知性と感情

 「人間の建設」(岡潔・小林秀雄対話録)という本の中に次の一節がある。岡潔の発言の一部で、この本が出版された当時、人々の注目を集めた部分である。

 「数学は知性の世界だけに存在しうるものではない、何を入れなければ成り立たぬかというと、感情を入れなけれは成り立たぬ。数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学たとはいえないということがはじめてわかったのてす。

じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。矛盾がないというのは、矛盾がないと感ずることですね。感情なのです。そしてその感情に満足を与えるためには、知性がどんなにこの二つの仮定には矛盾がないのだと説いて聞かしたって無力なんです。ともかく知性や意志は、感情を説得させる力がない。ところが、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしいのてす(注:一部省略)」

 岡潔の発言内容を整理して、人間には二つの判断基体があると要約してもいいかもしれない。第一の判断基体は知性であって、知性は単一の目標を設定して、その目的にかなうものを正しいと判断する。ガリバー旅行記に出てくる学者国の住人達は、糞尿を還元して食料に戻すという研究をしている。知性の判断に従えば、食料を作るという目的に合致しているのだから、これはこれでいいのである。だが、私達の心情は本能的にこれを正当な研究だとは認めない。

又、知性は論理的整合性ということだけを問題にするから、表面の辻棲さえ合えば、無数の学説・理論を生産し続ける。そして知性には、これらの学説群の中から本物を選び出す能力はない。邪馬台国をめくる百家の論争を思い出してほしい。

 人間には知性以外にもう一つの判断基体があり、これはもっと大きい立場から事の当否を判断している。岡潔によれば、それは感情であり、情緒であり、人間性だということになる。私達が本当にわかったと感じるのは、二つの基体の判断が一致した場合であって、片方だけの判断では納得しないと彼は言っているのである。

 内省に慣れた人なら、自己の内部に判断基体が二つあるという主張に異議はないであろう。「あらかじめ分かっているのでなければ、どうして分かったということが分かるか」という言葉がある。あるいは、「すべての認識は想起だ」というブラトン以来の考え方がある。意識によって探求されつつある真理は、無意識によって既に獲得されてしまっているという考え方は、多くの神秘思想家によってくり返し語り継がれて来ている。私はこういう神秘思想に同調するものではないが、意識の認知する世界のほかに、その背後により深い「英知の世界」と呼ぶべきものが成立していることを否定する訳にはいかない。

私は、岡潔の知性と感情という概念のかわりに、これから「認知界」と「英知界」という言葉を使用したいと考えている。
 人間の内面には、「認知界」と「英知界」が同時に成立していることを説いた論者をもう一人紹介しておきたい。盤珪である。江戸時代の禅者盤珪は、すべての人間には「不生の仏心」があるとカ説する。彼の説教集の中から、これに関連した部分を抜き出してみよう。

 「皆の衆がこちらむいて、身どもがこう言うことを聞いてごさるうちに、うしろにて鳥の声雀の声、それぞれの声をきこうとおもう念を生ぜずにおるに、鳥の声雀の声が通じわかれて、聞き違わずにきこゆるは、不生(の仏心)で聞くというものでごさるわいの。

皆それぞれの声を、ひとつも聞きたがわず、明らかに通じわかれて、聞きそこなわず聞き知るは、霊明の徳用というものでござるわいの。これがすなわち仏心は不生にして、霊明なものといいまする、その霊明な証拠でござるわいの」

聴衆は説教者に注目し、その話を聞きもらすまいとしている。説教者に向けられた聴衆の意識は「認知界」を内面に形成する。私達は、普段この世界しか自覚していない。たが、私達の内面にあるのはこの世界だけてはなく、その背後にもう一つの「英知界」があり、これが会場のまわりで嗚く鳥達の声を聞き、これは雀、あれは鳥と識別している。前者の世界は努力して形成する必要があるが、後者は何らの努力感もなしにほとんど自動的に形成される。

この形成作用は生れてから死ぬ迄続くだけでなく、太古の昔から継続して来ているように思われるから、盤珪はこれを「不生の仏心」と呼ぶのである。「不生」とは劫初から存在しているために、新たに生じる必要がないという意味だ。

