女性の問題

当時はウーマンリブの論議が盛んだったから、女生徒がこの問題をどう考えているか知りたいと思った。彼女らの中には、「人妻」というような慣用語に反発を示す者もあり、また、生徒会新聞で天皇制についてアンケート調査をしたら7割を超える生徒が天皇制に反対しているという結果が出たりしたので、相当過激な意見が出るものと予測したのだ。女子高生というのは、ある点で極めて厳格な原理主義者であり、人間平等の観点から天皇制も男女差も許し難いものとして考えている。女性は確かに皇室好きではあるが、だからといって天皇制を心から支持しているわけではないのだ。

しかし「体験的女性論」「女性としての体験から」というような題目を与えてレポートを書いて貰ったら、ウーマンリブに賛成というような意見はほとんど出てこなかった。そればかりか、男性に比較して女性のマイナス面を克明に書き記した文章が続出したので、たまげてしまった。

女子高に学ぶことは、異性の目を意識しないで過ごせる点で、至極気楽なのである。同時に、朝から晩まで、同性と鼻つき合わせているうちに、女の弱点が目についてやりきれなくなるという面もある。そして女という存在に嫌悪を感じはじめると、その場にはいない男生徒を理想化して思い描くようにもなる。

だが、尊敬できる女友達を持っている生徒は、絶望していない。女であることに希望を持っている。これは母親を尊敬している生徒が、女であることに誇りを持っているのと同様だ。

私は本当に女って嫌だなあと感じることがある。
何をするにも一緒。2,3人でかたまって、その世界に閉じこもってしまい、他の友だちや、他のグループを一切寄せ付けない。

口ではなれなれしい言葉を使いながら、心の奥では冷ややかな感情を持っているのだからやりきれない。それに比べて、男子は淡々としている。一匹狼のようでいながら、重要なところでは必ずといっていいほど強く結びついている。


私は女がダイキライである。女ばかりのこの学校に来て、女のいやらしさがつくづく分かった。

低能で、利己主義で凝り固まっていて、直ぐ感情を高ぶらせて、ギャーギャー、ピーピーわめく。何につけても、いい加減で、中途半端。なにかというと隅の方で顔突き合わせてヒソヒソやっている。
おまけに、愚図で、煮え切らなくて・・・・・(言いたいことは、まだ数あれど、この辺で止めておく)

近頃、ウーマンリブとかで女を偉くしようとする運動があるけれど、聞いただけで悪寒がする。いくら女の地位を上げろ、男と同じにしろと、黄色い声を張り上げても、イザとなれば涙流して、ナヨナヨして見せて、弱い女であることを強調する。

男と対等であることを主張しておきながら、その口の下で男の保護を要求する。こうして女は、哀れな男たちの平均寿命を、ジワジワと縮めてゆくのだ。

女は創造力に欠け、男よりはるかに図太く、感情的にはアンバランスだ。リンゴを食べてエデンの園を追い出されたのもイブさんのせいなのである。

口ではペラペラまくし立てるが、何かあるとナミダ流して、ヨ、ヨ、ヨ・・・・と来る。メスなんつーもんは、赤ん坊だけ生んでりゃイイのダ。


女の浅ましさを、近頃、とみに感じるようになった。
「女は愛に生きる」なんていうが、真の愛を求めているのは実は男性の方であって、女は自己満足だけを求めているにすぎない。


まず女は嫉妬深い。とても可愛い人がいても、自分と特に親しくなければ「あんな人、見かけだけよ」。仲のいい友だちにボーイフレンドが出来れば、「アーくやしい。姿形は私と変わらないのにーー」

それと、劣等感。シットと一緒に、何時だって劣等感。そして結局、常に自分だけは違うと思い続ける。

誰かが自分から進んでいいことをすれば、「いい子ぶっちゃって」 と冷笑し、自分の場合なら、「他人がどう思ったっていい、これはいいことなんだから」

とにかく、自分だけは、自分だけは・・・・・。

辛いことがあると、私はこの世で一番不幸な人間だと考えたりして・・・・。こんなことは、女性だけじゃないのかなあ。


中学で同級だった男子が、「女子って、スサマジイね」と言っていた。


私がイヤだと思うのは、女子は本心を言わないことだ。口に出さないけれど、些細なことを根に持ち、直ぐ感情的になり、それが何時までも残って処理されない。


男の子は、何時も一人でいるように見えて、最終的には広く大きなつながりを持っている。女の子はその反対で、、仲良さそうに見えて、根底では相手と溶け込めないでいる。これはもしかすると、エデンの園のイブがそうだったのかもしれません。


私の周囲に「女はイヤだ」と思っている人がたくさんいる。女の人は、表面には出さなくても、心の中で憎み合っているということが少なくない。


先生のところへ行くにも、図書館に行くにも、二人で行きたがる。一人で行動を起こすより、二人の方が安心できるし、行動を起こした責任も二分されるからだ。


女の場合、親友が他の友だちと話をしたりしていると、何となく不安になり、親友を取られてしまうような気になる。


前から女の子は、一人じゃ何も出来ないと思っていたけれど、この頃、本当に自立心がないんだなあと思うようになった。第一、私を含めて女の子には一人で何かを始める勇気があるだろうか。新しいことを始めるときには、誰だって不安はある。女子の場合、ハンで押したように「一緒にして」と頼んで一人では出来ない。私には、これがもしもの時の責任のなすり合いのためと思えて仕方がない。


