自縄自縛の国 1
もし本当に日本の国を憂える人間がいたとしたら、まず為すべきことは少子化傾向に歯止めをかけることではなかろうか。出生数の減少が続けば、年金問題に影響が出るばかりではない、産業経済の全般に深刻な打撃が及ぶだろう事は疑う余地がないのである。先日、新聞に載っていたNewsweek日本版の広告を読んでいたら、世界的に婚姻形態が変わってきているのに、日本のそれは化石のように古い制度に縛られている、とあった。今や、欧米では正規の結婚以外に同性婚あり、事実婚あり、結婚の形態が大幅に増えているというのである。
少子化の原因として、保育園が足りないとか、教育費に金がかかりすぎるとか、社会的な問題が取り上げられているけれども、より根本的な問題はこの化石的な婚姻制度とそれを支える日本人の意識にあるような気がする。
今日読んだ新聞によると、欧州では事実婚(つまり同棲)が法律婚と同様に法の保護をうけていて、そのため若い男女が同棲して婚外子をもうけるケースが増えているという。以前に少子化で苦しんでいた欧州諸国の出生率が改善されたのは、この婚外子の増加によるというのだ。
ところが、日本では民法に婚外子への差別規定があるのである。その結果、生まれてくる子供のうちで婚外子のしめる割合は僅か2%に過ぎない。これは何とかした方がいいのではないか。ところが、こうした差別方式を日本の守るべき美風として、憲法を改正してまで強化していこうとしている政党があるのだ。
自民党の憲法改正プロジェクトチームは、現憲法24条の「婚姻・家族における両性平等の規定」を、より家族・共同体の価値を重視する方向に修正すべきだと提言している。全く、馬鹿なことを考えるものである。
生まれてくる子供の立場で考えてみれば分かる筈である。法律婚の両親から生まれてこようが、事実婚の親から生まれてこようが、子どもの人間としての価値に変わりはない。子ども全員が、同じ権利と義務を持つて生まれてくるのである。
昔は、男女が一緒に暮らすには、永遠の愛を誓う法律婚によるしかなかった。だが、男女間の愛情はいろいろであり、一生を縛られるような関係になることをためらう程度のものが多い。
一緒になっても、それぞれの仕事を優先して、男女別姓を望む者もあれば、試験的に一定期間だけ暮らしてみようとする者もあり、成り行きで何となく同棲してしまう者もある。法律は、こういう多様な現実に対応すべきなのである。
男女関係に寛容な社会では、愛の種別に応じたさまざまな同棲・結婚形態がありうることを法的にも承認する。その結果、「性道徳」が乱れたり、偕老同穴型夫婦が減少したり、子どもに躾が行き届かなかったりするマイナスは出てくるかもしれない。だが、そんなことよりも個人の意志を尊重することのほうが重要なのである。
アメリカでは妊娠する高校生が増えて、高校によってはそれらの女子高生だけを集めて妊娠学級を編成している。未婚で子供を産んだら大変なことになるというので、妊娠したら慌てて中絶に走る日本の高校生と、どちらが「道徳」的といえるのか、軽々に判断を下せないのである。
自民党は少子化の進行を抑えようとしながら、少子化の進行を促進する化石的な婚姻制度を強化しようとしている。法律婚に基づく理想的な家族が集まって、秩序整然たる共同体が形成された。だが、少子化の進行によって、その共同体は消失してしまった・・・・というのでは、困るんじゃないかな。
自縄自縛の構図とは、このことである。自称愛国者の集まりである自民党員は、膝に手を置いてとっくりと考えた方がいいのではないか。
2 自民党のプロジェクトチームは、天皇制の問題でも同じような自縄自縛の論理を展開している。現憲法は、国民主権の原則と天皇制を矛盾なく併存させるために、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」としているが、これを「天皇の地位は、わが国の国柄に基づく」と変更したがっているのである。
