微量の善意
テレビとは長いつきあいだが、大方のTV番組は頭を通過するだけで、心に残るものは少ない。
記憶に残っている少数の番組は、すべてドキュメンタリー番組で、映像が優れているとか何とかという以前の、事実自体の重さによって衝撃を与えられたというふうなものばかりだ。
例えば、NHKが放映した「百人の親子に聞く」という番組の一カットが記憶に残っている。これは、50組の父と息子をスタジオに集めて、親子それぞれの意見を聞くという番組だった。
アナウンサーが息子たちの並んでいる席に分け入って、「あなたは、お父さんをどう思っていますか」というような質問をして回る。さすがに選び出されて出席している高校生たちだけあって、「尊敬している」とか「人生の先輩として敬意を払っている」とか、いずれもソツのない答え方をしていた。
ところが、一人だけ「僕は父が、嫌いなんです」と言ってのけた高校生がいた。甘やかされて育てられたお坊ちゃん風の高校生だった。理由を尋ねても、彼は「嫌いだ」と繰り返して、父親への嫌悪感を表明するだけだった。テレビの残酷なところは、カメラが即座に切り替って、当の父親を矢面に立たせて、「今の息子さんの言葉をどう思うか」という質問を浴びせかけるところである。
テレビカメラを向けられたのは、会社の部課長クラスといった感じの父親で、彼はただ一言、「それは残念ですな」と答えた。この返答の短さと、そう答えたときの父親の憮然とした表情が、ハッキリと記憶に残っているのである。父親であることのつらさ、といったようなものが、男の表情から明瞭に感じられたからだ。
ドキュメンタリー番組の伝える「事実の重さ」とは、実は、人間の苦悩の重さに他ならない。人の世の苦しみをリアルに伝えるから、ドキュメンタリー番組は印象に残るのである。
そうした意味で、私の心に焼き付いて離れないドキュメンタリー番組が二つある。
一つは、「天寿を全うせず」という老人の自殺を扱った番組で、30年ほど前に見たもの、もう一つは、これも昔放映された老夫婦の心中を取り上げた番組だった。
前者には、妻に死なれ、子供たちが家を出てしまって、一人廃屋に取り残された老人の日常が紹介されていた。この老人は屋根の一部が崩れ落ちて青空が見えるような家に住んでいる。食べるものにも事欠くので、棒で蜂の巣を落として、醤油をつけて食べる。蜂の子を食べるのではない。レンコン状をした紙のような蜂の空き巣を、ぱりぱり食べるのである。老人は、取材のレポーターに「(毎日が)地獄ですわ」と語っていた。
見かねた役場が、老人のためにベニヤ板作りの住宅を建ててやる。すると、その噂をどこかで聞きつけたのか、各地を放浪していた渡り職人の息子がふらりと戻ってくるのである。久しぶりに戻ってきた中年の息子を迎えて、老人はむしろ警戒の色を見せる。
テレビカメラの前で、無言で向かい合っている父子の表情は、まるで森林の中で偶然顔を合わせた二匹の獣のようだった。互いに相手の腹を探り合うような視線を交わしながら、押し黙って対座しているのだ。
やがて、息子はやってきたときと同じように、飄然と立ち去って行く。テレビカメラは、背後を振り返りながら、林の中に消えて行く息子の表情を映し出す。どこか人のよさそうな息子の顔には、当てがはずれたな、というような表情がハッキリ浮かんでいた。
後者の番組は、死に場所を求めてさまよい歩いた老夫婦の足跡を辿るドキュメンタリーだった。
都会に出て公務員か何かをしている息子が、田舎に残した父母を案じて、二人をアパートに引き取る。悲劇は、ここから始まるのである。同居して、さほどたたないうちに両親は、新しい生活に耐えがたい苦痛を感じるようになる。田舎の住まいを処分して上京してきた両親には、最早、帰るべきところがない。絶望した老親は、手持ちの貯金を全額下ろして家出をする。各地の温泉を転々とした後に、貯金を使い果たした哀れな老夫婦は、入水自殺を遂げるのだ。
老親への配慮があだになって、二人を死に追いやった息子は、カメラに向かって、「よかれと思ってやったことだが、こんなことになるとは」と語っていた。この時の、どうしても納得できないというような息子の顔が印象的だった。馬鹿正直で頭の固い息子には、両親に死なれてしまった後も、まだ、何故こんなことになったのかその理由が理解できないでいるのだ。
こうした人の世のつらさ苦しさをかいま見せるようなドキュメンタリー番組を見てきて、「クラウディアからの手紙」という作品にぶつかると、正直、ほっとする。
この作品は、日本海テレビ制作のドキュメンタリー番組で、優れた放送作品に与えられるギャラクシー賞を獲得している。wowowがこれを再放送したので、私も視聴できることになったのだ。
