善に酬いるに中傷をもってす

             

イラクで人質になった日本人たちは、善をなすために現地にわたってゲリラに捕らえられたのだった。善をなそうとする者は、そのことで報酬を受けようなどとは考えず、多少の被害・損失を覚悟の上で行動するものである。

「赤頭巾ちゃん」という童話は、お婆さんの見舞いに行った少女がオオカミに食われてしまうという無惨な話だ。坂口安吾は、「この残酷な童話が語っている教訓は何か」と反問して、善をなす以上はオオカミに食われることを覚悟してやれということだと答えている。外務省の勧告をあえて無視してイラク入りした人質被害者たちの胸にあったのも、この覚悟だったに違いない。

今度の事件が世界に報じられたときに、多くの国々で日本人を見直すような空気が生まれた。日本人とは、エコノミック・アニマルに他ならず、自分の利益と安全しか頭にない内向きの国民と見られていたところに、このニュースが飛び込んできたのである。

ド・ゴール大統領は、フランスを訪問した池田首相を「トランジスターラジオのセールスマンがやってきた」と鼻であしらったものだが、そのフランスで、ル・モンド紙は「日本人にも、こうした善意の人間がいたのか」と今回の事件を報じ、アメリカの国務長官も危険を恐れない被害者たちの勇気を賞賛している。そういうときに、日本の政治家やマスコミは、競って人質被害者を非難し、これに悪罵と中傷を浴びせかけているのである。

ル・モンド紙フィリップ・ポンス記者による記事の抜粋

「空港に到着した三人(日本人人質被害者)の顔色は悪く、うつむいていた。PTSD(心的ストレス障害)は、おそらく、誘拐だけによるのではない。何度も何度も謝罪し、<全国民に迷惑をかけた>と言わされ、家族まで精神的に追い込まれたことで、大きなショックを受けたのだろう」

「日本人は、人道主義に駆り立てられた若者たちを誇るべきなのに、政府などは、彼らの無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている」

自民党の幹部や公明党幹事長は、被害者たちの「自己責任」を口にするだけでは気が済まず、彼らを解放するためにかかった費用を当人たちに負担させろとまで言っている。犯罪の被害者になった自国民を救うのは、その国の義務ではないか。国家はそのためにあるのだ。そんなことも念頭にない政治家がいるとは、しかもそれが政権党の領袖だったり、連立政党の幹事長だったりするとは、全く信じられないような話である。

政府は、人質を解放するためにあらゆる手を打ったかもしれない。
しかし、それらはすべて空振りに終わり、イスラム教の聖職者の仲介で人質は釈放されたのである。政府与党の政治家たちは、その成果を横取りにして、恩着せがましい物言いをするのは控えるべきだ。それがイラク聖職者協会に対すれ礼儀というものである。

 

               
今も、私の傍らのTV番組は(「ザ・ワイド」という番組)、最初に放映された人質の映像はおかしい、作為的に作られたものではないかと強調する番組を流している。司会者をはじめコメンテーターの諸氏は、まるで3人の人質がこのインチキ場面のでっち上げに協力していると言わんばかりの口ぶりなのだ。こうした暴論にブレーキをかけているのは、出席者中、僅かに市川森一だけなのである。

人質が撮影に協力したとしても、銃や刀を手にした屈強な男たちに包囲されていたのだから、それは脅迫されてしたやむを得ない行為なのだ。それをしも、責めるとしたら、この番組制作者たちの頭はどうかしているのである。

こうした「善に酬いるに中傷をもってする」ようなTV番組は、ザ・ワイドだけではない。愚劣な点では、週刊誌も負けてはいない。人質の一人は女だてらに中学生の頃からタバコを吸っていた、もう一人の母親は共産党員で、別の一人は離婚していると、鬼の首でも取ったように書き立てる。

