A級戦犯は何処へ

近頃目につくのは、自民党の代議士たちが太平洋戦争を起こした責任は国民全体にあり、A級戦犯だけを問題にするのはおかしいという議論を展開していることだ。これは明らかに、靖国問題で窮地に立っている小泉首相を援護するための議論である。

明治維新以後の政府は民主主義的な運動を徹底的に弾圧してきたから、大多数の国民は戦争が始まればこれに協力するしかなかった。だからといって、一般の国民が無謀な戦争をはじめた指導層と同罪だというのは、暴論というしかない。

この論理からすると、強制されて政府の方針に従っている北朝鮮国民は、金正日の実行している政策のすべてについて連帯責任を負わねばならないことになる。

国民にも戦争責任があると主張するためには、その国の言論の自由が完全に保証されていなければならない。戦争を始める前の日本には、そんな状況はなかった。特高警察が「危険思想」の持ち主を洗いざらい逮捕して戦争反対の声を圧殺していたのである。

加えて軍部の尻馬に乗る跳ね上がりの「愛国者」たちが、少しでも政府を批判するものがあれば「非国民」だの「アカ」だのと言って、よってたかって迫害していたのだ。

開戦直前の日米会談で、アメリカは日本に中国から撤兵することを求めた。当時中学生だった私ですら、ひそかに政府がアメリカの要求を呑めばいいのにと思っていた。が、同時に、そんなことを公言しようものなら「皇軍兵士が尊い血を流した占領地を放棄しろというのか」と皆から袋叩きにされるだろうことも想像していた。

あのころには、「同胞の血を流した土地」という言葉が、護符のような力を持っていたのである。

だから、軍部に批判的だった多くの国民も、日本に生まれついた以上は、政府のやることをただ黙って受け入れるしかないのだと、一種運命論的な諦めを抱いていたのだ。

戦争責任を負わなければならないのは、国民の口を封じていた政府当局者たちである。葉書一枚で招集され、否応なく戦地に送り出された無力な国民に責任があるはずはない。

戦争が終わっても日本人は自らの手で戦争犯罪を裁くことをしないで、裁きを連合軍による東京裁判にゆだねてしまった。国民は漠然と天皇の戦争責任について考えはしたが、これをあえて口にする勇気を持ったものはほとんどいなかった。

現在のイランを見ていると、当時の日本を思わせる点が多い。イランには自由主義的な大統領がおり、民主的な議会もあるのに、社会の改革はほとんど進まず、反動的な政治がまかり通っている。これは民主的な制度の上に宗教的指導者グループによる組織が乗っかり、そのトップに坐る最高指導者が絶対的な権威を持っているからだ。

最高指導者への批判は許されず、従ってこれにつながる宗教的指導者を攻撃することもできないというイランの社会制度は、議会制度を持ちながら天皇が現人神(生きている神)と仰がれ、これを囲む軍部・官僚グループが特殊な権力を握っていた戦前の日本の社会体制によく似ている。

国民がびびってしまって國家の首長を自由に批判できないような社会は、健全な社会とは言い難い。戦後の日本が、天皇の戦争責任について公然と論議することを避けたのは、社会の中に戦前の病的な要素が残っていたからだった。私が今こんな程度のことを言えるようになったのも、戦後60年たち私自身も80の老人になったからなのだ。

天皇の決断によって戦争が終わったというのなら、天皇は戦争を阻止することも出来たはずである。こうしたことさえ口にすることをはばかる空気が敗戦直後には残っていたのだ。昭和天皇は、開戦前の御前会議で「虎穴に入らずんば、虎児を得ずと言うことだね」といって戦争にゴーサインを出しているのである。

天皇は大勢に抗しかねてやむを得ず開戦に賛成したのだ、あの段階で反対したら軍部に暗殺されていたかもしれないという弁護論もある。しかし東京裁判の裁判長ウエッブは、「戦争をするには天皇の許可が必要だった。もし彼が戦争を欲しなかったら、その許可を与えるべきではなかった。暗殺されるかも知れないというのは答えにならない。その危険性は統治者のすべてが負っているからだ」と言っている。

天皇は、陸軍部内にある皇道派と統制派のうち統制派を支持していた。皇道派が「一君万民」のスローガンを掲げ、天皇と国民の間に介在する重臣・財閥などを一掃してある種の国家社会主義体制をつくることを志向していたのに対して、統制派は軍内部の指揮系統を厳しくして対外戦力を強化することに専念していた。東条英機をその一員とする統制派は、日本を臨戦体制下に置いて仮想敵国を攻撃するチャンスをうかがっていたのである。

昭和天皇が好戦論者だったと言うのではない。皇道派には厳しい態度で臨み、他方で統制派を支持した天皇の姿勢に、100パーセント平和論者だったとは言い難いあるものを感じているのだ。

東京裁判を主宰したアメリカは、昭和天皇に戦争の責任を負わせたら、日本国民の反発を買い占領政策をスムースに実行できなくなると考えて、一切の責任をA級戦犯に負わせることにした。

この場合、被告たちが自己の責任を回避しようとして下手なことをしゃべると、火の粉が天皇に及びかねない。そこで弁護団は東条に繰り返しその点を説得し、海軍大臣だった米内光政も獄中の東条に伝言してそのへんの念押しをしたといわれる。これに対して東条は、「米内も馬鹿だな。こうして自分が(自殺しないで)生きているのも、ただ一点そのためではないか」と語ったという。

判決を聞く東条英

首相の靖国参拝問題がこじれたとき、関係筋が戦犯の家族に対して分祀を承知してくれないかと頼んだことがあるらしい。他の戦犯家族はすべて申し出を受け入れたが、東条の遺族だけが承知しなかったため、この件は流れてしまったという。

遺族が、東条英機は一命をなげうって昭和天皇を守ったと考えているとしたら、分祀を断固として拒んだこともうなずける。先日、「朝まで生テレビ」という番組を見ていたら、出席者の一人がA級戦犯への有罪判決は、天皇の免責とバーター関係になっている、だからA級戦犯の無罪を主張すれば、こんどは昭和天皇の戦争責任が問われることになると言っていた。東京裁判の資料が出そろってきた現在、このバーター論が定説になっているようなのだ。

新聞には、自民党の有力議員が戦犯分祀論を唱えているという記事が載っている。「分祀」という以上、彼らを神として祭ることを意味する。だが、戦犯だけをひとまとめにして神社に祭り、定期的な祭祀を怠らないということになれば、またもや近隣諸国を刺激することになりはしないか。

あれこれ考えあわせてみると、解決策は靖国神社とは別に戦死者・原爆死者・空襲被害者全員を合祀する斎場を作ることくらいしか思いつかない。

靖国問題に関連してさまざまな意見が飛び交っているなかで、小泉首相の参拝は彼一流のパフォーマンスだという意見に賛同するものだ。小泉首相が、羽織・袴を着用し、内閣総理大臣と記帳して参拝するのは俗受けを狙ったパフォーマンスにすぎないのではないか。

イエスは、祈るときには独りで祈れと言っている。これ見よがしに参拝する首相の姿からは、日本遺族会の票を狙い、保守層にアピールする軽薄な打算しか感じられない。

そんなに戦死者を悼む気持ちが強いなら、激戦地だったガダルカナル島、サイパン島、沖縄本島などに渡り、大地にひざまずいて独り静かに黙祷することを勧める。

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