南の窓から
桜並木を見るには西側の窓に立つ必要があるが、天竜川の全景を眺めるには正面の窓(南面)からすればよい。下の写真は、日の出直後に撮った。初冬の天竜川を正面の窓を開けて展望したものだ。山は初雪をかぶって薄化粧しているけれど、低いところには、まだ、雪はない。
この写真で見れば、天竜川も捨てたものではないという気がする。が、余所からやってきて実際に川を見たら、きっと失望することになる。
美術教師の失望
戦時下の中学校には、若い教師が少なかった。次々に軍隊に応召されたからだ。戦局が不利になって行くと、この傾向は一層強くなって、学校に残るのは中年をすぎた教師だけになったが、ある年のこと、美術学校を出たばかりの若い教師が着任してきた。
彼は私たちのクラスの「用器画」の時間(昔はこんな教科もあったのである。コンパスや定規を用いて様々な図形を描く教科だった)を担当することになったが、そうした授業が苦手だったのか、教室にやってきても講義そっちのけで、学生時代の思い出話ばかりしていた。そして、着任して三カ月も経たないうちに、彼は応召されて軍隊に行ってしまったのである。
その美術教師の話で記憶に残っているのは、「天竜川には失望したよ」という嘆き節だった。他県の出身だった彼は、長野県のことは全く知らなかった。だが、彼は赴任校が天竜川の近くにあることを知って、この川にロマンチックな夢を託して当地にやってきたのだ。
「とにかく『天竜川』という名前がいいからね。それに『天竜下れば』なんて歌もあるしさ。俺は期待してやってきたんだ。島崎藤村は『千曲川旅情の歌』というのを作っているだろ。俺も『天竜川旅情の歌』って奴を作ろうと思っていたんだ」
美術教師が夢を破られて、がっかりしたのも無理からぬことだ。諏訪湖を水源とする天竜川から澄んだ流れを期待することは出来ないし、河原に転がっている石もくすんだネズミ色をしていて、これも美しいとはいえない。それに川幅の割に水量が乏しく、少数の例外をのぞいて殆どの川面が平板な印象を与えるのだ。
「暴れ天竜」の異名があるように、天竜川は大雨の後には中央アルプス・南アルプスの水を集めて一挙に増水する。そのため川幅は拡がるが、普段の水量は多くはない。そこで川底の露出した風情のない川になってしまうのである。
山峡部の天竜川
平板な天竜川も、山峡部にさしかかると、様相を一変させる。水はとろりと深みを増して両岸の緑を映し、引き込むような美しさを見せるのだ。
伊那峡
伊那市と駒ヶ根市に挟まれた宮田村には、「伊那峡」と呼ばれる風光明媚な場所がある。
「伊那峡」から更に南下して中川村まで行くと、再び、山峡部があらわれて、川幅が狭まる。
上図はその地積を流れる天竜川で、更に南下を続けると、有名な「天竜峡」がある。
両岸が切り立っているため、水辺まで下りて間近に川の流れを見ることが出来ない。
それでも何とか川縁に下りる道を探して、すぐ近くから天竜川を眺めることに成功。
のんびり釣り糸をたれている人もいた。