁護士上がりにしては語彙の持ち合わせが少なく、やたらに、「キッチリ」という言葉を連発するなあと思っていた。彼女はいかにもアマチュア政治家らしかった。だが、政治のアマチュアだからこそ、出処進退が良識にかない、人の心を打つものになったのだ。