よその桜とうちの花
四月になると、マスコミは「さくら便り」を取り上げるようになる。私が購読している地方紙も、連日県内各地の有名な桜樹を写真入りで紹介するようになった。
家の近くには、高遠の桜もあるし、春日城址公園の桜もある。しかし私は、花見のシーズンにはこうした場所には近づかないようにしている。公園一帯の雑踏のことを考えると、意気阻喪して足を向ける気にならないのだ。
桜の名所を敬遠していた私も、地方紙に載っている「権現桜」の写真を見て、急に気持ちが動いた。これは県の天然記念物に指定されている桜の古樹で、樹高が15メートル、胴回りが8.2メートルもあるという。傍らに熊野権現の社があるので、この名前が付いたとある。
「権現桜」は、箕輪町の中曽根にあるというから、バイクで行けば30分とはかからない。
信濃毎日新聞に掲載されていた権現桜
(一つ、出かけてみるかな)
近頃、とみに重くなった腰を上げて、バイクで走り出した。
新聞には、現地の地図も載っていたが、なかなか目的の桜を探し当てることが出来ない。一旦はあきらめて、帰途についた。
桜を見に家を出て来たから、帰途についても、やたらに桜が目に付く。それも、桜の古樹が目に付くのである。そして、桜の古樹は、まあ、至る所にあるのだ。そこで、目に付いた桜の樹を片っ端からカメラに納めた。カメラはデジタルだから、いくら写真を撮っても懐が痛むことはない。
その一枚が、下の写真だ。
そのつもりになって眺めると、本当に桜は多い。森の中に、ぽつんと一本だけ桜があったり、林の縁を列をなして桜が咲いていたりする。下図は、林の縁に並んでいた桜である。
南箕輪村の小学校付近にも桜の大木があり、ここでたくさんの写真を撮った。その後で小学校の校庭に行ってみた。日本の学校は、校庭周辺に桜を植える慣習があるから、一番簡単なお花見は近くの学校に出かけることなのである。
珍しいものを見つけた。二宮金次郎の銅像である。戦前は、たいていの小学校の校門付近に、背中に薪を負い、手に本を持った金次郎像があった。だが、今では手を空にさしのべた児童の像(かならず、男女二人の像)などに置き換えられてしまっている。ところが、ここには昔懐かしい金次郎がいるのだ。
(これも天然記念物だな)と思いながら、金次郎像の写真も撮る。
久しぶりに外出したのだから、少し方々を見て歩こうと思って、バイクを山麓方面に走らせる。すると、江戸時代にあった名主の屋敷といった感じの家が目に付いた。
それから、こんな家もあった。集落を見下ろす一段高いところに、城郭のような塀を巡らし、由緒ありげな門を構えた旧家であった。
由緒ありげな旧家もよいけれど、やはり、一番心ひかれるのは次に見るような光景である。この写真では、ハッキリ見えないが、土蔵の土壁が崩れかけている。ただ古い土蔵だというだけではだめで、からくも持ちこたえているという風情のあるところがいいのである。
権現桜に対面することは出来なかったが、家に帰れば自宅にも貧弱な桜があるのだ。去年の晩夏に、毛虫の大群に襲撃されて丸坊主になってしまった桜である。丸坊主のまま冬を越したから、この桜はこれでおしまいだろうと思って、チェンソーで切りたおす準備をしていたのだった。それが、春になったら、ちゃんと花を咲かせたのだ。
家にあるのは桜ばかりではない。春の到来を迎える雑木がいろいろあって、それなりに花を咲かせている。
わが庭でもっとも目に付くのが、白とピンクの交錯を演出する小米桜と菊桃だろう。私は庭木については今西錦司主義者で、自由放任を旨としている。一旦植え込んだ木は、手を加えずにそのまま自然に放置しておく主義なのだ。小米桜は、ほったらかしておいたために視覚面でも満足できる結果を示した稀なケースで、毎年、家族の目を楽しませてくれている。
自由放任主義が巧く行かなかったのが、藤の花だ。藤棚を買ってきて、枝を棚の上に這わせたが、花が下に長く垂れるようにはなってくれない。が、これはこれで結構である。できの悪い子供が、かわいいのと同じである。
二階の窓からは、土手八丁の桜が見える。時折、この桜を三脚を据えてカメラで撮影しているアマチュアカメラマンを見かける。しかし、こちらは窓から撮影できるのだ。今年(2000年)の桜は、例年より見事だった。
権現桜のことが頭から離れないので、日をおいて再び箕輪町に出かけた。今度は、あらかじめ四万分の一の地図で所在地を調べてから、出かけたのである。行ってみると、ちゃんと案内の標識も出ていて、前回探し当てられなかったのが不思議なくらいだった。
権現桜
当日はウイークデーだったけれど、十数人の見物客が桜を見に来ていた。公園の花見客のように、筵を敷いて酒を飲んでいるものはいない。木の近くで座り込んでいる若者が一人、あとは桜の周りをゆっくり歩いたり、カメラのシャッターを切ったりしている。
この桜が、ほかの桜の大樹と違うところは、その幹周りの太さだ。例えば、このページの冒頭に掲げた桜は、権現桜よりも高く、20メートに達すると思われるけれども、幹の太さという点になると権現桜よりずっと細いのである。
権現桜は、年輪をたくさん加えたために胴回りが太くなっているのだ。
権現桜の幹
権現桜の幹(2)
とにかく、目指す桜を探し当てることが出来た。今年の桜見物は、これでよしとしなければなるまい。