魂の領域

裏自己には待機電力を思わせる微量のエネルギーが配当されていて、これが「情感」の母胎になっている。表自己から環流してくるエネルギーは、情感を強化するというふうにはならないで、それとは異なる役割を果たすようになる。

裏自己にエネルギーを環流させてストックしておくのは、金を使わないで貯金して置くようなものだ、と書いて来た。だが、貯金を持たず、現金だけで暮らしている者もいる。表自己に配置されている力動エネルギーが、適切にアウトプット・インプットされれば、別にエネルギーをストックしておく必要はないのだ。

表自己は利己的に行動し、裏自己は「人道的」な立場を守る。表自己は個体保存本能に基づいて行動し、裏自己はそれに種族保存本能からブレーキをかけると言ってもいい。要は、この両者のバランスが取れていることなのである。人道精神に燃えるあまり、自分を犠牲にして他を救うのは、行き過ぎである。それは他を尊ぶことを知って、自らを尊重することを知らないからだ。

ルソーは、「飢えているときに、食物を手にしたら、まず自分が食べてしまう。しかし、満腹すれば、余った食物を他に分かち与える。これが本来の人間だ」と言っている。

表自己と裏自己の間で、バランスの取れている人間は、ルソーが言うような「本来的人間」として行動する。この種の人間は、必要に応じて、必要量だけのエネルギーを取り出して行動するから、用が済めばエネルギーは残らない。裏自己にエネルギーを環流させる必要はないのである。

そんなバランスの取れた人間がいるか、と首をひねる向きもあるかもしれない。しかし、昔の母親は、目覚まし時計がなくても、ちゃんと予定していた時刻に目を覚ますことが出来たし、家庭内の雑用にそれぞれ適切な量のエネルギーを配当して滞りなく家事・育児を処理していた。そして、貧しい家計をやりくりしながら、哀れな乞食を見れば一銭二銭を恵んでやったりもしていたのである。

ところが、こういう慎ましい妻女も、金が出来て女中に家事を任せるようになると、余剰エネルギーの処理に苦しむようになり、不眠症になったり、ヒステリーを起こしたりする。ここで、どうしても過剰なエネルギーを、裏自己に環流させる必要が出てくるのだ。

裏側に廻ったエネルギーは、禁治産者のようにその力動的な能力を行使することを禁じられる。だが、完全に無能力になってしまうわけではない。縁の下の力持ちというような役割を果たし始めるのである。

裏自己に廻ったエネルギーの仕事はいろいろあるが、その一つは「良心」となって、表自己のエゴイズムと対峙することだ。裏自己の属性は、愛と覚醒だからここに寄留したエネルギーも愛と覚醒をバックにして表自己のエゴイズムを照らし出し、一面化し硬直した利己的エネルギーの自壊をうながすのである。私たちは過ちを悔い、「正道」に立ち戻れば、内面に光を感じる。光を感じるメカニズムは、回心の場合と全く同じなのである。

また、裏自己に寄留するエネルギーは、人を恍惚の境地に導いたりもする。二度の「経験」のあとで、私の身の上に起こった顕著な変化といえば、なんでもない風景や現象を前にして深い陶酔に陥り、自分を亡失してしまうことだった。

風景への開眼

木曽の高校に勤務していた頃、三月のある土曜日、半日の授業を済ませて、私は崖下の道を歩いていた。冬の間、凍てついていた崖下の小川が溶けて動きはじめている。小川の表面には、がラス板で蓋をしたような形で薄氷か残っており、その下の空洞になった川の底を細い水がチョロチョロ流れはじめていた。

物音のたえた真昼の野の底で、微かな水音がはっきりと聞えた。やさしく澄んだ物音であった。その微かな水音は、私の内部の未知の部分に触れた。今迄自覚したことのない眠っていた感覚に触れたのである。私は誰もいない野の道で棒立ちになり、一瞬、我を忘れた。私は目覚めたばかりの感覚と一体になり、その澄んだ水音のほかは何も耳にしなかった。暫くして、私は夢から覚めたように歩き出した。