 私は岡潔・盤珪の言葉を引用したが、彼らの主張に異論がない訳ではない。それは二人が「認知界」と「英知界」を同時に成立する二重底の世界という風に考えている点にかかわっている。両者はタブルフォーカスの関係で同時共存する世界なのではなくて、一方が消えたあとに他方が出現するという継時的な関係にあるのである。「見まちがい」という簡単な事例で説明してみよう。

 駅のプラソトフォームで、向う側のプラソトフォームに立っている人物を自分の知人と誤認してしまうことがある。誤認の段階では、相手は確かに飴色縁の眼鏡をかけ、唇のはしに何時も見慣れた皮肉な微笑を浮べていたのである。たが、それが錯覚だと気がついてみれば、相手の眼鏡の縁は黒く、皮肉な表情をしているどころか先方は生真面な顔をしているのだ。

この事例を検討すれば、私達はまず英知の世界を持ち、それを認知の世界でもって塗りつぶしていることが判明する。事実、誤認は認知のレベルで起きる現象であって、英知の世界ではこうしたことは起こらない。「見まちがい」であることに気づいた瞬間に、間違った認知像は一挙に消え去り、正しい英知像がよみがえる。この転換の素早やさは、私達が同時に二重の世界を所持していることを想定させるが、この二つの世界は「認知界」が消滅したあとに「英知界」が出現するという択一的・継時的関係にあるのだ。説教を聞いている聴衆が、会場のまわりの鳥の声に気づくのは説教から注意がそれた時であって、説教に気持を集中しているうちは鳥の声は耳に人って来ないのだ。

 「見まちがい」よりも、もう少し複雑なケースが「悟り」と呼ばれる了解作用である。「悟り」とは自己の源底に成立した総括的な知解であるが、迷いから悟りに移る瞬間の様相は「見まちがい」の場合と全く同じである。迷いが刹那のうちに消えて、その背後から「真如の月」があらわれるのだ。

 私達は時折、自分の置かれている状況を透徹した目て、リアルに捕えることがある。会議の席上で、論議の的になっている問題の解を、実に明瞭に感知することがある。これも意識の下方の自己の源底においてなされた知解であって、この次元まで来ると知性はもうこれに加えるべき何物もないことを知って活動をやめてしまう。知的意識はおのれの分を心得ているのである。

私達は仲間と議論していても、この種の知解に達すると、語ることをやめて議論の輪から離れ、おだやかな気持で自分に浴せられる非難を聞いていることができる。自分が正しいことを本当に知っている人間は、間違っている人間を許せるものだ。無知な人間や間違っている人間は不正なのではなくて、局所につまづいているのであり、夢を見ているのである。要するに、小さな「認知界」の内部に閉塞されて、そこから脱け出せないでいるのだ。従って議論し主張する者は、そのことで彼が末だ到達していないことを明らかにしているとも言える。

 間違った認知が消えて正しい英知が生じる過程は、後者が前者に働きかけてその誤りを少しずつ矯正するという風にはなっていない。わかる時には一挙にわかるのであり、認知界が全面的に自壊したあとから、英知界があらわれるのだ。認知界が自己解消しなければ、英知界は永久にあらわれて来ないのである。

経験と体験

 「認知界」の成立する場を「表自己」と呼び、「英知界」の成立する場を「裏自己」として話を進めていこう。そして表自己の認知する内容を「経験」と呼び、裏自己の感知する内容を「体験」と命名することにする。(ちなみに、経験と体験については森有正が哲学的考察を行っている。森有正の用語法と私のそれは、逆になっている部分が多い)。

 森鴎外の「青年」の中に、次のような一節がある。


 「中学にいるときの外国語は英語であったが、聖公会の宣教師の所へ毎晩通って、仏語を学んだ。初は暁星学校の教科書を読むのも辛かったが、一年程通っているうちに、ふいと楽に読めるようになった」

 私が興味を感じるのは、「ふいと楽に読めるようになった」という部分である。外国語の学習を含め、様々の学問・技能を習得して行く過程で、これと同じ現象がしばしば起こる。少しずつ力かついて行くのではなく、ある段階から不意に力がついてくるのだ。わかる時には一度に全部わかるものだということを指摘したが、この現象が心理面に反映すると難しくて辛い状態から急に自由で楽な状態に抜け出たという印象になるのである。

