父親の女児虐待

栃木県さくら市で起きた「女児虐待」事件は、31歳の父親が12歳になる娘を虐待し、午前四時頃に寝ている娘を起こして髪の毛をつかんで顔面を殴りつけ、2週間の打撲傷を負わせたというものだった。

この事件に関心を抱くようになったのは、問題の父親が娘に日記を書かせていたという新聞記事を読んだ時からだった。娘はその日記に、「父さん、、大好きです」と書いていたというのだが、私はすでにイギリスで起きた同じような事件を、翻訳物のノンフィクションで読んでいたのだ。

私は以前に、「BOOK OFF」の百円コーナーに並んでいた、「復讐の家」(阿尾正子訳:原書房発行)という単行本を買って来たことがある。著者がアレグサンドラ・アートリーとなっていたので、どうやら翻訳物のミステリーらしいなと判断して、何となく買ってきたのだ。家に帰って、読んでみると、それはミステリーではなく、家庭内暴力をテーマにしたノンフィクションだった。奥書には、訳者の言葉としてこんなことが書いてあった。

<・・・・ともすると興味本位にあつかわれがちな性的虐待の被害者の人生を、抑制のきいた文体でみごとに描きあげている。本書がCWAのノンフィクション部門でゴールド・ダガー賞を受賞したのもうなずける>

欧米で出版されて、現地でバストセラーになっているノンフィクションを何冊か読んだことがある。いずれも日本人には想像もできないような凄まindex.htmじい内容のものばかりで、これもその手のものだろうと読んで行くと、やはり凄まじい内容だった。一見ハンサムに見える男が、妻に対して言語に絶するような暴行を働き、二人の娘にも暴力をふるった末に、娘たちを相継いで犯かしたという実話だったのである。

この男は、最後に姉妹によって散弾銃で射殺されてしまうのだが、あまりひどい話なので、途中で読むのをやめてしまったのだ。ところが、この射殺された父親が、長女に日記を書かせているのである。娘は命じられるままに父の喜ぶような日記を書き続け、書いた中身について父の検閲を受けていた。

イギリスのランカシャー州に住むこの男も、日本の栃木県に住む男も、家庭内暴力で妻子を苦しめながら、娘に日記を書かせていた点で共通している。

栃木県の男に関する情報は、僅かしかない。彼の職業も不明だし、その妻のことも皆目わからない。彼が虐待した娘は、妻の連れ子だというから、彼はバツイチの女性と一緒になったのかもしれない。その妻は、男の暴力に耐えきれなくなったらしく、娘を残して家出しているのである。

ランカシャー州の男は、妻と次女の外出中を狙って、12歳になった長女を犯している。栃木県の男が、12歳の義理の娘と二人だけで暮らしていたこと、そして娘が施設に引き取られると、彼女を奪い返そうとして施設に侵入したことなどを考えあわせると、「復讐の家」を読んだものとしては、いろいろ気になることがあるのだ。

そこで、改めて「復讐の家」を最後まで読み通してみた。そして気がついたのは、その記述に矛盾した箇所や不正確な部分があることだった。例えば、著者は長女が父に犯された時の年齢を12歳と書いたかと思うと、別のところでは14歳だったと書いている。そして、男が初めて妻を殴ったのは、ハネムーンの寝室だったと言ったり、ハネムーンから帰って数日後のことだったと言ったりする。ハネムーンから帰宅後とした記述には、殴り倒された妻が失神したと書いてある。

もっと不審なのは、年齢に関する表記で、父親が二人の娘から射殺された時の年齢を57歳、この時長女は36歳だったとなっている。すると、父が結婚したのは20歳前後ということになる。母が長女を妊娠したのは正式に結婚したのちのことであり、娘はちゃんと月満ちて生まれてきているからだ。ところが、著者はランカシャー男が結婚したのは、24歳の時だったと書いている。

著者は、このノンフィクションを書くに当たって、母親・長女・次女を始め多くの関係者から取材している。その過程で、著者は互いに矛盾し、真偽入り交じった話を聞き込み、それらを十分整理しないまま原稿にして、取り急ぎ出版したのだろう。

