金沢峠への道(1)

伊那と諏訪を結ぶ道路には、天竜川に沿った幹線ルートと、秋葉街道-杖突峠を経由する補助ルートがある。この杖突峠越えの補助ルートも盛んに利用されており、大型トラックが轟音をまき散らして走っている。

秋葉街道筋の峠の中では、その利用度の高さから杖突峠が最も知られている。だが、江戸時代には金沢峠もよく利用されており、高藤藩主を始め、伊那谷に知行所を持つ旗本や大名は参勤交代の折りなどには金沢峠越えを慣例としていたのである。そのため峠の麓にある御堂垣外は当時、重要な宿場になっていた。

20年ほど前に、1人で金沢峠に登ったことがある。人々から忘れ去られたようなひっそりした峠だった。未舗装の道路は、たまに通るクルマに荒らされて深いわだち跡を残していた。訪れたときが晩秋だったこともあって、峠は見捨てられたような蕭条とした感じが濃かったのだ。

もう一度、あの蕭条とした風景を眺めてみようと思い立って、この秋、峠に向けてバイクをはしらせた。

久しぶりに秋葉街道を北上して意外に思ったことは、さびれて行く一方だと想像していた「過疎地」に現代的な施設がいろいろと作られていることだった。

上図は高級ホテルを思わせる建物で、南に向いた個室がずらっと並んでいる。有料の老人ホームだろうか。

下図の建物を何なのか、ちょっと見ただけでは見当がつかなかった。それで敷地内に入り込んでなかを覗き込んでみると、設備の整った体育館だった。こんな山奥に、何処にもないような立派な体育館が建てられている。一体、誰が利用するのだろう。

御堂垣外宿に近づくにつれて、古めかしい民家が目に付いてくる。入り口に大きな木戸を取り付けた家がある。その木戸には小さな潜り戸がついていて、夜になるとこの潜り戸から出入りするのだ。今ではテレビの時代劇でしか見ることができないような家である。

玄関に神社・仏閣にあるような古めかしい屋根をつけた家もある。潜り戸の家も、玄関の家も、見るからに古色蒼然としている。たぶん明治時代から続いている家に違いない。この二つの家は両方とも、今は無人になっているらしく戸が閉め切られていた。

僻地にこうした家が目立つのは、子供たちが巣立った後、老親が夫婦二人で先祖代々の家に残り、その老親が亡くなった後は住むものがいなくなったということなのかもしれない。

下図。地域の文化財にも指定されている本陣の門である。本陣は大名などの宿泊所に使われたから、以前にはこの門の内部に屋敷や馬小屋やその他多くの建物があったと思われる。が、今は門だけを残してそれらは取り払われ、広い敷地内には当主の住宅が新築されている。

門の柱に「本陣」という文字が見える。

峠に続く山道を登りだしたところで、背後を振り返って御堂垣外宿を眺める。家数が多く町屋という印象を与える集落になっている。

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