 頭だけで対象を操作しょうとしていた段階から、全身で対象に従い、対象を全面的に受容するという段階に移らなけれは「習得」は実現しない。では移行が不意になされるのはどうした訳であろうか。
図解風に言えば、自我が意識の表層で外国語を学んでいるとき、その裏側でもう一つの自己がより包括的な姿勢で同じ外国語を学んでいるのである。

表自己は既成の認知構造の内部に外国語を収納しょうと努力する。その裏側ては裏自己が外国語をそのものとして受容し、先入観なしに外国語に馴染んで行っている。片方は対象を頭の中に取込み、他方は対象を生かそうとし、それぞれの努力の成果が両極に貯えられて行く。そしてその一方が経験となり、他方が体験になるのだ。特定の認知構造にしばられた経験を発展させて行こうとしても、結局それは家の中で木を育てるようなことになる。経験は何時しか行詰り、発展性を失って枯死し、見棄てざるを得なくなるのだ。

 やることが一杯あって充実していた夏休は一瞬のうちに過ぎ去る。あっという間に過ぎてしまったと評価するのは経験てある。逆に、することがなくて過ごした夏休みは、経験レベルでは長かったと感じられる。

しかし、これらの経験は、一年後には印象が逆転している。またたく間に過ぎたと思われた夏休はこれまでに経験した夏休のうちで一番長い夏休になり、無限に長いと感じられた無為に過ごした夏休みは、一瞬のうちに終わったと思われる。

 この事例に見るように、経験は時間の経過と共に体験に変わるのだ。かつて互いに成績を争い敵概心を燃やし合ったライバルに、今は愛を感じる。昔の苦労は懐しい思い出となる。これらの現象は、充実していた夏休みを短いと感じる自分のほかに、これを長いと感じているもう一つの自分があり、一年たったら前者が消えて後者だけが残ったと仮定すれば簡単に説明できる。

何事も身勝手な枠に当てはめて問題を処理して行く小我と、そんな枠を持たずに「事実唯真」の立場で物を見る大我が同時に働いていると仮定するのである。

枠に邪魔されて経験が硬化し風化し自壊して行ったあとに、臨界線をへだてた対向位置に、「事実唯真」を本質とする体験が浮上してくるのである。この関係を「戦争体験」について見てみよう。

 私達戦中派は、戦後世代に戦争体験を伝えようとするが失敗する。経験なら伝達できるのである。東京の上空に美しい飛行雲をひいてやって来たB29の印象、それが落した筒型焼夷弾が校庭一面にタケノコのように突さ剌っている光景、それぞれの時点でのそれぞれの経験なら事細かに話すことがてきる。たが、こちらの話を、ほうというような顔で聞いている若者を見ると、結局何も伝わっていないことが判明するのだ。

戦争中の日本人は、戦争の持つあらゆる局面を生きた。日に日に物は乏しくなり、食べるものにも事欠くようになって行く中で、時に戦局が好転して明るい気持になる。しかし、勝った勝ったと聞かされるのに、戦況は悪化の一途を辿って行く。希望を持ち裏切られ、再び希望を持って裏切られる。生別と死別を重さね、言うに言えない思いを忍び、戦争の持つ全部の側面を内側から経験して行ってようやく、戦争に関して抱いていたそれまでの幻想がなくなるのだ。

戦争が始まった時から、国民は固定観念の中にある戦争を生きて行く。国民はあり得ないことを期待し、その幻想の実現をめざして戦い続ける。戦い終ってみると、戦争は善悪理非を越えて、ただ、むごたらしい現実だったという一語に尽きる。

 私達は戦争中、仮空の戦争を戦いながら、どこかで戦争の本当の姿を感じ続けていた。戦争「経験」と平行して、戦争「体験」のにがい味をあじわっていたのである。勝った負けたという戦争の部分相のほかに、戦争のむごたらしい全体相を体験していたのである。そしてこの体験は言語化不能・伝達不能の多元性綜合性複雑性をそなえたままで国民の人格の底の方に沈んている。私達は経験としての戦争に個人差はあったろうけれども、体験としての戦争は日本人皆同じだと感じている。戦争体験は国民の人格内部の同じところに沈み、少しも古びず変容せず何時迄も生き続けているのである。