<父親トミー・トンプソン>

父親は、なかなかハンサムな男で、成長した娘と歩いていると、恋人同士と間違えられるほどだったという(栃木県の男も、テレビにちらっと映ったところをみると、身綺麗で様子のいい男だった)。彼は、召集されて第二次世界大戦に参加した後に、除隊して紡績工場で働き、人員整理で失職してからは建築現場の日雇い労働などに従事していた。

彼は4人兄弟の末子に生まれ、兄弟の中では母親から一番愛されていたが、母はこの末子のなかに危険なものを感じ取っていた。だから、息子の婚約者が訪ねてくると、「これだけは言っておくよ。あの子はきっと、あんたをひどい目にあわせるから」と予言している。結婚式の準備がすべて整ったときにも、「あの子と結婚することを決めたのは、あんただからね、その責任は自分で取ってもらうよ」と釘を刺している。

彼は結婚後、新妻の母の家に同居することになった。戦争直後のことだったから、住宅が極端に不足していたのである。妻は新婚の夫について、こう語っている。

「結婚して何日もしないうちに、トミーがひどい癇癪持ちだということがわかりました。あの人は怒りを抑えませんでした……あまり大きな声を張りあげるので、母がご近所の迷惑になるからすこし声を落としてくれと頼んだこともあります。母はまた、あの人がカツとなってわたしを殴る音も聞いています……お義母さんに話しても無駄でした。義母はトミーの性格もやり方も知っていました。義母はよくわたしにこういったものです。あんたが決めたことだから、自分で責任を取れ、と」

彼は妻に対して暴力を振るうだけではなかった。年若い妻は、石鹸工場に勤めていたが、彼は妻の職場を、「あのくだらない石鹸工場」と呼んで、小馬鹿にしていたのである。

新妻は顔を殴られて鼻の骨を折るような目にあってからは、夫の帰宅を戦々恐々と待つようになる。彼が仕事から帰ってきて鍵穴に鍵を差し込む音がすると、それが合図のようになって手のひらは汗ばみ、心臓の鼓動が早くなるのだ。

凶暴な夫が妻を殴るきっかけは山はどあった。自分の嫌いな料理を出されたというものから、セックスを拒絶した、子供の行儀が悪い、妻が挑戦的な態度や口のきき方をしたというものまで数限りなくある。だが、彼の場合は、次のようなケースも加わっていた。

彼が家にいるとき、妻は赤ん坊を抱くこともあやすことも許されなかった。さっさと乳を与えたら、赤ん坊をすぐにベッドに戻せといわれた。子供を抱きたい、あやして安心させてやりたいと思う母親の気持ちに呼応するように、子供の方も小さな手を挙げて、母とのあたたかいふれあいを求めている。赤ん坊の泣き声に刺激されて乳房がおかしなくらい張ってきても、妻は赤ん坊を無視しなければならなかった。

彼は義母に対しても嗜虐的だった。義母は初めて生まれた孫娘を抱きたくてうずうずしていたが、抱くことはおろか、孫に指一本触れることも許さなかった。



<母親ミセス・トンプソン>

母親のミセス・トンプソンは、幼い頃に父を亡くしたので、実母と二人で暮らす期間が長かった。こういう家庭では、普通なら母と娘が密着して生きることになるのだが、彼女はそうすることができなかった。夫に先立たれた母が、鬱病の状態になり、それが長く続いたからだった。

そんなことから、彼女は内気で引っ込みがちな性格になり、思春期になってもボーイフレンドが出来ず、石鹸工場の仕事が終わると、そのまま一人で帰宅することが多かった。職場の仲間が、見かねて彼女をブラインド・デートに誘ってくれた。

「ブラインド・デートって、なあに?」と反問されて、仲間は彼女の無知に驚いたが、ブラインドデートとは知らない相手とデートすることだと説明し、自分の婚約者の弟を紹介してやった。それが、彼女の夫になるトミーだった。トミーは、兵役中の身だったけれども、そのとき休暇で実家に帰宅していたのである。