作品のあらすじはこうである。
戦時下の平壌で、妻子と共に平穏に暮らしていた会社員蜂谷弥三郎が、敗戦直後、進駐してきたソ連軍に逮捕されてしまう。スパイ容疑であった。シベリヤに連行された蜂谷は、やがて釈放される。だが、KGBの監視下にあって帰国の見込みが立たない彼は、クラウディアというロシア女性と結婚してしまうのだ。こうして、彼は国籍を異にする二人の妻を持っことになる。
クラウディア
ロシア人妻クラウディアは、ソ連に永住しなければならなくなった蜂谷に同情して、その庇護者になる。ロシア語をろくに話せなかった蜂谷は、クラウディアの支えがなければ、厳寒のシベリアで生きて行くことができなかったに違いない。
蜂谷は帰国後、クラウディアの人柄について深い敬意をもって語っている。彼女から与えられた配慮を思い起こすと、涙が出ると言っている。
クラウディアは、ロシア革命後の混乱期に、他人の家を転々としながら成長した。そして、成人後、就職した職場では、上司から汚職の罪を押しつけられて、10年の刑を受けている。こうした経歴の女性なら、人を恨み、世を憎む暗い性格になっても不思議ではない。ところが、彼女は、虐げられた人間に手をさしのべる優しい女性になり、異国の地で生きる蜂谷の支えになったのである。
クラウディアは、長い間、日本人の夫を天涯孤独の境遇にあると思いこんでいた。だから、彼が日本に帰りたがっているとは思わなかった。その彼女も、夫が人からもらった日本の新聞を大事に保存して、繰り返し読んでいる姿を見て、その心情を推察するようになるのだ。
やがて、ソ連が解体して、蜂谷は日本の親族とと連絡を取ることができるようになる。
彼は平壌で生き別れになった妻が、引き揚げ後再婚しないで自分の帰国を待っていることを知る。彼女は、保健婦になって生計を立て、独力で娘を育て上げていたのだ。
ロシア人妻クラウディアは、37年に及ぶ結婚生活をうち切って、蜂谷を日本人妻の元に帰すことを決断する。「他人の犠牲の上に、自分の幸福を築いてはならない」という想いが、彼女にこうした決断をさせたのである。
帰国した蜂谷が、50余年ぶりに故郷の駅頭で妻と再会するシーンは、感動的だった。出迎えの人々の間に混じって列車の到着を待っていた妻久子が、列車から降り立った夫を目にした瞬間に、何もかも忘れて子供のように走り寄るのだ。そして夫の胸にしっかり抱き取られる。
夫はすでに80歳を越え、若かった妻も今では同じ年頃の老女になっている。だが、再会した二人には、50年余の歳月も存在しなかった。互いの顔に刻まれた深い皺も目に入らなかった。相手を一目見るなり、昔の感情が奔流のようによみがえってきて、二人の胸を充たしたのだ。
現在、蜂谷夫妻は、妻の貯金で建てた小さな家で暮らしている。ロシア人妻のクラウディアは、今も、シベリアの旧宅に住み、結婚指輪をはめたまま、週に一度、日本の蜂谷に手紙を書き、蜂谷も欠かさず返事を書き送っている・・・
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蜂谷のケースに登場する人々は、特別な人間ではない。日々を平穏に暮らすことを願いとする普通の人間たちである。けれども、彼らはそれぞれ「微量の善意」を持っていた。それが目に見えないところで働いて、三人にこのような人生を歩ませたのだ。
この三人だけではない。すべての人間が「微量の善意」を持っている。アダム・スミスは、この世を成り立たせているのは人間の利己心であり、打算だと言っているけれども、打算だけだったら、蜂谷のようなケースが生まれるはずはない。
われわれは皆、度し難い、エゴイストである。だが、ひとしく「微量の善意」を持っている。そのために家族制度も成り立ち、人間社会も存続する。アポロ宇宙船以来、人が狭い国家意識を抜け出して、地球人意識を育てつつあるのも「微量の善意」のためだ。
「微量の善意」を、エゴの砂漠に埋もれた砂金のようなものとしてイメージしてはならないだろう。人格を同心円構造を持つものと仮定して、善意や良心を自我の内部にある核心と想定するのは間違っている。エゴをいくら掘り進んでいっても、善意の泉に行き当たることはないのだ。
善意は外側にあって、エゴという内円を包み込んでいる。エゴの外部に善意の世界があり、エゴに小さな穴があいたときに外円世界から善意の光が射し込んでくるのだ。射し込んでくる光は一筋で、エゴの目からは「微量」としか感じられない。しかし自我意識は、広大な善意の海、愛の海に浮かぶ椰子の実のようなものなである。微量なもの、ちっぽけなものは善意ではなくて、実は各人の利己心なのだ。