天皇の地位を「わが国の国柄に基づく」とし、皇室を「わが国の文化・伝統の体現者」としたら、最早、皇室に嫁ごうとするまともな女性はいなくなるだろう。
考えてみてほしい、今の皇太子の花嫁を探すのに関係者がどれほど苦労したかを。候補の女性は次々に浮上したけれども、彼女らは自分が候補になったことを知ると慌てて、外の男性と結婚してしまったのだった。雅子妃も最初は、自分は皇太子妃になる気はないとキッパリと言い切っていた。
その雅子妃が翻意したのは、このままで行ったら日本はどうなるかという使命感からだったらしい。今でも記憶しているが、成婚の当日、雅子妃の母親は記者たちの問いに答えて、「お国のために娘を差し上げました」と答えている。
日本国のため皇室のため、使命感に燃えて皇室に嫁いだ雅子妃を、「わが国の文化・伝統の体現者」たる皇室と皇室制度が、心身共にボロボロにしてしまったのである。具体的には、宮内庁勤務の公務員千百名、皇太子専属の職員百名が、皇太子妃を世継ぎ製造の人間機械として処遇することで、彼女のプライドをめちゃめちゃにしてしまったのだ。
美智子皇后、雅子妃という相次ぐ二人の犠牲者を出してしまった以上、もう、まともな女性が皇室に嫁ぐことはないだろう。皇位継承者が女性になった場合には、今度はお婿さん捜しに苦労するだろうことも疑いないところだ。
天皇制を存続させたいと思ったら、制度自体を軽量化して皇族の生活を一般市民のそれに近づけることである。宮内庁職員を二百名程度に減らし、皇太子付きの職員も20人くらいにして、宮中行事をゼロに近いまでに減らすのだ。能狂言の役者のように型にはまった行動を朝夕強いられたら、人間だれだってノイローゼになるに決まっている。
イギリスの皇太子妃は、その悲劇的な死をとげる前に、地雷根絶運動に献身して声価をたかめた。雅子妃も、皇太子とともに世界各地に足を伸ばし、難民・弱者の救済や自然保護に努めたら、日本国民のみならず世界全体から高く尊敬されるにちがいない。
3 皇室と同じように古いしきたりを残しているものに大相撲がある。
宮廷が膨大な宮内省職員を抱えているように、大相撲も部屋別の弟子養成制度で生み出された力士以外に、たくさんの行司、呼び出し、髪結いなどを抱え、その面の失費も多額にのぼっている。だが、観客はそれらの古色を楽しんでいる。だから、別に問題はないように見える。だが、大相撲をおびやかす危険な兆候があらわれているのである。各部屋共通して、日本人の入門者が減少していることがそれで、観客を楽しませている古いシステムそのものが、豊かな個人生活を享受している日本の若者たちから敬遠されているいるのだ。運動能力に優れた若者たちは、相撲部屋の勧誘を断ってほかのプロスポーツに走り、その結果、外国出身の力士が幕内上位を独占する傾向が生まれている。これは、優秀なヤマトナデシコたちが皇太子妃への誘いを断って、外の男性と結婚してしまうのに似てはいないか。
天皇制を強化すれば、天皇制自体が危殆に瀕し、ひいては憲法の第一原則だった国民主権まで揺るしかねない。ここにも自縄自縛の構造があるのである。
こうした愚かしい自民党に国民が政権を委ねているのは、国民の60%をしめる多数者グループが、現状の社会体制をよしとしているからなのだ。戦後の日本社会はかなり合理的になり、現代化されたけれども、それと抱き合わせる形で古い要素も温存し、新旧入り交じったちぐはぐな社会を作り上げてしまった。
多数者グループは、このちぐはぐな社会体制を無条件で肯定することをもって「良識」と考えている。そして彼らは、この自縄自縛の現体制に異議を唱えるものを異端者として排除する。イラクで人質になった同胞にバッシングを加えるのも、現体制を容認する自分たちを良識の所有者と自認しているからなのだ。
今一番必要とされるのは、自称「良識派」のその怪しげな良識を崩していくことである。マスコミは、いたずらに多数派に媚びないで、良識崩しに努力すべきではなかろうか。それこそが、言論人の使命なのである。
(04/6/24)