 この節をおえるにあたって、最後に読書の問題に触れておきたい。
 読書をしている時に起きる面白い現象・・・今まで抵抗があって、どうしても読めなかった本が、ある日突然すらすら読めるようになるという現象も、経験の自壊作用によって説明できる。最初の数ページを読んだだけで、つまずいて先が読めなくなる時、私達はその本がむづかし過ぎるからだとか、論旨が分裂しているからだとか、原因を書物自体に求める。

だが、時間をおいて改めて本を読んでみると、その本の何処にも問題がなかったことが判明し、「困難」は自分自身の側にあったことが明らかになる。本の世界に入って行くことをさまたげていたものは、読者の側の整合癖、神経過敏、早く結論を得たいという焦慮などであり、つまるところ読者の固定観念、それを支えている認知構造の歪みにあったのである。

本が楽に読めるようになったということは、当人の認知構造にあったひづみが是正され、「障害物としての経験」が自己解消したことを示している。経験があまり頑迷に自己を主張すれは、読書そのものが不可能になって、折角開いた本をほうり出してしまうことになるのである。読書しない人間は、自らの経験に満足しており、体験への渇望を持たず、知識を英知まで掘り下げようとする欲求を持っていない。

大学を出て帰農した友人は、農民の集まりに出た印象をこう語っていた。


「皆の世間話を聞いていると三十分は面白いな。たが、それ以上聞いていると飽きてくる。同じ事のくり返しなんでね」

 本を読まない人々の話は、何時迄も同じ位置で波乗りしているようなものである。話題は変っても、それを取上げる角度は同じであり、話すスタイルにも変化がない。世間話を聞いている時と同じ空疎な印象は、「成功者」の自伝や回顧録を読んだ時にも受ける。彼らは人生の外側のところだけを生きて、内側を生きていない。彼らの成功は、その貧弱な価値感・硬化した生活態度の所産なのである。彼らは自らの生涯についてすらも、その形骸しか見ていないのだ。

 世馴れた人間の特徴は、話題は豊富だが、話の種になることしか知らないということだ。

 「群居して終日、言、義に及ばず。好んて小慧を行なう。難いかな」

 人が群居して一日中話し合っても、語られるのは各自の現実処理の巧拙であり、コネや裏口の利用法であり、おのれの人間操縦の手際よさばかりだと孔子は論語の中でなげいている。世間話とは要するに各自の「経験」を誇り合う行為である。読書はこうしたガラクタ的経験を解消し、「小慧」を自壊させるためのものだ。ハウツウ物は私達の経験に寄生し、それを肥大させるが、真の読書はそれらを消滅させる「溶剤」なのであり、表自己から裏自己にいたる道を開くトンネルなのである。

感情の穴蔵を出て情感の平野へ

感情と情感の違いについて説明するには、どうしてもエネルギー概念を特って来なければならないと思う。感情とは、個体エネルギーを囲いこみ閉鎖した時に生じる特殊な意識で、その人間のエネルギー野の広狭とか硬軟の状態を示す言葉なのてある。自分のエネルギーをはたらかせる場が縮小すれば悲しみの感情が発生し、エネルギー野が拡大すれは反対に、よろこびを感じる。人間が感情的になるのは、そのエネルギーが狭いところに押しこめられた時であり、女性が感情的たとされる理由も、彼女らが生存場面で男性より狭小なエネルギー野しか与えられなかったことに原因がある。

昔から感情は、理性と対比することによって軽侮の目て見られて来た。だが、感情のはたらきに、理知を超えた深い英知を見る人々も少なくない。次に紹介するのは、「心理禅」(佐藤幸治)という本から孫引きしたマックス・シヱーラーの説である。

「マックス・シェーラーというドイツの哲学者が感情の深さを説いている。あまり、まり投げをしたので手がだるい(感性的感情)、しかし気分は清々して愉快だ(生命的感情)とか、愛児が死んで悲しみにとざされている(心的感情)、しかし神に召されたのだと思って根本の安らぎを失なわないでいる(霊的感情)というようなものである。われわれの心にはこのような四種の層が考えられ、ある程度互いに独立して変化することができる。その中でも最後のものは最も深く、通常の自我を超えているというのである」

