地方公務員の懐勘定
休憩所を建てたのは昭和50年。
昭和50年ともなれば、同僚はあらかたマイカーを持ち、今度の連休には海外旅行に出かけるというような話も職場の雑談でチラホラ耳にするようになっていた。
ところがこちらは十年一日のように自転車通勤を続けている朴念仁。
海外どころか、国内の観光地にも足を向けたことがなかった。
日曜百姓に精出すようになってから老子的な「低所志向」に益々磨きがかかり、
薄給の地方公務員にも拘わらず、金欠病とは無縁の暮らしを続けている。蓄えも少しなら持っていた。
(マイカーを買うつもりなら、休憩所はたたるな)と思う。
事実、休憩所は乗用車一台分の価格で出来上がった。金100万円なり。
ついでに、(香港旅行に行ったと思えば、耕耘機も買えるな)とばかり、
クボタの耕耘機も購入した。この代金は18万円だった。
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出来上がった休憩所は、上の写真で見るように、外観も中身もお粗末だけれど、8畳と4畳半の二間に押し入れとトイレがついている。建坪は7坪、これだけあれ ば 時に不自由はない。
上図は、現在使用している耕耘機。これがあると、作業がうんと楽になる。
休憩所で本を書き始める
中学生になっていた息子は、休憩所に天体望遠鏡を置いておき、夜、星を眺めに畑に出かけるようになった。
私は畑で草むしりをした後、菜の花などを眺めながら、本を書こうかと考えるようになっていた。地面にかがんで草をむしっていると、奇妙に「思索的」になる。
目が内に向くのである。そして、本当に書き始めたのだ。
日曜や休日には、家内に弁当を作ってもらい、水筒に水を詰めて休憩所に出かけた。平日は自宅の二階で書くが、休みの日には誰も訪ねてこない畑に出かけ、休憩所に持ち込んだ机に向かって筆を走らせ、疲れてきたら四畳半に据え付けてあるベットで休む。
テーマは33歳のある夜に遭遇した宗教的な体験を解明することで、そこらにいる無名の個人の内面史というようなものである。
一年間、脇目もふらずに書き続け、とうとう一冊の本を書き上げた。
宗教嫌いの人間による信仰告白というような本になった。
(本の題名は「単純な生活」)
草むしりの醍醐味
畑で草むしりをしていると、道を通りかかる人が声を掛けてくることがある。その内容には、二種類がある。
その1
「大変ですな」「ご苦労様です」
その声には、いたわりの気配があり、こちらに同情していることが窺われる。
その2
「いいですね」「楽しみでしょう」
これは日曜百姓の楽しみを知っている人の言。
よそ目から見れば、農作業の中でも、地面にへばりつくようにしてする草むしりは、ことさら、辛気くさく見えるかもしれない。
だが、これがとてもいいのである。トウモロコシの葉擦れの音を聞きながら、草をむしっていると世事の憂さを忘れて、自分だけの世界にひたることが出来る。
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