「橋の上の『殺意』」

以前から畠山鈴香事件に関心があったので、この事件を取り上げた「橋の上の『殺意』」(鎌田慧)が出版されたと知って早速買って来た。この本の副題は、「畠山鈴香はどう裁かれたか」となっている。この副題が示すように、著者の関心は事件が裁判所でどのように裁かれたかという点に向けられている。

検察側の主張は、極めて分かりやすい――シングルマザーだった畠山鈴香は、娘の彩香を育てるのに疲れ、娘を橋の上から突き落として殺してしまった。警察は彩香の死を単なる事故として処理したが、畠山鈴香の暮らす団地内では、鈴香が殺したのではないかという噂が流れはじめる。

畠山鈴香は、この風評に過敏に反応した。彼女がじっとしていれば、事件はそのまま忘れ去られた筈なのに、鈴香は娘が事故で死んだのではなく、自分以外の何者かによって殺害されたのだと言い募り始めるのだ。彼女は警察に押しかけて捜査を要求したり、自分でビラを作って犯人の目撃証言を集めたりする。だが、警察は動いてくれないし、目撃証人も現れない。そこで鈴香は、娘を殺した犯人が別にいることを実証するために、近所に住む豪憲少年を殺害して連続殺人に見せかけるのだ。

検察側が以上のように主張するのに対して、弁護側の行った反論はいささか理解困難なものだった。

事件当日、鈴香は前夜の不眠のため午前三時頃に睡眠導入剤を服用して眠ったというのである。彼女は昼の12時半ころに娘の彩香に起こされて一度は目を覚ましたものの、起床したのは結局午後三時頃になっていた。彼女はまだ睡眠薬が効いている状態で、サカナを見たがっている娘をクルマに乗せて、事件現場に出かける。

弁護側は当日の鈴香が、朦朧とした頭で行動していたと主張する。

「被告は、娘を橋から突き落としたように見える。だが、彼女には『健忘』という精神疾患があって、娘が何故川に落ちたのか、どうしても思い出すことができないでいる。被告が覚えているのは、娘がサカナを見るために橋の欄干にあがったこと、そして次に被告自身が欄干近くに尻餅をついていることだけで、その中間に何が起きたのか被告の記憶は完全にうしなわれていた」

そして、弁護側は、「鈴香が尻餅をついていたということは、彼女が娘を抱き留めようとしたことを示している。突き落としたなら、その姿勢は立ったままの筈で尻餅をつくわけはない」と強調するのだ。

弁護士は、さらにこの「健忘」という精神疾患を魔法の杖のよう利用する。

──鈴香が、娘を殺した犯人探しに狂奔したのも、自分の犯行を隠すためではなかった。彼女は当初、娘とサカナを見に出かけたこと自体を忘れていたから、娘の死体が発見されたとき、娘は誰かに殺されたと本当に信じ込んでしまったのだ。警察に押しかけて捜査を要求したり、ビラを撒いたりしたのはそのためだ。

彼女は豪憲少年を絞殺したことを覚えている。だが、彼女は「健忘」のため、何故少年を殺したのか、その理由を思い出すことが出来ないでいる・・・・・。

弁護側がこう主張し続けるなら、裁判の争点は、果たして事件当時、鈴香が「健忘」の状態にあったかどうかということに絞られる。そこで、複数の精神医が畠山鈴香と面接して、彼女を鑑定することになったが、彼らの鑑定書が相反する結論を出したために「健忘」問題の決着は遂につかなかった。

鑑定医の一人は、この事件を「無理心中未遂事件だった」と解釈している。シングルマザーにとって、追い詰められて進退窮まった段階でとるべき道は二つしかない。子を殺すか、子供と一緒に無理心中するかの二つだ。すでに何度か単独で自殺未遂を繰り返して来ている鈴香は、この日、無理心中を計画し、まず、娘をなき者にすることにしたというのだ。

もし鈴香が、後から自分も死ぬつもりで娘を川に突き落とし、その後で死ぬのが怖くなって自殺を思い止まったとしたら、彼女は自分が娘を殺したという事実を想起するに耐えないだろう。だから、鈴香は肝心の場面を忘れてしまったというのである。

確かに、辛い経験を重ねながら生きて来た人間が、苦痛に満ちた過去を忘れようと努力しているうちに、それが習慣化してイヤなことを忘れてしまう習性を身につけるに至るということはあるかもしれない。