戦後の日本は、63制社会といえるだろう。国民をおおざっぱに分類すると、大勢順応型の多数派が6割、大勢に順応しない少数派が3割、いずれにも属しない特異グループが1割という割合になっている。多数派イコール保守派、少数派イコールリベラル派と言い換えてもいい。野球にたとえれば、巨人ファンに相当するのが多数派、阪神ファンは少数派、ロッテファンや近鉄ファンは特異グループと言うことになる。

戦争の記憶が消えないうちは、保守的な多数派も、革新的でリベラルな少数派に一目置いていた。社会党は自民党の半分の議席しか持っていなかったが、政府与党は要所要所で社会党の政策を借用して、あまり一方に偏することはなかった。

しかし今や多数派は衆を頼んで、少数派を押さえ込み、目障りな特異グループの排除に乗り出している。東京都知事は、ハト派美濃部亮吉から、タカ派の石原慎太郎に変わった。そして石原都知事は、中国・韓国・北朝鮮への侮蔑的態度を見せつけることで一部都民の人気を博している。

何時かTVを見ていたら、三宅という政治評論家が「あんなものは屁みたいなもんですよ」と国連を蔑視する発言を繰り返していた。ブッシュが国連決議を無視してイラク攻撃に乗り出した頃だった。こういう放言を国民が面白がって笑っているうちはいいのだ。戦前の日本人も、国家主義者たちの放言を面白がっているうちに、彼らの発言は国民に対する恫喝に変わり、さらに脅迫に変わって、日本を戦争に追い込んでいったのである。

             

異端を排除し、少数派を押さえ込んで、多数派が暴走すれば、その国はやがて自滅するしかない。多数派を暴走させないのが、言論機関の使命なのに、わが国では多数派に媚び政府与党の尻馬に乗る言論人が増えてきている。そのことに、空恐ろしさを感じる。

イラクから帰国した人質被害者は、カメラの砲列の前で顔を伏せ、まるで罪ある者のようにしていた。彼らはイラクで人質になり、日本に帰って今度は心ないマスコミの虜囚になった。彼らは二度人質になったのである。最初はイラクの勝手連的ゲリラの人質、二度目は日本の権力追随的マスコミの人質に。

日本は、本当に奇妙な国である。善をなした同胞の足を、自分では何もしない多数者が競争で引っ張るのだから。

                                               (04/4/22)


昨日、上に掲げたような記事を掲載しておいたら、今日(4月23日)の朝日新聞投書欄に以下のような投書が載っていた。この方が私の書いたものより、はるかに説得力があるので、ここに転載することにした。

不寛容な日本
イタリアと差


 会社員 田中 佳代子
   (イタリア 36歳)

 イタリアでイラクの邦人
人質事件を知り「信じられ
ないことが起こった」と思
った。解放の前後から「白
己責任」諭が展開され始め
たのには、事件そのものよ
りも驚かされた。インター
ネット上に被害者らに対す
    
る中傷や誹謗が並んでいて
我が目を疑った。

 イタリアでも現在3人の
人質の安否を気遣う毎日で
ある。新聞やテレビを見て
も、町でも解放を呼びかけ
るデモ行進など、家族への
励ましのメッセージであふ
れている。

彼らはアメリカの贅備会
社に雇われた、武装したガ
ードマンだったと言われて
いる。日本なら「ハイリス
ク・ハイリターンの仕事だ
から、人質になっても自力
で解決せよ」ということに
なるのだろうか。が、イタ
リアではそんな風潮はまっ
たくない。救出活動を「迷
惑」と感じている人はいな
い。人質に解放費用を請求
せよなどと言う政治家がい
れば、その瞬間に政治生命
は終わってしまうだろう。

人質の「自己責任」を問
う人と、活動を評価する大
の違いは、相手の身になっ
てものを考えられるかどう
かではないだろうか。「自
己責任」を問う人たちに
は、彼らの行動の意味が理
解できないのではないか。

 イタリアは物質面では日
本ほど豊かではないかもし
れない。日本より住みづら
いと思うことも多いが、今
回の事件でイタリアは相手
の痛みが分かる、寛容な社
会であると痛感した。

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