猫顔と犬顔

人の顔形を、「猫顔」と「犬顔」に分けるとすれば、昔は断然犬顔の方が評価されていた。犬顔とは面長のテリアみたいな顔で、猫顔とは寸詰まりの栗の実のような顔なのだが、明治大正までの美女はことごとく面長の犬顔だった。長い顔でないと、美人とは言われなかったのである。

ところが、時代が新しくなるにつれて、猫顔の評判がよくなった。以前は「女中顔」として軽く見られていた猫顔の方が、若者に好かれるようになり、男性の好むタレント調査では、猫顔の女性が圧倒的に多くなっている。

江戸時代の浮世絵に描かれていた美女は、すべて瓜実顔で目も口も探してみないと分からないほど小さかった。現代の美女は、全く逆で、寸詰まりの顔に大きな目と口を持っている。昔は、無個性的で、従順で、男の言いなりになる女が好まれたのに対し、今では、個性的で活気のある女性が好まれるようになったのだ。目と口の大きさが、個性的な活力を示すように思われはじめたのである。

オリンピックの女子マラソンを眺めていて、高橋尚子選手は典型的な猫顔をしていると思った。特に、スタジアムに戻って来て、ラストを懸命に走る彼女の顔にその感じが強かった。

猫顔・犬顔という分類で区分けをすれば、有森裕子選手と山口衛理選手は犬顔で、水泳の千葉すず選手も犬顔の部類に入る。市橋有里選手は猫顔である。

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42キロを走り抜いて、テープを走り抜けた後の高橋尚子選手の表情が印象的だった。これまで、ゴールインしたマラソン選手は、顔に疲れきった表情を浮かべるか、全力を使い尽くしたあとの放心にちかい表情を浮かべるか、そのいずれかだったから。

全力を出しきって、いわば燃え尽きてしまった選手には、それ以外の表情を浮かべる余裕がないのだ。

高橋尚子選手

だが、テープを切った後の高橋尚子は、疲労の色も、放心の表情も浮かべていなかった。その代わり、途方にくれたような、これからどうしたらいいか分からないというような、不安そうな表情を顔に浮かべたのだ。完走してもまだ余力をのこしていた彼女は、直後に生まれた感情をそのまま顔に表してしまったのである。

彼女は、オリンピックを目指して数年に及ぶ過酷な練習を続けてきた。頭の中はそのことだけで一杯だった。そして、彼女はついに目標だった金メダルを獲得した。

これが普通の選手だったら、余力を残してゴールに飛び込んだら、飛び上がって喜びを表現したり、観客に向かって笑いかけたりしたに違いない。

が、目的を達した瞬間に高橋尚子を襲ったのは、喜びではなく次に何を為すべきかという「問題意識」だった。それが分からなかったから、彼女は困惑の色を浮かべたのである。

彼女は、「監督は?」と言って、目で監督を捜した。監督の指示を忠実に守って練習してきた彼女は、習慣に従って、ここでもつい「指示待ち」の姿勢を取ってしまったのである。

私は別に、彼女を貶めるつもりでこんな事を言っているのではない。高橋尚子は28歳になり、レース後のインタビューでも年齢にふさわしい適切な応対をしている。だが、ことマラソンに関しては、監督の指示に従い、監督が立案したスケジュール通りに行動してきたから、テープを切った瞬間に次に何をしたらいいか分からなくなったのだ。

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山口衛理は、18キロ付近で高橋、市橋が飛び出したとき、ひるんでしまってついて行けなかったと語っている。勝ち気だという評判の山口選手が、肝心の場面で弱気になったのは、コーチの指示よりも自分の判断を優先して練習してきたツケが回ってきたためと思われる。

コーチの指示に忠実だったら、ひるむ気持ちを押さえてトップグループについていったに違いない。だが、山口選手は自主的だったが故に、自身の判断に基づいて行動し、大事な場面でチャンスを逸してしまったのだ。

山口衛理選手と市橋有里選手

犬は人間に忠実で、飼い主の指示に従うけれど、猫は「自主的」でそうはいかないとされている。犬と違って、猫を手なずけることは困難なのである。

しかし、今回、マスコミの脚光を浴びた女子選手についてみると、犬顔の選手には、我が道を行く猫的性格の者が多く、猫顔の選手にコーチや監督の助言に従う犬的性格の者が多い。

水連に反旗を翻した千葉すず選手は犬顔で、陸連幹部に可愛がられているとされる市橋有里選手は猫顔なのだ。こういうところを見ると、現代の若者が猫顔の女性に惹かれる理由も分かるような気がする。犬顔の女性が真面目で自分を曲げず面白味に欠けているような印象があるのに反し、猫顔女性は活発で明るく同調性に富んでいるような感じがするからだ。少なくとも、高橋尚子が、そのような女性だったことは確からしい。

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