便利な蔵

現在、自宅に蔵を建てることは、費用の点で、また敷地の関係で非常に困難になっている。にもかかわらず、村部を回っていると、今でも蔵を建てている光景にぶつかる。別にステータスシンボルとして、蔵を作るのでもないし、懐古趣味から蔵を建てるわけでもない。便利だからである。特に、伊那谷では蔵があると、快適に暮らせるのだ。

まず、防犯に役立つ。蔵を目当てに泥棒を働くことは、実に難しかったらしい。そこで、蔵泥棒を昔は「娘師」と呼んだそうである。蔵破りは、娘をものにするのと同じくらい難しいという意味だとか。何しろ、外側を分厚い土壁で固め、芯に厚い板を塗り込んであるのだから、いかに腕に覚えのある強者でも、到底、壁を突き崩して中に侵入することは出来ない。

窓も大変小さい。上の蔵は、下半分だけ白壁にしてある土蔵である。この写真では定かではないが、壁にについている二つの窓は僅かに20センチ四方くらいしかない。ここから人間が忍び込むことは不可能だ。

結局、中にはいるには、入り口を使うしかない。蔵には通例、現代の防火壁に似た観音開きの土扉がついていて、その奥に引き戸がある。

引き戸の錠は、南京錠ではなく、床に垂直の桟を落として動かなくする和風の錠で、簡単には開かない仕組みになっている。

上図を見ると、二階建ての細長い土蔵の一角が、住居として用いられている。蔵は防犯・防火を第一の目的に作られるが、住居として使われる場合もある。

分厚い土壁が夏の暑さ、冬の寒さを防いでくれる。その上、防音効果もあるから、蔵の中にいれば水の底にいるように静かだ。

私は病院の大部屋にいたとき、その雑然とした雰囲気にいたたまれず、悪化する病状も加わってノイローゼになり、相当深刻な不眠症になったことがある。そのとき思い浮かべたのが生家の蔵だった。あそこに行けば何とかなる。しーんとした蔵の二階なら、眠られると思ったものだ。

上の写真。こうした蔵を見かけるのは始めてだ。家の正面に位置する、門を兼ねた左右対称の蔵はよく見かける。でも、これは家の裏手にあって、双子型の蔵を抜けた先(この写真の手前の部分)は、菜園になっている。

これも母屋は向こう側にあり、蔵と蔵の間を抜けた先が、自家用の畑になっている。前の写真と同じである。一番、手前に見えるのは葡萄棚だろう。この家の周りにはかなり大きな用水路が通っており、何となく堀に囲まれた城館を思わせる。

あまり見かけない建物の配置なので、カメラに収めた。蔵と住宅が並んで建てられてる。しかし、子細に見れば、人が住んでいる母屋は向こう側にあり、手前左側の住宅は物置として使われているらしいことが分かる。二階にはしごが掛けられている。どうもこれは、収穫物の保存用に使われているらしい。

上の二枚の写真は、ちょっと眺めただけでは、同じ場所を撮った組写真に見えるだろうと思う。石垣の上に同じような蔵があり、前面に道が通っている。でも、これは別の地区で撮った別の写真なのである。

つまり、村部を行けば、同じような光景がいくらでも見られるということだ。そして、それは蔵が伊那谷の風土にマッチしていることを意味している。蔵の二階は防犯・防火のために使われ、階下は冷暗な場所好む味噌樽や漬け物桶を保管する場所として使われる。

町場の住民も、狭い敷地を工面して信州味噌・野沢菜の漬け物を保存しておくためにブロック製の小さな物置を作っている。これは土蔵のミニチュア版と言っていいだろう。私も余裕があれば蔵が欲しいが、とても手が出ない。

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