雪嶺
伊那の各地を見て歩くには、クルマを利用するより、バイクの方がこの方が遙かにいい。だが、冬に入り、特に雪が降ったりすると、バイク利用は困難になる。バイクで山に登るなどは論外となる。
でも、習慣というものは恐ろしいもので、冬になっても、「バイクで散歩」するのを止める気にはならない。はじめは防寒のために羽毛入りのジャンパーで身を固め、まるでエスキモーみたいに着膨れた格好で出かけたものだが、近ごろは寒さを防ぐには一着千円のヤッケで十分だということが分かるようになった。ヤッケは軽い上に風を通さない。それに、胸にカンガルーの袋のようなポケットが付いていて、カメラでも何でも入れておくことができるのだ。
以下の三枚の写真は、ヤッケを着込み、バイクに乗って遠出をしたときに撮ってきたものだ。例によって、ステレオタイプの写真になってしまったのは、残念であるが。
野山や田んぼが雪に埋もれているときでも、舗装された道路は雪が溶けている。が、日陰になっているところは、クルマのタイヤで雪が踏み固められて氷盤状になっているから、注意しなければならない。バイクを走らせているときには、路面から目を離せば忽ち事故に繋がってしまう。それでも雪を冠った山々のたたずまいには目を奪われ、バイクをとめてカメラのシャッターを切りたくなるのだ。
私が気に入っているのは、前景に林や森があって、その向こうに雪山があるという風景なのだ。マンネリ化したこういう写真をこれまでに何枚撮ってきただろうか。
マンネリの写真ばかりを撮り続けているが、前景と後景のバランスを変えてみようと試みることもある。下図は田んぼを大きくとって、雪山を小さくして、それなりに工夫の跡がみられるが、前景に田んぼを使うのも何度か繰り返してきた手法だ。
麓の町に住んでいると、慣れっこになって雪山を仰ぎ見ることもなくなる。しかし、たまに今更のように山頂を眺めて、その場に立ちつくすことがある。たとえば、強風に吹かれて、山頂に雪煙がたっているようなときだ。下図はその状況を撮したものである。
下の二枚は、自宅横の道路から中央アルプス(木曽山脈)を観望した写真である。同じような色調をしているが、最初のものは夕焼けの写真で、二枚目は朝焼けの写真だ。
夕焼け、朝焼けの写真を撮って何時も感じることは、赤く染まった雪山の美しさが、なかなか印画紙に出てくれないことだ。この二枚も写真を撮ったときの壮麗な感じが出ていない。