では、鈴香には「健忘」を習性化しなければならないような辛い過去があっただろうか。鈴香の人生を探ってみると、事実、彼女が忘れてしまいたいと思うような過去が連続しているのである。

彼女は小学校に入学早々、信じられないような目に遭っている。

<(鈴香が)小一のとき、担任から「水子の霊が憑いている」といわれて、母親が呼びだされるという「事件」が起こった。

その教員は、夏休みに、自分が信心している『仏所護念』(土俗宗教)の講習会に行くのだが、ついでにお祓いをうけてきてやる。ついては「三万円の三点セットが販売されているので、それを購入したらどうか」ともちかけた。

 たまたま、その学校の校長が、稔(鈴香の父親)の小学生時代の担任だったので、彼が校長の自宅へ談じ込み、担任を替えさせた。それでも、同級生たちに与えた影響は大きく、それ以降、鈴香は「心霊写真」というあだ名を貼りつけられ、気持ち悪いといわれるようになった。

 さらに、高学年になっても、給食を食べるのが遅かったため、残ったおかずを両手に受けさせられ、それを食べさせられた。指の閏からおかずの汁がこぼれるのを見て、同級生たちは「バイ菌」と囃したてた。(「橋の上の『殺意』」より>

級友からいじめの標的にされた鈴香は、その後もさまざまな苦難をなめている。ある日、クラスの生徒から便所に押し込まれ、鍵をかけられた。そしてバイ菌を洗い流すためだと、頭に洗剤を振りまかれ、ホースの水を浴びせかけられている。

中学に入り、修学旅行が迫ってきたら担任から、「あなたは来ないように」といわれた。朝礼や運動会などで、鈴香は眩暈から、しゃがみ込んだりするからだった。医者の診断によると、これは「起立性低血圧症」のためだった。

鈴香は万引きをするようになった。同級生たちの歓心を買うために、キャラクターの絵がついているメモ帳とか消しゴムを店からかっぱらってくるのだ。その犯行はほとんどの場合バレてしまい、彼女は教員や親から責められた。ものがなくなると、まっ先に「鈴香だ」と疑われるようになった。

高校に進んでからも、いいことは何もなかった。

高校入学後の畠山鈴香について、同級生はこんな風にいっている。

「たいがいひとりでいました。休み時間になると、不良グループ≠ノ『パン買ってこい』とパシリのような感じで使われていました。嫌われたくないので、必死でいうことをきいているようでした。不良グル−プにいるようになったのは、高校二年のころから、と思います」

「橋の上の『殺意』」の著者は、鈴香が学校生活に適応できなかったのは、家庭での親子関係が災いしていたからだろうと言っている。父親の稔は、とんでもない暴君で、中学生になった鈴香の帰宅が少しでも遅れると、拳固で殴りつけ、髪をつかんで引きずり回したという。
          
高校を卒業した鈴香は、栃木県鬼怒川の温泉旅館に就職する。父親の手元から脱出し、知らない土地で出直したかったからだ。だが、彼女は一年ほどで秋田県の実家に呼び戻されてしまう。父親が、糖尿病で目が見えなくなる、目が見えるうちに帰ってこいとウソの電話をしてきたからだ。

渋々郷里に帰ってきた鈴香は、能代市の結婚式場に就職し、それから、誘われてバーのホステスになっている。そして、同じ高校で一級下だった Kを「逆ナンパ」して結婚することになる。Kは背が低く声も小さい、茶髪にしても一向に風采のあがらない、どこか頼りげのない男だった。

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結婚相手のKは、畠山鈴香が男の子のたまり場に行ってハントしてきた若者だった。二人が結婚したとき、鈴香は21才、Kは20才という若さだったから、二人の将来を危ぶんだ鈴香の父親は、自分が費用を出してKに二種免許を取らせ、所有していたダンプカー4台のうちの一台を運転させることにした。鈴香の父は、バブル景気の余慶を受けてダンプカー4台を持つ運送業者になっていたのである。

若夫婦の生活は、乱雑を極めていた。

家事に関する限り、鈴香はまったくの無能力者だった。なにを、どこにどう片付ければいいのかわからなかったから、家の中は、足の踏み場もないほど散らかっていた。それでも、洗濯だけは自分でやっていた。