 私はマックス・シェーラーの説く感情の四つの層の中間に線を引いて、これらを感情と情感という二つのグループに整理したい。そしてこの両者を臨界線をへだてて対向位置にあるものと考えたいのである。感情が消滅したあとに、それまでその感情によって蔽われていた部分の向う側に情感があらわれてくるのだ。もっとも、両者は短期間内面に共存すると感じられることもあり、「心理禅」にはそのようなケースが引用されている訳だ。

 感情と情感の関係を示す事例は数多くあるが、その中から私の見聞したケースを一つ記してみる。

 ある女生徒は、中学校を卒業する時、痛切に別れの辛さを感じた。卒業式のあとて、クラスの女生徒は、一人残らす肩を抱き合って泣いた。だが、彼女だけ涙を流さなかった。別離の悲しみの底で、彼女ははっきりと「別れの必然性」と「別れの必要性」を感じたからだ。お互いの性情も家庭環境もすっかり知り尽した仲間違と別れ、みんな別々の場所で新しく生き直さなければならない。それが私達みんなの成長にとって必要なことなのだと彼女は思った。

この女生徒は、悲しみの感情を突き抜けた向こう側の情感の野に出て、仲間が泣きおえるのを待っていたのだ。感情の彼岸にある情感には、やすらぎと静けさがあり、肯定と是認の気配がある。この事例はまた、「卒業」という言葉が、感情と情感の関係を示めす象徴的な概念であることに気づかせてくれる。私達は卒業することで既成のフイールドを失って悲しみに襲われる。だが、私達はこのことによって、今迄なかった新しいフイールドを与えられるのである。

卒業という境界線上に立って背後を振りかえれば古い感情世界があり、前方を望めば新しい情感世界があるのだ。ここに引用した女生徒は、抱き合って泣く級友を眺めながら、仲間が留まっている感情レベルを棄てて、前方にある情感のレベルに踏み込んでいる。

 精神薄弱の子を持ったパール・バックが、悲しみから抜け出して立直って行く過程にも、感情野から情感野への劇的な移行が認められる。自分の生んだ最愛の子が精薄児だとわかった瞬間から、彼女の苦悩がはじまった。彼女は来る年も来る年も、子供を連れてアメリカ中の病院をめぐり歩いた。あてもない希望を抱いて、不毛の旅を続けたのだ。母親にとって子供は、その生命とエネルギーを注ぎこむフィールドであるがゆえに、パール・バックの「巡礼」は自己のエネルギー野を回復するための旅であった。

彼女は巡礼の途上で知った医師の忠告を機に、自分には自分だけの人生があると悟るのである。彼女は、わが子を救うために、彼女自身の人生を失っていたことに気づいたのだ。パール・バックはこの覚醒を契機に子供を施設にあづけ、自分独自のエネルギー野をつくり出す作業に乗り出して行く。そして「大地」という作品を書き上げるのである。

 パール・バックの手記を読んでいて、このくだりまで来ると、私達は彼女が嘆きの穴蔵を出て「開放系」としての世界を発見したことを感じる。感情野から情感野に移った者は皆、広々と展開する豊かな世界を望み見ている。感情と情感の関係は、「感情の穴蔵を出たら、情感の平野の中にいた」というような関係にあるのだ。

 私達は考えるともなく物を考えていることがある。知らす知らず無念になって景色を眺めていることがある。そのうちにふと我に帰って日常意識の中に立戻るのだが、我に帰る以前に心にあったものが情感なのだ。悲しみに捕われて泣いているうちは感情のレヘルにあるが、思い切り泣いたあと、さっぱりした平静な気分になる。この気分が情感だ。フランクルは、「人は悲しみのあまり眠れない時に睡眠薬を飲んて寝てしまうかわりに一夜を泣き明かす方を選ぶ」と言っている。

この点について、私は次のように推測する。私達は悲嘆の底に沈みながら、悲しみの果てに救済が待っていることを予感しているのではないか、と。悲しみをいやす方法は、ほかにはない。微底的に悲しむことだけだ。本能的にそう感じて悲しんでいるうちに、その感情の向う側に、それとは別種の情感が少しずつ見えてくる。それは水中にあって、水の上の空を望む感覚に似ている。はじめ明確に知覚できなかった情感も徐々に明らかになり、やがて特有の輪廓をそなえた情感が出現し、それに伴って情感と結びついた悟りが成立する。この悲しみは自分が耐え忍んて行かねはならぬものなのだという悟りである。