恋愛経験のない彼女は、すぐにトミーに夢中になった。結婚前の彼は、すらっとしたハンサムの青年で、とても優しかったのだ。トミーは、こういって彼女を賞めていた。

「これまでに、たくさんのガールフレンドとつきあってきたけれど、君ほど静かで、すべての面で信頼できる女性はいなかったよ」

トミーと結婚した彼女は、最初、母の家で暮らしたが、トミーと母の関係が悪化したため、そこを出てアパートや借家を転々とすることになった。引っ越しは、13,4回に及んでいる。こんなにも引っ越しを重ねたのは、一つには落ち着きのないトミーの性格によるが、トミーがボロ家を安く購入し、改装した上で高く売って金を稼いでいたからだった。

トミーが最初に購入したのは建築業者の庭で見つけた古びた木造のトーラーハウスだった。このハウスは絵はがきほどの大きさの窓が一つ付いているだけだったから昼間でも中は真っ暗だった。唯一の光源は石油ランプで、顔を洗おうにも薄汚れた陶器の水差しと洗面器が一つあるだけだった。ここで長女が生まれ、その翌年には次女が生まれたのである。

トミーはトレーラーハウスを手に入れた時点で、ハウスの改造に取りかかった。内装を「最新式」に改めて売れば、次に購入するもっとましな家の頭金になるのだ。改造工事には、妻も動員された。

「・・・・家の改装がただちにはじまった。すぐに、トミーにはひとりで作業をするつもりがないということがわかった。
鋸で切る、金槌を使う、壁をはがして漆喰を塗る、床をこわして板を張るといった複雑な作業をトミーは妻に教えこんだ。トミーは、ここぞというところですばやく手を貸すことを要求した。
大工仕事をしているときのトミーは普段以上に怒りっぽく乱暴になるようで、彼が<あれ>といったときにミセス・トンプソソが夫の考えを読み取れずに、必要な道具を渡しそびれたり、なにかを押さえたりしそびれると、トミーは即座に彼女のまちがいを、言葉ではなく腕力で正した。頭の横を殴ることもあったし(そこなら痣が見えないことを知っていた)、悪態をつきながら頬を叩いたりもした。ミセス・トンプソソがもっとも恐れたのは、かたい作業靴で向こう脛を思いきり蹴られることだった(「復讐の家」)」

こうして住んでいる家を改造しては売ることをトミーは11回繰り返している。二人の子供は、母が父にこき使われ、そして父の激しい暴力で殴り飛ばされるところを日夜眺めて過ごすことになった。

「トミーは毎日のように母親を殴るところを見せつけて、子供たちを怯えさせた。二、三日に一度、ミセス・トンプソソは頭の横を殴られて床に倒れ、倒れたところでさらに腹部を蹴られた。そして母娘がもっとも恐れていた瞬間が訪れる――トミーが不意に動きをとめ、これ見よがしに椅子に座って、かたい作業用長靴を履くのだ。その長靴は、妻の向こう脛を、痛さに死んだぼうがましだと思わせるほど強く蹴るときのために特別に用意したものだった(「復讐の家」)」。

トミーは、子供たちの見ている前で妻の首を絞めて楽しむことがあった。意識のなくなる寸前まで首を絞め続け、突然、手の力を抜くのである。

妻への虐待は、それだけに止まらなかった。トミーは、妻が子供を愛することを許さなかったし、妻の母が臨終の床についたときにも看病に出かけることを許さなかった。彼女がある日、ようやく実家を訪ねて見舞ったとき、母は懇願するように頼んだ。

「今夜、また来てくれるかい? 来ると約束しておくれ」

 いくらトミーでも今度ばかりは「だめだ」とはいわないだろう。ミセス・トンプソソはすぐにうなずいて、「今夜また様子を見に来るわ、ママ」と約束した。

だがその夜、トミーは妻の願いを拒否した。

「だめだ」

見舞いに行っても、紅茶を飲んだらすぐに帰ってくるからと、必死になって頼んでも、トミーは受け付けなかった。

「家にいろ」

ミセス・トンプソソはキッチンに行って、夫に背を向けて流しに立ち、涙をこらえながら前方を見つめた。トミーに気がねなく悲しみや苦痛を表現できるのは、そこだけだった。妻は、もう一度頼んでみた。