 私達のまわりの到るところで自然は変容を続け、小さないとなみを繰りひろげている。私は新鮮な驚きを感じた。水音の余韻は何時迄たっても消えず、家に帰ってからも耳の底で鳴り続けていた。

 それから暫くして学年末になり、五・六人の教師が集まって所属学年の解散会をやった。木曽川に臨む料亭の一室を借りて、夕刻から飲み会を始めたのだ。半白の頭をした学年主任が、スライド映写に必要な器具一式を用意して来ていた。この学年主任はエピソードの多い教師であった。それも木曽駒カ岳山頂の絶壁て逆立ちをしたというような破天荒な挿話ばかりである。事実、彼はその抜群の体力を駆って山野をはせめぐり、空を渡る天狗か役(えん)の行者のような生活をしていた。

 主任は食事が済み、あたりがすっかり暗くなると、これから自分が撮り溜めて来たカラー写真を見せると言ってスライド映写の準備に取りかかった。持参したシーツを壁に画鋲でとめて即席の映写幕を作り、茶ぶ台の上に映写器をセットする。まるで、次にあっと驚く魔術でも始まりそうな、期待をそそる幕あけだった。

 映写がはじまってみると、何ということもない画面の連続で、私は裏切られたような気がした。やたらに薮の写真があるのだ。斜面に生えるヤブ、窪地一面を傘のように蔽うヤブ、残雪の森の中に墨絵のように黒ずんで浮びあがっているヤブ。

 学年主任は、何か魂胆があるのか、それらの混沌そのものといったスライドを、説明抜きで黙って映し出して行った。十何枚目か二十枚目位か、ある一枚の写真を見て、私はふっと理解した。すると、遡って今迄見て来たスライドが全部わかった。そこには「自然」があるのだった。混沌とした相をさながらに示した、あるがままの自然があるのであった。私はこれ迄に沢山のサ口ン的な風景写真を見て来ている。それらは自然とはかくあるべきだという私達の固定観念に合わせて撮られた「人間的な風景」に過ぎなかった。

だが、私が今見ているのは整形されない雑然たる自然だった。木があり、草があり、土がある。それ自体意味のないものが集って、何の奇もない風景を作り上げる。だから、それらは私達の注意をすり抜けて、印象に残らない。だか、そこにこそ本来的な秩序、私達が昵懇にして来た自然があるのだった。永遠なるものとは、「世の常」なるものであり、あまり当然過ぎて私達の目にとまらないものなのだ。

学年主任のカラー写真は、私達の目を透過してしまっている真なるものを捕え、「世界の日常相」を提示している。それは島崎藤村の作品に似ていた。一つ一つを取ってみれば意味をなさないような日常的な事件が雑然と集まって小説の中の歳月を形作っていく。そして、それらの歳月が、登場人物の運命を狂わせ、又復元して行くのである。

 帰宅してから私は、一つのカラー写真を理解したとたんに、遡って前の写真が皆わかったことの不思議について考えた。最初、写真がわからなかったのは、私が既成観念に合致しない写真の受容を拒否した為なのだ。だが、そのうちに既成観念の方か崩れて、私はあの写真とそれがあらわにしている自然の実相を受容した。すると受容はそれ以前の写真に及んだのみならず、私か積み重ねてきた既往の自然体験のすべてに及んだのだ。

私は木曽に来てから、魂を憩わせるに足る安息の地を探し歩いた。この木曽の谷の中にあるかもしれない「壷中の天地」を求めて、あちこちさまよい歩いたのだ。その間、私は何でもない雑然たる風物をいたるところで見た。私はそれらのそばを無関心に通り過ぎたが、それらを全く無視していたのではなかった。私は意識しないで、それら「凡庸な」風景を受容し、ひそかに愛情を寄せていたのだ。

そういう下地があったから、わかる時に一挙にわかるという現象も起きたのである。私達は無意識の世界ですべてを受け入れながら、意識面でそれらを排除している。私達は、はじめに無条件で受容したものを、あとになって排除する「囲い込み」組織として意識というものを作りあげるのだ。

