再訪-水車のある家
十数年前、伊那のあちこちを歩き回ったことがある。その頃に撮った写真を取り出して眺めているうちに、その後の様子を見たいという思いが浮かんできた。それで早速出かけたのが、水車小屋のある家だった。
まず、14年前に撮った写真から見ていただきたい。
14年前
場所は駒ヶ根市の奥、落合というところ。渓流を挟んで両側から山が迫っている狭間に、その家はあった。その家の庭先に水車小屋があるのだ。
上の写真では分かりにくいが、右下隅に谷川にかけられた橋がある。その向こうに見える小さな建物が水車小屋なのだ。
14年前
水車は鉄製で、水車小屋は6畳間くらいの大きさしかない。この水車を動かす水は背後の山から引いてきているらしかった。私が訪れたのは初冬の季節で水が涸れていたせいか、水車は動いていなかった。
14年後
僻地の家が次々に捨てられて行く昨今、あの水車の家も見捨てられて廃屋になっているのではないかと、半ば懸念していた。だが、バイクで渓流沿いの急な坂道を上って、見覚えのある家の前に来ると以前より立派な屋敷になっているのでほっとした。
立派になったように見えたのは、屋根が新しく葺き替えられているからだった。茅葺きの屋根は、職人がいなくなったため、葺き替えの時期が来てもそのまま放置されているのが普通なのだ。ところが、この家はちゃんと葺き替えをすましている。そして前より数段、見栄えのする家に変わっているのである。
一枚目の写真と、上の写真を見比べて貰いたい。最初の写真では、屋根に苔が生え緑色に変色しはじめていたのに、上の写真にはそんな気配が少しもない。最近、こんなに美しく葺き替えられた民家を見たことがないのだ。
水車小屋も昔のままの姿をとどめている。だが、水車は動いていないし、屋敷全体がひっそりしている。しーんとして、人がいないようだ。
(あれ、おかしいな)
と思って、別の角度から屋敷内を覗き込んでみる。すると、家の雨戸が固く閉ざされ、人の住んでいる気配がなかった。
カメラを持っていると、大胆になる。私は躊躇したが、思い切って橋を渡って敷地内に入り込んだ。家の周りは掃き清められて塵一つ落ちていない。入り口の横に鶏を飼っていた小屋があり、そこにまだ新しい箕が立てかけてある。大きな引き戸には、ブリキ製の郵便受けが打ち付けてあって、配達される便りを待っているかのようだ。だが、この家に人が住んでいる感じは全くしない。
人が住んでいる感じがしないのは、立て切ってある雨戸が乾いて反り返っているところからくるようだ。にもかかわらず、縁先から庭の隅々まで、舐めたようにきれいに掃除してあるのはどうしてだろうか。
恐らく、こうしたことではないだろうか。
屋根を葺き替えて、永住の構えをしてみたものの、僻地の暮らしにはいろいろと不便がある。そこで市内に居を移した。しかし旧居の周りには畑もあり、果樹も植えてある。だから、時々、それらの手入れのために、ここにやってくるのだ。そして、その都度、家の内外を掃き清め、屋敷のたたずまいを在りし日のままに残しているのである。
この家を愛惜する家族の気持ちを物語るかのように、庭先にひとむらのキキョウの花が咲いていた。