「トミー、お願い・・・・」

しかし、トミーは冷酷に言い放った。

「あいつのところに行ったら、ただじゃおかないぞ」

毎日のように新手の、より過激ないやがらせを思いつくトミーの恐ろしさを、いまさらのように思い知らされた。彼の心のいちばん奥のところに邪悪な芯があるようだった。

こんな生活が30数年も続き、トミーが娘たちに殺される頃には、彼女は身も心もぼろぼろになっていた。

<長女ジューン、次女ヒルダ>

明けても暮れても、父が母を折檻する光景を見ていた二人の娘は、父のいるところでは息をひそめるようにしていた。賑やかに笑ったり騒いだりしたい少女期だったにもかかわらず、姉妹は生き残るためにはどうすべきか、本能的に学習して、家の中では静かに二人だけで遊んでいた。

トミーは、姉妹が近所の子供たちと遊ぶのも禁じていた。

「遊び相手だったら、すぐそばにいるじゃないか」というのが彼の言い分だった。そんなことを言われなくても、引っ越しばかりしている母娘には、近所に親しい知人がいなかったのだ。

劣等感があって仕事仲間と対等につきあうことが出来なかったトミーは、自宅でも近所の人々と親しくすることができなかった。彼は居場所のない人間だった。だから彼は、、一カ所に落ち着いていることが出来ず、転々と引っ越しを続けたのである。彼は、家族を祖母や隣人から切り離し、頼るものは彼しかいないという状態にしたかったのだ。そうすれば、彼らはトミーに依存するしかなくなる。そういう家族に囲まれていれば、それが彼の居場所になり、孤独感、劣等感から抜け出すことが出来るのである。

トミーは家族を暴力で支配しながら、実は家族に依存していたのだった。トミーはときどき暖炉の前の敷物に寝そべって、「もうだめだ、そばに来てオレが落ち着くまで、抱いていてくれ」とミセス・トンプソソに泣きつくことがあった。

またトミーが一階のソファー・ベッドに横になり、彼女が足下の床に座って、夫の気持ちが落ち着くまで手を握ってやっていたこともある。

暗い不安の波が去って、妻とふたりで床に座っているとき、トミーは「もう生きていたくない。死んでしまえば、もうなにも気にする必要はないんだ」とつぶやく。二人の娘は、父を射殺するときに、「お父さんは何時も、死にたい、死んでしまいたいと言っていたんだから」と自分たちの行動を正当化している。



<父親の女児虐待>

父親のトミーは、弱いものに憎しみを抱いているらしかった。ヒトラーは、弱者に同情するヒューマニストを侮蔑していたが、トミーもヒトラーと同じようなタイプの人間だったのである。彼は、二人の娘が飼育しているペットを残酷なやり方で殺しては楽しんでいた。例えば、キッチンの流しに金魚鉢の内容をぶちまけて、金魚が水を求めてもがく有様を見て楽しむかと思えば、小動物を水の中に投げこんで溺死するまでじっと見入っているというふうだった。彼はウサギをつがいで飼って繁殖させていたが、それは生まれてきたウサギの首を折って殺すためだった。

子供たちは、父が母を折檻する光景を見るだけでなく、父が生き物を殺して楽しむところを見せつけられて大きくなった。そのため彼女らは、家にいるよりも学校に行くのが好きになったし、学校を出て就職してからは職場に出勤するのを喜んでいた。姉妹は、同じ会社に就職した。だが、二人は学校や職場に喜んで出かけるものの、仲間の中にまじると、ひどく年寄りじみて見えた。職場の同僚は、二人が何時までたっても恋人を作る気配を見せないので、あの姉妹はレズではないかと噂していた。

「12歳になった1964年のある時期に、ジューンは父親のトミーに犯され、それから36歳になるまで週に2、3回(特に夏)、父親の相手をさせられてきた」
と、「復讐の家」には書いてあるけれども、彼女はどのようにして父親に犯されることになったのだろうか。

きっかけは、ジューンが10歳になり、母に代わって父の助手をするようになったからだった。彼女は大工仕事をする父にねじ釘や板を手渡すように命じられたが、それを間違いなく機敏にしないと、厳しいお仕置きを受けた。顔を殴ったりすると跡が残るので、トミーは娘の頭をこづいたり頭突きを食らわしたりしたのだ。以来、ジューンの考えることは、いかにして父の助手を完璧につとめるかということだけになった。