感情が表自己(あるいは小我)に帰属するのに対して、情感は裏自己(あるいは大我)に帰属する。情感は自我の統制から離れ、意識の圏外にあって生動するものだから、その運動法則を定式化してつかむことは難しい。たが、情感には次のような特微かあることは確かだろう。情感は向世界的な情動であって、自分自身を眺める時にも開かれた世界の内部にある一単位という風な捕え方をする。

子に裏切られた親は、はじめ自分の不幸だけを見て苦悩のうちに沈んているが、やがて自分を広い世界の中に置き直し、これが親の運命であり人間のさだめなのだと思うようになる。こういう風に、自己を人類の一員として捕え、事態をより広い立場から再把握した時に、それ迄とは異なる情感のレベルに抜け出ることができるのだ。情感は決して内へ向わず、広大な外の世界に対している。

 情感は個人が意識的に形成して来た信条や世界観とは無関係に生起する。情感は世界が動くのに応じて動く世界的意識であり、「風吹けば動き、風やめばとまる」情念なのである。フロイトがほかの感情とは区別して「大洋感情」といっているものは、実は情感のことなのだ。

 感情が自壊したあとに情感が出現するという現象は、情感が最初から位置していた場所に感情は様々の手を尽してからようやく辿りつくということを意味する。私達は放っておいてもそうなるところへ、悪戦苦斗の末にあえぎあえぎ到達するのだ。たが、この終着駅に仲々着くことのできない人間もいる。才覚にすぐれた者は、自己の感情世界を長期間にわたって維持できる。権力というものも、自己のエネルギー野を欲するような形で持続させるのに役立つ。

そうやって表自己を維持経営する人々に対する私達の印象はむしろ同情的であって、彼らは「火宅の人」にほかならぬと思う。「火宅の人」は熱い炎に全身を焼かれ、泣き叫び、狂い廻りながら感情の小屋から逃れ出ようとはしない。感情の火宅のまわりには、情感の涼しい平野がひろがっているにも拘わらず。

情感の平野で生きる

 私は三十代の後半に、倫理社会の授業をしながら、自分が一番幸福だったのは何時たったろうと考えたことがある。倫社の授業には、思想史的展開とテーマ別展開という二つの方法かあり、その年、私はテーマ別展開の授業をしていたのだ。これは自由とか幸福とかのテーマをまず掲げて、これに関する様々な考え方を類型別にまとめて比較するやり方である。私は「幸福」をテーマに取り上げた際に、自分自身の過去を振り返って見たのだ。

 頭に浮んで来たのは社会人一年生の屋根裏時代と、最初の子供がうまれた頃のことであった。この時期の特徴は、私が開放系としての「世界」の中で、情感に基づく単純な生をいとなんでいたことだった。

私は学校を卒業して私立学園に就職した。それと同時に下宿を変え、東京郊外の精米屋の物置を借り、その屋根裏でネズミと同居する生活を始めた。自炊する独身者は、自分の必要とするものをすべてあたりを駆け廻って調達して来なければならない。米の配絵所に出かけて米を、燃料店へ行って炭を、食料品店に行って味噌・醤油を購入する。その間を縫って映画館で洋画を見、古本屋に行って本を入手する。考えることや眺めることは、皆その途中でするのである。

あの頃、私は不思議なくらい無欲だった。先のことは何も考えなかった。自分を大きな状況の中で動く一個の単位的存在として感じ、それで満足していた。日曜日に江戸川の堤防に座って、眼下の河川敷で野球をする子供たちや、飼い犬の訓練をする女子高校生を眺めた。そして彼らを自分の仲間だと思った。

 三十代半ばで結婚し、はじめての子供を持った時の心情も構造的には新任教師の頃と同じてあった。帰宅して、ようやく歩けるようになった子供の手をひいて線路ばたの道をゆっくり散歩する夕刻は、無垢の幸福によって光り輝やいていた。買物から戻ってくる主婦、庭先で何か仕事をしている主人、子供達はあちこちで色々な遊びに夢中になり、笑ったり叫んだりしている。世界は永遠にこうあるという感覚、存在することはよろこびだという実感が胸を満たした。

