羨望の地(3)
一時期、雑木林を背にした日当たりのいい家に住みたいと夢想したことがある。庭先には小川が流れていて、野鳥が水浴びにやってくる。それをガラス戸越しに眺めながら、新時代の外国文学を読む、というような生活を夢見ていたのだった。
だから、バイクであちこちを流して歩くようになってから、森や林を背にした家を見ると、ついカメラを向けてしまうのだ。伊那地方には、こうした条件を備えた家が至るところにあるのである。
上図は丘といってもいいような低い山波を背にした一群の住宅で、新築間もないような家が集まっている。下図は山裾に一軒だけ見かけた大屋根の家だ。いずれも背景になっているのは雑木林で、今は緑に覆われているが秋になれば紅葉する。
雑木林というのは、冬になると落ち葉が地面に散り敷いて絨毯のようになる。そしてそこに陽光が暖かく射し込み、振り仰ぐと木々の梢に光が泡のようにとまっている。
夏は緑濃い葉が茂って涼しく、冬には人肌のような温かさを感じさせるのが雑木林なのだ。森や林は、それ自体で小宇宙を形成している。複雑にして多様、たくさんの生物をはぐくみ内に無限の変化相を隠しているのである。
この夢のような茅葺きの家を見よ。
この茅葺きの農家は道路より一段高みにあるので、家に入るには緩やかな取り付け道を上って行かなければならない。家の周囲は木々に包まれ、前方に畑と水田が開けている。昔話に出てくる爺さん婆さんは、このような家に住んでいたのだろう。
上の写真は「伊那谷のお屋敷」の項で一度紹介した。この家も周囲を木々に取り囲まれ、前面が平坦部に向かって開けている。
背後の地形があまり急傾斜だと、雑木林の有難味も薄れてくる。部屋の延長部分のような気安さで林に行き来することが出来なくなる。でも、屋根に被さりかかるような樹木を見ると、感じてくるものがある。
「お山の大勝われ一人」というふうな住宅。瘤のように盛り上がった台地上に一軒だけ家がそびえ、下方の集落を睥睨している。残念なのは背後の木立が杉・サワラなどの常緑樹なことだ。台地の斜面に数多くの苗木が植え込まれているから、十年もすればこの家は樹木の中に埋もれていることだろう。
平地にある家でも、高々と茂った木立に囲まれると、森の家という感じになる。これも悪くはない。が、家を取り囲むケヤキや椎がこれだけ大きくなると、アットホームな温かみが失われてしまう。この家には荘重な威厳が感じられるが、住心地はどうだろうか。
上図も丈高い木立に囲まれているように見える。でも、これは家の背後が小高い丘になっているためで、樹高はそれほどでもない。快適に暮らすには、周辺の木の高さはこれくらいが限度かも知れない。