こうして母親と長女の役割が、ゆっくりと入れ替わっていったのである。ジューンは、11歳になると、小さいながら一家の主婦になっていた。父がクレオソートの臭いのする庭の小屋にジューンと二人でこもり、家具を作るようになったのはその頃からだった。

ある日、父は薄暗い小屋の中で、まるで学校の先生が生徒に話しかけるような調子で尋ねた。

「父さんが母さんとセックスしていることは知っているね、ジューン?」

 ジューンは〈セックス〉という言葉は知っていたが、それがなにを意味するのか正確には知らなかった。父は続ける。

「今度はそれをおまえとしたいと思ってるんだ」

ジューンは、「いや!」と叫びたかったけれど、恐ろしくてなにもいえなかった。それでジューンは、さりげない口調で、

「そうしなければだめなの、父さん? わたし、そんなことしたくないし、それはよくないことだと思うわ」

すると、怒りで顔色を変えたトミーが威嚇するようにいった。

「おれがしろといったら、そうするんだ! おまえがどう思うかなんて関係ない。それから、このことは秘密にするんだぞ。このことがだれかに知られたら、お前たち全員を銃で撃ち殺すからな!」   、

その日はそれだけでおわり、以後数ヶ月は何事もなく過ぎた。
やがて、母と妹が慈善バザーに出かける日が来た。父は二人をドアの外に送り出してから、ジューンの方に向き直った。

「二階に行こうか」

――こうして、ジューンは二階の自分のベットで、永遠の長さに感じられる辛い体験をしたのだった。著者は書いている。

「・・・・体のよごれを拭い去ってしまうと、相変わらずこれまでと同じ生活がつづいた。トミーは週に一度か二度、金曜日はかならず、ジューンを犯しつづけた。
 ジューンはやがてトミーの新しい(妻)になり、ミセス・トンプソソとヒルダは(ひとりはまだ体だけは犯されていない)予備に取っておかれた(「復讐の家」)」

ジューンは最初から、すべてを母親に打ち明けている。だが、母は「あの人がそこまで下劣だとは思わなかった」と言っただけだったから、ジューンと父の関係は続き、その関係は家の中では公然の事実になった。階下で皆と一緒にいるときでも、父が顎をしゃくって合図をするとジューンは二階に上がって父が来るのを待つのだった。

以前に、母はトミーと暮らすことに耐えられなくなって、子供を連れて実家に逃げ帰ったことがある。妻と子供を連れ戻してから、トミーはこう言って妻を脅している。

「今度逃げ出したら、必ず探し出して、お前と子供らを殺してやるからな」

母親は、夫が口にしたことを必ず実行することを知っていた。彼に逆らったら、本当に家族全員が散弾銃で撃ち殺されるかもしれない。だから、母はジューンが犯されたと聞いても、どうすことも出来なかったし、ジューンも母に打ち明けたとき、母が何かしてくれるとは期待していなかったのだ。

トミーは、その二年後に13歳になった次女のヒルダを犯している。

長女のジューンがこんな地獄のような生活に耐えることが出来たのは、もう一人の自分を作り出して、本当の自分をそちらに置いていたからだった。彼女は父に犯されるときに、犯される自分を天井から見下ろしているもう一人の自分になっていた。彼女は、父に犯されているのは自分とは別の人間だと考えることにしたのだ。

次女のヒルダは、自分を他者化して別人として見るような意識操作ができなかったから、ひそかにウイスキーを飲み始めた。ウイスキーを飲むと、いやな事は忘れられたし、夜も眠れるようになったのである。ヒルダは父に犯されてから、強度の不眠症になっていた。

やがてヒルダはアルコール依存症になり、幻覚を見るようになった。部屋の中のものがふわふわ浮かんで見え、視野が青く、さらには黒くなった。症状は深刻で、かかりつけの医師も、精神医も、手の打ちようがなかった。抗欝剤はどれも効かず、医者が原因を探ろうとして、「家に何かいやなことでもあるのか」と尋ねても、返事はいつも同じだった。

「何もありません」

ヒルダは自殺することを考え始めたが、父親はそれを感じ取って、「お前の身に何かあったら、ジューンと母親を殺すからな」と警告し続けた。トミーはヒルダに自殺されでもしたら、原因を詮索されて、一家の秘密がばれるのではないかと警戒したのである。