 既成観念を取り除けば、意識以前の意識、素地の心があらわれる。イギリス経験論者は、経験以前の人間の心はタブラ・ラーサ(白紙)であって、そこには未だ何も書かれていないという。文化人類学者・動物行動学者は「学習」以前、「刷り込み」以前の人間の心は空白だと考えている。だが、「心」以前にも心はあり、生誕直後にも心はある。意味・無意味を問わず、すべてをありのままに記銘し、万物をそのものとして信愛していく辺際のない心がそれだ。そういう際限のないないものを囲いこみ、線で包絡した内側を私達は「心」と呼んでいるのである。

 私はそれまで遠くにあった「世界」が、自分の直前に迫って来たことを感じた。私は、「開かれた世界」は私達を包む全一者であって、真理以外の何物も実現しないと思っていた。だが、世界は不可測の諸力の総合体であり、世界を目視することは不可能だと思っていたのだった。その世界が、今や風景として私の目の前にある。大地として私の足下にある。私は、世界と無媒介でまじわっている。遠くからの呼びかけとして存在していた世界が、今や目前の風物として指呼の間にあり、私は世界と一体となっているのだった。

 私は朝、長い坂をのぼって登校する時、のぼるに従って脚下に展開する谷を眺めて、地霊のようなものを感じるようになった。木曽谷の高校は始業が早く、私が坂道に取りかかるのは午前八時前だった。太陽は、前方に高い壁のように立ちはだかる木曽駒ヶ岳の稜線を離れたばかりで、新鮮な朝の陽光が飛沫のように真正面から振りかかって来る。山麓は逆光の中に青黒く沈んで未だ黎明の暗さを残している。

太陽の光線は稜線の凹凸にはばまれ、引き裂いたような筋を引いて放射線状に走るが、それは谷の上空を撫でるだけで、谷の下半分はまだ青いインクを溶かしたような靄の中に沈んでいる。この靄の底に、若々しい地霊がひそみ、木曽谷の全面が目に見えない気配のようなもので隙間もなく充たされているように思われる。

伊那に戻ってからも、風景に対する飢餓のようなものは続いていた。帰宅後、私が子供を連れて日課のように伊那公園に出かけたのも、風景への飢えからだった。高台にある公園に立っていると、眼下の水田をわたってくる風が、柔らかく伸びた水稲に浅い穴をうがち、そのまわりに数条の皺を寄せながら移動してくるのだ。稲が動くたびに、その下に張り渡してある水か清々とすいて見える。

風は平坦な水田を越えて、やがて台地の上に吹き上ってくる。公園には、何時も渓流のように風が流れていた。その風は草や水の匂いを含み、濃淡の綾を持っている。風に吹かれていると、視野の広さに生命は拡がり、移動する風とともに心が動いた。風景の中で、木や草は、それに冠せられた個々の名辞を失ない、存在の素形を示した。世界が骨のように透けて見えた。

天地は「清浄身」であり、まわりにある何でもない風景もすべて「浄土」であった。私は風景に面して立ち、感情が自分の内部から出て行って風景の中に居を移すのを見守っている。水田の向うにこんもりかたまっている小暗い木立には、私の中の小暗い感情か転移し、浜積台地の赤い崖には赤い感情が位置する。橋脚に岩燕が巣喰っているコンクリートの橋には、ツバメの動きに応じて細かな情感が集散する。

内なる感情は、風景中の各部位に分散して赴き、風景の全体に行きわたり、完全に外部化する。感情が「定位置」につくと、私の内部は空虚になり静謐が支配し、風景が心そのものになるのだ。それぞれの位置に所定の感情を塗り込んで静止した風景を見るのは、わが心の断層写真を見るようであった。

 ここまでの動きは、閉鎖系としてあった心を解き放って世界に移す段階であり、態度を解除してその中にとじこめていたエネルギーを外に放つ段階なのである。心は元来、世界という外枠まで広がるべきなのに、今迄個人意識という内枠に押しこめられていたのだ。