KはKで、経済観念がゼロに近く、スポーツ車の「スープラ」を購入して月賦を払いきっていないのに、RV車ミューを新たに買い込むというふうだった。やりくりに困った鈴香は、サラ金から30万円借り、これが後の自己破産の原因になる。

藤里町の町営団地に引っ越した若夫婦は、転居二ヶ月後に長女彩香をもうけたけれども、間もなく離婚している。Kの言い分は、鈴香が家事をやらない上に気性が激しく、とても一緒に生活できないというものだった。彼は妻に蹴飛ばされることもあったらしい。鈴香の方は、Kの浪費と浮気を離婚理由にあげている。

離婚成立後、Kは団地を出て行ったから、鈴香は幼い娘を抱えて町営団地で一人で生計を立てなければならなかった。

鈴香は、この自活期間中に、転々と仕事を変えている。鈴香がいちばん長く勤めたのは、隣町の奥羽本線・鷹巣駅ちかくにあるパチンコ店だった。店は国道七号線に面していて、パチンコ台を141台、スロットマシンを75台備えていた。店員は男女五人ずつだった。給料は手取り17、8万円で、家賃が最低基準の1万6000円だったから、母娘二人で何とか暮らして行けた。

鈴香はパチンコ店で、また年下の恋人を見つけている。著者の鎌田慧は、年少の男をナンパする鈴香の心理を次のように推測している。

<パチンコ店では、七歳下の同僚Tと知り合っていた。Tは夫とちがって背が高く、男前で見栄えがよかった。

Tが鈴香に惹かれたのは、物事をズバズバいう鈴香の「正しさ」だった。「自分を引っ張っていってくれる」という幻想のようなものがあった。鈴香にもようやく、自分をまっとうに評価してくれる人間があらわれたのだ。

二六歳の鈴香が、七歳下、二〇歳前の男にのめり込んでいったのには、子どもの頃からがんじがらめにして絶対服従、家父長的な父親からの脱却願望があった。結婚した相手が優柔不断、頼りない男だったことにも、鈴香の束縛する父親から解放されようとしてきた心情がよくあらわれている>

だが、鈴香はパチンコ店を退職してから、精神科に通院するようになった。生活保護を担当している民生委員から、ちゃんとした病院で診て貰うように助言されたからだった。また、その翌年には、彼女は卵巣膿腫の手術を受けている。

少女期から、立ちくらみ、嘔吐、難聴、円形脱毛症などの病歴があり、精神安定剤を常用していた鈴香は、この頃から、何度となく自殺を企てている。

鈴香の精神鑑定を行った秋田大学の西脇教授は、「被告は、自殺願望者である」として、次のような鑑定書を提出している。

<被告人は平成一七年五月三日に大量服薬自殺を図り、常識的にはその時落命するところであった。しかし日常的に薬物、特にかなりの量の睡眠薬を常用していたために被告人の身体にはかなりの耐性が出来ており未遂に終わっている。

そしてその後もインターネットの自殺サイトにアクセスして自殺の方法を研究し、特に練炭による一酸化炭素中毒による自殺を思い立ち、排気を防ぐための目張り用のガムテープまで購入したが、練炭の使用方法がわからなかったために練炭購入に至らなかったものの、常に自殺願望が持続していたものである。

さらに事件発生後にも、能代警察署留置場に拘留中に、タバコを食べることによる自殺企図、ボディーソープを半瓶くらい一気に飲む自殺企図、さらには秋田刑務所に移転してからも平成十九年八月二十五日に自らの手で頸部を締めようとする自殺企図があった>

殺害した娘の葬儀後、実家に身を寄せた鈴香は頭痛、不眠、めまい、食欲低下などに襲われ、ヨーグルトしか食べられなくなっていた。彼女は、一人になって落ち着きたいと願ったが、実家の肉親は自殺されることを恐れて、鈴香が団地に戻ることを許さなかった。

鈴香は幼い頃から父親の暴力にさらされ、学校ではクラスメートによるいじめの標的になった。こうしたことから、さまざまの心因性の持病に苦しむようになったところへ、シングルマザーになってからは、自殺を繰り返しては失敗するという行為が加わるのだ。彼女の記憶のいくつかが、自我保全のために選択的に意識内から抹消されるという現象が起きても不思議ではない。

