伊那谷の旧家(2)
バイクで村部を回っているうちに、よく見かけるのが下図にあるような門構えの家である。こうした門構えは、戦前に繁栄を誇った地主の家の特徴である。
入り口をはさんで両脇に二階建ての蔵がある。ここには、通例、客用の膳や塗り椀、季節季節に掛け替える掛け軸や書画骨董、礼装用の羽織袴などがしまいこまれていた。屋敷は公的な行事に使用されることも多かったから、そのための備品も収納されていた。
上掲の門も前出の門も、構造・規模がよく似ている。しかし、この二つの写真は、かなり離れた地域で撮ったものだから、同じ請負業者による建造物とは言いにくい。多分、これは伊那谷に共通する様式で、請負業者はこの共通様式に準拠して蔵を建てたのだろう。
これは両脇に蔵を備えていない門だ。屋根の両端にシャチホコなどがついていて、なかなか凝った門である。門に連なる塀も屋根付き白壁様式になっていて、格式を感じさせる。
こうした家には「門屋」という屋号がついていることが多い。旧幕時代には、一般の農家は門を作ることが禁じられており、村役人など特権的な農民だけが門を作ることが出来た。門構えを許された農民は、これを誇りとして「門屋」という屋号をつけたのだ。
門の両側に蔵があるが、土壁のまま残されている。この家も旧家であることは間違いない。門の横に茂っている樹木の巨大さから、そのことがわかる。
上図も土壁のままだ。こうした蔵は、「土蔵(どぞう)」と呼ばれていて、この中に収納されているのは自家製の味噌や醤油で、ほかに農機具や穀類を保存することもある。
自家製の味噌醤油は、大きな樽に一年分、あるいは二年分を保存しておく。保存のためには低温で陰暗な場所が望ましい。土蔵に窓がついていないのは、このためである。
上図は伝統的な門構えの変形と解釈できる。建物の中央にくりぬいてある入り口は、乗用車なら通過できるがトラックは無理だ。従って、この種の門は実用には適さず、屋敷の主人は、「全く、困りモンですわ」と冗談をいうのを常にしている。
実用には適さなくても、古い門には貫禄があるなあ。だから、みんな不便だと感じながら、こうした門を大事にしているんだな。