ヒルダのことが気がかりだったが、トミーにとって家の中の状況は理想的なものになっていた。二人の娘は、封を切らずに給料袋を持参して手渡してくれるから、経済的な不安はない。性生活の面でも彼は三人の妻を持っているようなものだった。通常の性生活に飽満した彼は、次第に普通のセックスでは満足できなくなった。

トミーは、妻が自分以外の男と性交渉する場面を想像すると興奮するので、妻に不倫を強要しはじめた。そして妻に拒まれると、彼女を裸にして人形のように抱き上げ、食器戸棚の上に立たせた。そして、ゲラゲラ笑いながら、ナチスの強制収容所に入れられたユダヤ女のようだと嘲弄する。


<トミーの居場所>

さて、トミーはいったいどうしてこんな男になってしまったのだろうか。

考えられることは、彼が子供の頃から自分を取り巻く社会と相性が悪かったということだ。彼は、周りの世界と水があわないと感じながら生きて来たのである。だが、生きて行くには、他者との関係を持たずにはいられないということになれば、母親にすがりついていくしかなかった。母親は自分にくっついて離れないトミーに愛情を注いだが、だからといって末っ子の彼を特別扱いしたわけではなかった。

母親は、夫が怠け者だったから、結婚後、次第に横暴な女家長へと変貌していったのだった。彼女は家計を補うために、四人の幼い子供たちを足下にまとわりつかせながら、自宅で近所の洗濯物を引き受けていた。雨が降ろうと風が吹こうが、木靴を履いて裏庭に立ち、タライのなかの他人の洗濯物を洗い続けたのだ。洗濯が終わると、火力の弱い貧弱な石炭ストープを燃やして、洗濯物を根気強く乾かした。彼女の日常は、こんな具合だったから、粗暴な母親にならざるをえなかったのだ。。

「四人の幼い子供たちをおとなしくさせるために、手をあげ、大声でどなりつけ、悪態をついた。酒場にいりびたりの夫を、店から引きずりだした。一ペニーも無駄にせず、子供たちが空腹で死なないように、じやがいもやマーガリンや紅茶を買った(「復讐の家」)」

母はトミーに荒々しい言葉を投げつけて折檻したが、トミーはどんな扱いをうけても耐えて行くしかなかった。彼は結婚して妻を迎えたとき、唯一知っている母との人間関係をモデルにして、夫婦関係を構築した。ただし、今度はトミーを支配者にした人間関係だった。彼は、初夜の寝室で早くも妻を殴り倒している。

二人の子供が生まれると、トミーは子供らも暴力支配の輪の中に取り込んだ。社会という水が彼に合わなかったので、自分の生きる水を家庭の中に作り出したのである。トミーが絶対的な独裁者になるためには、妻と二人の娘を社会から切り離し、彼に依存して生きるしかない無力な存在にする必要があった。

前に記したように、トミーは妻子が隣人やクラスメートとつきあうことを禁じた。それだけでは足りずに、彼は家族が知恵をつけて自立することを恐れて、外から入ってくる情報を遮断しようとした。彼は家族が女性誌を購読することを許さなかったし、家の中に本を持ち込ませなかった。そして、彼は威圧的に宣言した。

「お前たちが知らなければならないことは、みんなこのオレが教えてやる」

しかし、彼は三人の女たちに囲まれていないと不安だった。トミーは、女たち三人がそろって外出することを禁じ、そうしなければならない時には、誰か一人を家に残し、彼のそばにいるいることを命じている。

こうして妻子を外の世界から切り離したが、トミーは彼女らの内面まで監視することは出来なかった。その不安から、トミーは長女のジューンに日記を書かせることにしたのだ。ジューンは、父の目を意識して、父を喜ばせるような日記を書かなければならなかった。

1977年6月15日の日記は、こんなふうに書かれている。

「今日は私の誕生日・・・・これ以上望むことがないくらい私は幸せだ」

癌で入院した妻が、病院からトミーにラブレターを書いているのも、トミーに命じられたからだった。家族全員が幸せに暮らしているのも、トミーのおかげだと感謝する内容のラブレターだった。トミーは、万が一、自分が人々から非難される立場になったときに、ジューンの日記や妻の手紙を公開する積もりだったのである。