鈴香が慎重に行動するかと思えば、自滅的な行動に走り、行動に一貫性が見られないのは、こうした背景があったからだと思われる。彼女は母と弟、それに恋人のTを愛していた。特にTに対する愛情は深く、獄中で書かれた彼女の手記を読むと、彼女にとってTが最愛の存在だったことが分かる。

にもかかわらず、鈴香は豪憲少年が行方不明になったったとき、「Tが怪しい」と口走ってしまう。これが原因で、対抗上Tは法廷で鈴香に不利な証言をすることになる。この裏切りとも取れるTの証言を聞いて、彼女は真っ暗な気持ちになるのだが、そもそもこれは鈴香自らが播いた種だったのである。

鈴香は手記にこう書いている。

<よかれと思って何かしても裏目裏目に出てしまった。・・・・辛いことも苦しいことも何もいらない。ただ静かにひっそりと生きたかった。それすらもかなわなかった。十分がんばって生きた。もういいだろう>

この数行の文章を私は、今回、鎌田慧の本で初めて目にしたのだが、これには畠山鈴香という女のすべてが現されているように思われる。私が彼女に関心を払うようになったのも、鈴香がこういう文章を書くような女だったからだ。女性の犯罪者には愚かなものが多く、逮捕されても、その理由を筋道立てて考える能力のないのが普通だが、鈴香は違っていた。

私は彼女についての感想を自分のHPにこんなふうに書いている。

<畠山鈴香という女が、ほかの女性犯罪者と違う点に気づいたのは、時折、彼女の口にする漢語混じりの言葉を聞いたときだった。彼女は実家のまわりにたむろするTV関係者に向かって、「早く、そこから撤収してください」と叫んでいた。「撤収」という新聞用語風の言葉を、男は時々使う。けれども、日常用語として女が使うことはほとんどないのである。ほかにも、彼女は何気なく、「得策ではない」と言ったりするが、これも、あまり女性が口にしない言葉だ。

畠山鈴香は、小中高を通して友達を持たず、一人でいることが多かったといわれる。
友人のいない孤独を埋めるために、女の子は過食して肥ってしまったり、少しも似合わないお洒落に身をやつしたりする。ところが、畠山鈴香は、読書に親しんだのである。彼女がほかの女性が使わないような漢語を口にしてしまうのは、活字の世界に深く馴染んでいるからなのだ。習い性となって、彼女は「渦中の人」になっても、事件を伝える週刊誌を山のように買い集めて赤線を引きつつ読みふけっている。

彼女は、あらかじめ考えておいた通りのことを語り、既定路線を一歩も踏み外さない。
記者たちの質問が想定範囲内のことなら、彼女は理路整然と語ることが出来る。だが、任意出頭して取り調べを受け、取調官から想定外の質問を浴びせられたり、発言の矛盾を突かれると、途端に対応できなくなってしまう。黙り込んで、体の不調を訴えるのだ。もしも、これが演技性人格の女だったら、どんな訊問をされようと、変幻自在の返答を駆使して相手を煙に巻くのである>

<秋田小一殺人事件を取り上げたワイドショウを見ていて、(ああ、これが畠山鈴香の原点だな)と思わせるようなエピソードにぶつかった。

そのエピソードとは、畠山鈴香が小学校の低学年だった頃、食の細かった彼女が食べ残した給食を机の中に隠しておいたというものだ。彼女の行為は、隠しておいた給食が腐敗して教室中に悪臭を発散させたことで露見したが、この話から二つのことが分かるのだ。

その第一は、彼女がイヤなものを拒否する好悪のハッキリした少女だったということだ。第二は給食をindex.htm処分するやり方が投げやりで、慎重な配慮を欠いていたということなのである。以上のことを頭に置いた上で今回の事件について考えてみよう。「イヤなものを拒否する」という点では殺人という行為はその最たるものであるし、殺人を犯す前後の畠山鈴香の行動は、小学生の頃の給食事件を連想させるほどに投げやりで杜撰なのである。

彼女は真っ昼間に児童の遺体をクルマに積み込み、白昼堂々とそれを河畔に捨てている。その犯行が人目に触れる危険性は、フィフティー・フィフティーだったのである。普通の人間ならもう少し頭を働かせるところを、彼女はばれたらばれたときというような居直りに近い気持ちであえてああした行動に出たのだ>

畠山鈴香の居直ったような、投げやりな行動は、「健忘」という症状を持ってくると説明できるような気もするのだが・・・・。