羨望の地(1)
伊那谷のあちこちを歩いていると、
「いいところだなあ」
と溜息が出てくるような、場所にぶつかることがある。それはただの山野であることもあれば、集落であることもあり、生活の臭いのする人家であることもある。
例えば、上掲の風景。低い丘陵を縫って、くねくねと道が通っている。周りには、こんもりした森、林が点在する。細部まで手を入れた箱庭のような風景である。
同じ場所を少し左にカメラを振ってシャッターを押したのが、上の写真。数軒の人家がかたまっていることが分かる。こういう絵のような環境の中で暮らすのは、綺麗な女を妻にして一緒に暮らすようなものかもしれない。美女も見慣れれば何と言うこともなくなるし、やがて、もっと気さくで親しみやすい女性に惹かれるようになる。
景色がよくなくても、便利に暮らせる町場は、気さくな女房みたいなものだろう。美女がいいか、気さくな女房がいいか、それは人それぞれの好みによる。
景色もいいし、それほど不便でもないという中間地帯も、ないではない。上掲のような場所はバランスがとれていて具合が良さそうだ。
これも悪くない。家と家との間に木立があったり、畑があったり、適当に距離が保たれている。ここなら買い物にも不便しないだろう。
周囲の雑音に惑わされず、マイペースで暮らすには、上掲のような家がいいのではないか。家の前にはかなり広い水田があり、その向こうは渓流の流れる谷間があり、何処にも俗臭は感じられない。
これもマイペースで暮らせそうな家。家の背後には森があり、その奥は落ち込んで段丘崖になっている。全面は広々とした水田。
しかし、こういう所なら、他人と没交渉に暮らせるだろうと期待するのは早計である。人家が乏しければ乏しいほど、近隣との助け合いが必要になり、何かと会合や行事に引っぱり出されるのだ。戦争中の「隣組」とか「班」とかが、形を変えて今も生き残っているのである。
これも背後に木立、側面に水田のある民家だ。更に、宅地内には蔵や植え込みがあり、プライバシーが厳重に保たれている。こういう家に住んでいたら、庭先で裸になって日光浴ができるだろう。
個人的な好みでは、上の写真のようなところを愛している。これが私にとっての「羨望の地」なのである。