 私は格別こういう状況を意図的に作り出そうとしたのではない。気がついたら「父子散策」という現在状況の中にある自分を発見したのだ。子供は余りにも小さく、この子供を将来どうしようという思慮も浮ばない。私は子供の手をひいて歩くという万人共通の状況がもたらす普遍的な情感の内部にいただけなのである。

 幸福だった時期の特徴は、現にある世界を絶対としてその意味を問うことをしなかったことだ。世界は永遠に途上にあるがゆえに、現在の世界が終着点だというような感じ方をしていた。私はこの世界には、人間に把握できるような意味はないと漠然と考えていた。

世界はすべてを末解決のままにして先へ進んで行く。人間が世界に向って投げかける問いに対する解答はない。私達の企図は常に末遂に終る。世界は巨大な河のように流れ動いて行くだけで終末はないのだ。あの頃は、こんなふうに感じて、一切を大きなものにゆだね、日々を淡々と過ごしていたから、あれほどの幸せがあったのである。

無意味無目的な世界の中にあって、人間が知得できるのは、諸力の総合によって生じた河の流れのような「世界作用」「世界運動」だけであり、私達の営為もこの世界作用の一環にほかならない。私が配給所に米を取りに行ったり炭屋で炭を買ったりする行為、子供が生れるとこれを丹念に育てる行為、これらは広汎な世界運動の中で派生した世界運動のーつなのである。

 当時のそういう考え方に、現在の私がつけ加える必要を感じるのは次の点である。それは「世界作用」の中に私達の内面的営為をも加えるということだ。情感は世界作用を映し出し、世界作用と一体となって動くものである。情感において私が感じ考える時、世界が私において感じ考えているのであり、情感に基づいて私が行動する時、世界が私を通路として自己を具現しているのだ。世界と重合する情感が外部に漏出すると、本来的行動になる。人間の本質的な営為はすべて情感から発しているのである。


この項を終えるに当たって、作家の南木佳士が2000年12月19日付けの新聞に載せたエッセーを紹介しておきたい。南木佳士は鬱病になって暗い奈落の底で苦しんでいるとき、哲学者の大森荘蔵が死の数カ月前に遺書のようなかたちで朝日新聞に寄せたエッセーを読んだ。これを契機として彼は鬱病の泥沼から抜け出るのである。では、その問題の文章を見てみよう。

「自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない。此(こ)のことは、お天気と気分について考えてみればわかるだろう。雲の低く垂れ込めた暗鬱(あんうつ)な梅雨の世界は、それ自体として陰鬱なのであり、その一点景としての私も又(また)陰鬱な気分になる。

天高く晴れ渡った秋の世界はそれ自身晴れがましいのであり、その一前景としての私も又晴れがましくなる。簡単に云(い)えぱ、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。その天地に地続きの我々人間も又、其の微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が『心の中』にしまい込まれていると思いこんでいる感情に他(ほか)ならない」

私は大森荘蔵という哲学者のことを知らないし、その著書を読んだこともない。しかし、南木佳士が引用している文章を読む限り、私は大森荘蔵とほぼ同じことを考えていたのである。

大森荘蔵は、人間を天地(あるいは「世界全体」)と地続きの前景と考えている。彼はウパニシャットの哲人たちと同じように、天地は精神活動を続けていると想定し、この天地の精神活動を人間も分有していると考えている。天地というものをあまり擬人化するのは考え物だが、人間が宇宙によって生み出され、全有者の端末であるからには、全有者と呼応する何かを持つと考えるのは、さほど無茶な考えとは言えない。

ただし、すべての人間感情は天地の感情のミニチュア版だとするのは行き過ぎである。感情とは区別される情感を天地の感情と等置するのなら構わないのだが。繰り返し述べてきたけれど、覚醒状態にある裏自己は、膜一枚を隔てて全有者の覚醒を感じ取っている。大森荘蔵のエッセーが、南木佳士を感動させたのは、天地と人間の連帯を情感や覚醒という限られた領域に限定しないで、感情一般にまで拡大したからだろう。そうすることが文章に力を与えて南木佳士を感動させたのなら、それはそれでいいかもしれない。

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