――それにしても、ジューンとヒルダは、なぜ家を出て行かなかったのだろうか。著者によれば、少女期に肉親に犯された女性は、自立する年齢になると仕事を見つけて家を出て行くという。行く当てのない娘たちは、あえて家を出てホームレスの生活を選ぶと書いている。では、ジューンとヒルダが、父に犯されながら20数年間も家に留まっていた理由は何だろうか。著者が言うようにトミーに脅迫されていたのだろうか。

確かに、ヒルダはノートにこう書いているのである。

「父さんはやるといったことはやる人です……この家で起こっていることをだれかに知られたら、わたしたち全員が死ぬことになるでしょう。もしだれかに知られたらあの人は刑務所に行くことになるかもしれませんが、あの人はまるで人が変わったようにおとなしくして、きちんと刑期を終えて出てくる。そして、わたしたちがどこへ逃げようと一生かかってでも探しだして、皆殺しにするのです」

娘たちに父親に対する恐怖があったことは疑いないけれども、彼女らが家出をしなかったのは、母と娘たちが同じ被害を受けていたからではなかろうか。家族の中で性的な被害を受けているのが一人だけだと、その娘は恥の意識に打ちのめされ、家族に事実を訴えることが出来ず、家を飛び出してしまう。だが、家族全員が被害者になっているのなら、そのことを恥じる必要はない。連帯感から互いを支え合って生きるようになるのである。

それにしても20数年間は長すぎた。

三人のなかで性格的に弱かったヒルダは30代の半ばになると、はっきり狂気の兆候を示し始めた。朝、目が覚めても起きることが出来なくなり、ジューンがベットから下ろしてやらなければならなくなった。髪をとかそうにも、腕が頭より上に上がらなくなり、、髪を洗うのがとてつもない大仕事に感じられ、そのことを考えただけで涙がこぼれた。彼女は精神病院で4回の電気ショックをうけている。母親も、癌になり難聴になっていた。

もう、限界だった。

その日の午後八時三十分ごろ、ジューンは、父親の大きな黒い瞳がかっと見ひらかれたまま、かすかにゆれているのに気づいた。呼吸も不規則になり、顔色が青くなっている。トミーは脳卒中による後遺症がある上に、テンカンの持病を持っていたから、突発的な発作に襲われ意識を失ったのだった。

キッチンからは水の流れる音が聞こえていた。母親が耳の聞こえない沈黙の世界のなかで、流しで皿でも洗っているのである。

ジューンは、椅子から立ちあがって父親の横に立ち、母親のベットを借りて横になっていた妹を呼んだ。

「ヒルダ」

妹はベットから身を起こし、父親の体を挟んで、ジューンの反対側に立った。そして呪詛するように呟いた。何時も姉を頼りにしていたおとなしいヒルダが、ジューンをリードし始めていた。

「ジューン、わたし、こんな生活耐えられない。二人で何とかしなくっちゃ。この人を撃たなければならないわ」

「でも、ヒルダ、わたし、こわい」

と言いながらも、ジューンは二階にある散弾銃を取りに行った。そして、戻ってくると、銃口を父親の胸にぴったり押し当てて引き金を引いた。難聴の母親も銃声を耳にして姿を現し、キッチンの戸口で凍り付いたように立ちすくんだ。

ヒルダが、変に落ち着いた口調で言った。

「万一と言うことがあるから、もう一度、撃った方がいいわ」
「でも、わたしは、もう出来ない」

ヒルダは、姉に向かってさとすように言った。

「この人は、いつも死にたいと言っていたじゃないの。死ぬのが望みだったのよ。苦しませちゃ、かわいそうだわ」

散弾銃の使い方を知っているのは、ジューンだけだった。彼女は弾丸をこめ、父親の体越しに銃をヒルダに手渡した。ヒルダは、ジューンの撃ったところから1センチと離れていない胸板に銃弾を撃ち込んだ。

――ジューンとヒルダは、裁判の結果、情状を斟酌されて、執行猶予2年の判決を受けて釈放されている。姉妹はその後、母と三人で穏やかに暮らしているというのだが・・・・