天網恢々疎にして漏らさず

これは「老子」の中に出てくるかなり有名な言葉ですね。天の網は穴だらけのようだが、実は緻密に出来ていて悪を見逃すことはないという意味で、人生経験が深くなればなるほど肯けてくる言葉です。


聖書には「復讐するは我にあり」とあります。人間が手を出さなくても神が悪を糺してくれるというのですが、老子にも同じような言葉がありますよ。天に代わって不義を討とうとすると大怪我をすることになるというのですね。


その仕組みは、一つには「互殺の理」でしょう。我の強いものが同じような仲間を嗅ぎ分けて互いを憎みあうように、悪をなす者は同様の存在と対立してリバイバル競争を始める。だが、より根本的な仕組みは人間存在それ自身の中にあります。


   「道、一を生じ、一は二(陰陽)を生じ、二は三(陰陽と沖気)を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負い、陽   を抱き、沖気以て和をなす」(42章)


ビッグバンによって総エネルギーが解き放たれ、現にあるような宇宙が生み出された。では、それ以前には何があったかというと、無があったと天文学者は言います。この無を老子は道と呼びます。そして彼は道が生み出した万物には沖気というものが付帯すると考えた。沖気は万物を調和させる「気」ですが、これは人間の内部に第二意識という形で投影されているのではないかというのが私の考えです。


第一意識は個人的エネルギーの状態を表示し、第二意識は総エネルギーの状態を表示する。第二意識は更にエネルギーを生み出した無=道への通路にもなっていて、私が体験した光はここから来ているように思われます。


われわれは、この万物を調和させる沖気からから離れて突出すると「奇となり、妖となって」自滅する。人間はそのように作られていると思いますね。別の言い方をすると、
エネルギーのアウトプット、インプットのバランスを配慮し、その平衡を取って生きていかねばならないということですよ。


必要以上の栄養を取り込めば、糖尿病とか肥満とかが待っています。そうならないためには、運動をしてエネルギーを放出してやらなければならない。権力を持てば、人間は必ず腐敗してダメになります。そうならないためには、「奉仕」「自己犠牲」によって
過剰な力を出してやらなければならない。過剰な資産や知識を抱え込んだ場合もアウトプットの方法を考える必要があります。


行き過ぎたと感じたら、そこでUターンして自然体に、低所に戻ることが肝要だと思います。これを老子は「早服」(早く道に戻る)と言っていますが、現代人に必要なのは早く道に復帰して「自滅の愚」を避けることではないでしょうか。


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