私たちが日頃口にしているとりとめもない俗っぽい会話・・・


この学校で一年半暮らしたが、中学の頃より社会を見なくなった。中学の頃は、男子が面白いニュースを持ってきて、それをテーマにして皆で議論し合ったものだ。しかしこの学校では、社会のことなど一度も話題にならず、話といったら先生の悪口か服装のことだ。何時も無責任で、他人に任せておけばどうにかなると安易に考えている。


今の自分を見ると悲しくなります。勉強に追われて、他のことには目を向けようとはしません。たとえ向けたとしてもそれだけで、行動に移そうとはしない。ただ、流れに逆らわないように暮らしているだけです。


中学で、女子だけの運動クラブに入っていた。あるとき、顧問の先生を怒らせるようなことをしてしまったので、先生は練習に来てくれないようになった。仕方がないので、私たちは約三ヶ月間、自分たちで計画を立て、自主的に練習をして大会に臨んだ。結果は無惨な敗北に終わった。

原因として考えられることは、私たちの心に最初から先生に練習を見て貰わなかったのだから負けて当然だという諦めがあったことだ。ところが、私たちと同じように顧問の先生がいなくて試合に臨んだ男子のクラブは、かなりいいところまで勝ち進んでいった。

男子は誰の助けも借りずに自分たちの力だけで事を為し遂げたのに、私たちは惨めな失敗に終わった。所詮、女性は弱い者なのである、カナ?


私は最近、つくづく女ばかりのこの学校に嫌気がさしている。というより、この学校へ来て成長が止まってしまったような不安を感じる今日この頃である。

私の友だちに男女共学校へ行っている人がいるのだが、その彼女と電車の中であって話をしたことがある。私のしゃべることといったら、休み時間に話題になるようなことで、他校の男生徒のこと、女の子の仲間内のうわさ話、わが校の目立つ先生のウワサ、下手な冗談などであった。

彼女はホホエミを浮かべて私の話を聞いていた。やがて、彼女が言った、「今日、学校で生と死について討論してネ・・・・」

私は何もいえなかった。あまりにも関心の対象が違いすぎるのだ。ついこの間まで、彼女と私の間には距離がなく、同じレベルにいたのに。


女性は男より感情的だというけれど、私はだから女性の方が劣っているとは思わない。それだからこそ、女性の方がより人間的だと思うのだ。私の友だちにとても感情の激しい人がいて、よくクラスの女子とケンカして悔し泣きをしていたが、私はなぜか彼女を憎めなかった。とても女性らしい、人間的な人に思われて好感を持っていたのだ。


私は女に生まれて、実に不幸だと思っていた。女であるために行動範囲が狭められているし、なにより、自分の中にある甘えた気持がイヤだった。そんな時に、私はその人を知って考えを改めたのだ。

その人は、私にこういったのである、「赤ちゃんが欲しいな」

私はすっかりびっくりして、まじまじと相手の顔を見つめたものだ。彼女は素晴らしい才女なのである。どんなときにも冷静で、クラスで討論しているときなど、元の論点が分からなくなって議論が堂々巡りを始めると、少々皮肉な調子で皆を静めるのが彼女だった。その彼女が赤ん坊が欲しいなどと言い出したのだから驚いたのだ。

しかし考えてみると、彼女は料理、裁縫、一般常識、何でも心得ている。何でも心得た上で、女としての生き方を選んだのだ。女に生まれたことを不幸とは考えないで、積極的に女の人生を歩んでいこうとしているのだ。

電車の中で会うたびに、彼女がどんどん成長していることが分かる。彼女は女としての人生を選択した。でも、彼女はそれ以上のものを求めているようにも見える。誰にも理解されずに、ひとりぽっちで、遠くを見ているようなものを彼女は持っている。


私には何人かの友人がいるが、彼女と一緒にいるときにだけ感じる軽い興奮がある。この興奮は恋人と一緒にいるときの心のわななきに似ている。

彼女とは小学校の5年生のころに親しくなった。彼女はその頃から大人っぽくて、歴史物や探検物の本を読んでいた。私は彼女と二人で話をすることに非常な喜びを感じ、休み時間に教室の隅で少し背伸びをしたような話をしていた。

中学生になって、私たちは別々のクラスになった。私たちにはそれぞれ新しい友だちが出来て、一緒に学校に通うこともなくなった。私はその頃、気の合わないクラスメートでも、家が同じ方向にあれば登下校を共にするのが神聖な義務だと考えていた。そうすればクラスも、まるく収まると思ったのである。そんな事情から、彼女と言葉を交わす機会はめっきり少なくなった。

今は、彼女とは同じ高校に入学したので、廊下などで顔を合わせることがある。すると、私は彼女と二人だけで話をしたくなる。でも、向こうにはそんな気持は全くないようだ。だが、それでいて私は二人の気持が離れてしまったとは感じない。

この文は女性体験ではなく、友人体験になってしまったが、私にとって彼女は女性としても友人としても最高の人なのである。ひょっとしたら、私は彼女に恋しているのかもしれない。それも、ずいぶん長い恋だ。この恋は、きっとこれからもずっと続くだろう。

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