車谷長吉「世界一周恐怖航海記」
久しぶりに車谷長吉の本を読んだ。「世界一周恐怖航海記」という本である。
車谷の本の面白いところは、私情をむき出しにして書いているところだ。公正であろうとして個人感情を殺してしまう世上の論考にくらべると、書き手の気息がハッキリと伝わってくる点が面白いのである。この本にしても船で一周してきた世界について書く代わりに、同乗した相客の生態を描写したり、女房自慢をしたり、わが身の来し方行く末を思いやったり、気ままに筆を進める書き方をしている。
大体、彼は世界一周なんぞをしたくなかったのである。夫人がその計画を立てたので、家に一人で置いてけぼりにされるのが怖くて付いていっただけなのだ。案の定、船に乗ってみると回りは海ばかりで、幽閉されたような気分になり、ひたすら彼は図書室にこもることになる。
乗客には女が多い。その女性客たるや、
<この船の女の乗客の大半は、セクシー・ギャルかセクシー婆アである。男を誘惑する女である。ところが誘惑されて乳房にさわると「痴漢ッ。」と騒ぎ立てる。男をなぶりものにしているのである>こういう女客にくらべると、車谷夫人は断然優れている。
<美人を見ると、なぜ心地よいのだろう。分からない。不思議だ。美人ではあるけれど、性器の汚れているような感じのする女がいる。女優・歌手の類いに、この手の女が多い。「性器の汚れているような感じ」とは、絶えず性器が発情しているという意味であるが。
女は「飽き」の来ない女が一番だ。うちの嫁はんだ。美人というだけでは、すぐに飽き来る。元美人の糞婆アが厚化粧しているのほど、おぞましいことはない。そういう女がこの船の中にも数人いる。それとは別に、醜い女を嫁にしている男がいる。味わい深いことである>ついでに、この本の中にある彼の「のろけ話」を引用しておこう。
<数年前のある晩、いっしょに飯を喰うている時、順子さん(注:車谷夫人のこと)が「くうちやん、私が先に死 んだら、そのあとどうするの。」と言うた。「朝日の古高さんに来てもらって、二人で暮らす。」と答えると、順子さんは卓袱台をひっくり返して、わツと大声で泣き出した。
驚いた。古高亜紀さんは朝日新聞学芸部記者で美人、嫁はんより十歳ぐらい年下で独身、嫁はんとも顔なじみ。・・・・・数日後、嫁はんは「くうちやん、お墓を買いたい。そのお墓にくうちやんと私の名前を二つ彫り込むの。そしたらもし古高さんが後から来ても、私たちの墓には入れないから。」と言い出した。
そしてこの世界一周旅行から帰国したら、墓を買うことになっている。嫁はんとしては死後も絶対に私を放さない積もりである。もし私が古高さんと再婚すれば、「化けて出てやる。」積もりなのだそうだ。女は凄いものである。私には順子さんより先に死ぬ以外に救いはない。>
ちなみに車谷夫人高橋順子は、東大卒の才媛で詩人である。
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しかし車谷長吉は、この本の中で、女客をくさしたり、のろけ話をしているだけではない。車谷の本には一本の太い縦糸があり、これあるがために彼の披露する馬鹿話も自ずとところを得てくるのだ。その縦糸とは「世捨て人」として生きてきた既往の打ち明け話であり、そこで醸成された自身の虚無感を記すことなのである。
彼は慶応大学の独文科を出てから広告代理店に勤めている。サラリーマンになって、安定した収入を得るようになったものの、人生の切所に触れていないという焦慮に襲われて毎日じりじりしていた。25才になって、腹を決めて会社を辞める。世捨て人になろうとしたのである。すると、焦慮は、すっと消えた。
それから彼の流浪の生活が始まる。総会屋の手下になったり、旅館の下足番になったり、料理場の下働きになったりしたが、この間彼は一度も焦慮を覚えることはなかった。こうした体験を通して彼は作家としての眼力を養っていくのだが、その彼を支えていたのは特有のニヒリズムだった。
彼は、過去を顧みて、「早く死にたい。そんなことばかり思うている」と書いている。人間が「よきもの」だと考えるのは錯覚であり、人間は「あしきもの」なのだ。彼は、「こう思うようになった過程が、私が作家になった過程だった」と打ち明ける。そして、「私は見るべきものはこの世で見てきた。それは人の愚かさ、卑しさばかりであった」という。このへんが、浪花節でいえば、「車谷節」なのである。車谷ファンは、この「車谷節」を聞きたくて、彼の本を買うのだ。
この「世捨て人」志向を背景に、車谷が攻撃の矢を向けるのは大学教授になった文学青年たちである。「世界一周航海記」と銘打ったこの本には、「人生の安楽椅子にすわる」ことばかりを念頭に、文学修行というものを忘れ去った大学教師に対する非難が繰り返し語られる。
福永武彦も、車谷の呪詛を浴びた一人である。
<この世への執着として、吉田兼好は『徒然草』を書き残した。福永武彦は甘ったるい小説を書き残した。お笑い種だ。二人とも、それぞれ別の意味において愚か者である。
福永にあるのは、ゴーギャンのように生きられない自分の、ゴーギャンへのあこがれだけである。だから、あんな甘ちゃんの小説を書き残したのだ。一生「大学教授」という安楽椅子に坐り続けた男だ。『徒然草』は絶望の書である。仏道修行にも実は救いがないことを知らしめる書である。それでいて兼好は自殺もしなかった。天寿を全うした。愚か者である>
ところが、不思議や不思議、本の後ろの方に、次のような奇怪な文章が載っているのだ。
<私は今年9月から慶應義塾大学文学部非常勤講師(詩学担当)になる>あれほど文学部の教師をけなしてきた車谷が、ケロリとした顔でこんなことを書く。そして、こうした矛盾は彼の十八番といっていいくらいなのだ。
車谷は、私が先に引用した「おのろけ話」の中で、世界一周旅行が済んだら墓を買うことになっていると語る。だが、彼は別の本の中で、自身の遺書を公開し、強い口調で墓を作るなと命じているのだ。
<1,私の葬式は行ってはならない。屍体はゴミとして処分すること。
1,私の墓を作ってはならない。骨を姫路名古山の墓(車谷家の墓所)に葬ることもならない。骨はゴミとして処分すること。
1,私の遺体・遺物・遺産は、私の死後、誰もこれを継承・使用してはならない。遺物・遺産は凡て、これをゴミとして焼却する こと。
車谷嘉彦(車谷長吉の本名) >index.htm
遺書の第二項で、ハッキリと「私の墓を作ってはならない」と命じておきながら、彼はいそいそと自分の墓を作る予定を語る。
車谷の著書を子細に読んで行けば、この種の矛盾をいたるところに発見できる。しかし、読んでいてあまり腹が立たないのは、その各時点で彼が子供のようにムキになって書いていることが分かるからだ。それぞれの瞬間に彼はウソのない純一無雑な気持ちで文を書いている。日本語には、車谷にとって大変都合のいい言葉がある。「天衣無縫」という言葉だ。
われわれ日本人は、「天衣無縫」の人間に抵抗することが出来ない。その意味で、車谷長吉は、最も日本的な作家といえるかも知れない。