平成14年6月16日日曜日は父の日とのことで、縁の深い人からアニメーショションeカードをもらった。
お父さんありがとう・・世の中の役に立つ人間になります・・などとあった。
昔の子供たちは周りの大人や先生方から『世の中の役に立つ人間になるんだぞ』と命令調で言われて育った。少なくとも私はそのように言われて育った。人の言うことを疑うことなどほとんどないままに今に至っている私としては、そのように潜在意識して育ったように思われる。それが良かったかどうかは定かではない。
eカードを見て思ったことをメールした。
ありがとう・・世の中の役に立つ人間になることを考えるより先に・・面白い人間になることを考えるほうが・・面白いのではなかろうか・・(人のことを一生懸命考えて何かしてあげるのは勿論良いことと思うが)・・人のことより自分のことを先に考えてみるのも・・時には・・良いことかもしれない・・プレゼントのグラスは割れていたので・・二人で楽しく試験勉強・・云々・・
私が生まれた所は標高4〜500メートルの山奥の村、今は既に取り壊されて無い家の前を、岩屋寺に近い遍路道が通っていた。家の裏の離れからは、森に近いような林が続き、そこを少し下ると清冽な急流が瀬となり、小さな滝となって一年中大きな水音を立てていた。ほとんど平地のない谷あいの村であった。今にして思えばその家の前の道を古に弘法大師様が何度か通られたのであった。
今の私はお大師さまの縁を頂いたかどうか、結願寺大窪寺のすぐそばで『アンタは変っとる』とみんなから言われながら、生きさせてもらっている。
先日同窓会でAMDAの菅波が隣に座って『お前はオモシロイ』と繰り返し言っていた。『そんなにオモシロイか?』と聞くと『オモシロイ、オモシロイ!』と腹を抱えて喜んでくれた。
お前は良い人間だと言われるより、お前はオモシロイ人間だと言われたほうが、私には嬉しい。だから私は菅波に『そうか。ありがとう』と応えた。おじいさんおばあさんからアンタは変っとると言われると、アンタはオモシロイと言われたように感じるので『ありがとうございます』と何時も言っている。
今朝の瞑想会で人は死ぬとどうなるか、という話をした。だから何事も心配無用、今日一日自分が一番したいことだけをして、夕べに死すとも可なり。明日も生きていれば明日も心配無用、夕べに死んでも満足なように、一番したいようにして、心のままに生きていれば、病気のことなど考える間もなくなる。免疫力・生命力・自然治癒力は最高となる。
今朝の瞑想は各人が死んで天国(霊界)へ行く風景の瞑想(イメージ・空想)でした。 2002年6月20日
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