 既成の感情がことごとく外へ出て行って、もう内面に手持ちの感情かなくなった時、「虚」となった内面の中枢に何かが湧いてくる。表土を取り除いたら、その下から泉が湧いてくるように、古い感情の下から、新しい未知の情感があらわれてくるのだ。それは「透体」としかいいようのない無色透明な情感であり、生命の原形質、あるいは「純生命」といった風なものである。透体は静かに風景を包み、視野全体が精神的な艶を帯びてくる。

そのころ、教員には日宿直の義務があり、交代で日曜日の学校に出勤することになっていた。六月の終りの日曜日、日直の順番が廻って来たので、私は弁当を持って学校へ出かけた。学校は天竜川をへだてて、自宅とは反対側の台地上にある。市街は台地の下を埋め、民家は斜面を這い上っているが、台地の上にはあまり建物はない。

 前夜の宿直職員と引継ぎを済ませ、事務室に一人で残されたのは午前九時頃だった。私は事務机の一つに腰をおろし、家から持参した本を開いた。これから電話の番をする退屈な一日がはじまるのである。だが、私は本を読むかわりに、窓の外を眺めはじめた。

 窓の外には目を遊ばせるのに手頃な広さの芝生がある。教室を三つほと合わせた程の広さの芝生で、これをかこむようにして右手に図書館があり、左手に正面玄関への銀杏並木がある。芝生を越えた正面には、学校の外廓めぐる土手があり、その手前に桜の大樹がある。つまり矩形の芝生は、建物と樹々にぐるりと包まれ、一升桝の底面のような形になっているのだ。銀杏並木の向うには防火用の貯水池が見える。

 私はその日一日、何もしないで事務室の窓枠にはまった、これらの景色を眺めていた。文字通り一日中、昼食の弁当を食べる時以外、窓に向って窓外の景色を眺めていたのである。退屈するどころではなかった。私の心は、輝やかしい充溢感てー杯になっていたのだ。

 午前中の日光は、桜の梢を越えて東側から芝生に射している。しかし、それは巨大な日時計を見ているように少しずつ角度を変えて移動し、午後になると反対側からの日射しになった。その間に、あるとしもない風を捕えて、桜の枝々は交互に緩慢な動きを繰り返し、病葉がハラバラと芝生の上に落ちて来る。思い出したように土手の向うの道を人が通る。買物帰りの主婦や、これから遊びに出て行く小学生達だ。子供達は大きな声で喋りながら通り過ぎた。彼らの言葉は、はっきり聞き取れるが、格別その内容について考えることはない。だだそのものとして聞いているだけだ。

貯水池の方で魚の跳ねる音がする。池の水面すれすれに伸びて来ている桜の枝が、引伸器のアームのように、水面上に見えない図形を描き続けでいる。風景はあちこちで間断なく動いており、それに応じて私の心も動くがそれだけのことに過ぎない。私の意識は深いところで陶酔の状態にあって、意識表層の動きには左右されないのである。

 私は、世界はこのように存在するのだと思った。なべて、あるものはかくのごとくにあるのだ。遠い昔から風景はこうあったし、未来においてもこうあるのである。私は過去と未来を一つに貫ぬく通時的な目で、眼前にある光景を眺めていた。人が肯定しようと否定しようと、自然は永劫にかくのごとくあり続けるのだ。

 やがて日は傾いて、視野の一角を占めているコンクリートの校門は黄昏の色に包まれた。たが、輝やかしい充溢感は依然として続き、透徹した陶酔の感覚も変らなかった。二度の「経験」は、宇宙の始源につらなるような絶対の光を味到させてくれたが、それは長くは続かなかった。精米屋の屋根裏で本を耽読している時、私の心の底に光に包まれた「壷中の天地」があらわれた。この心の中の光の繭のようなものは、本を読んでいる限り徹宵でも続いたか、それは現実には存在しない架空の世界であった。

今、私が感じている充溢感は、現実の世界の只中で、一日中切れ目もなしに続いたのである。終日充溢感が続いたのは、終日私の内から透徹したものが溢れ出ていたからであった。泉の湧出を思わせるように物静かに、「透体」は私から出て行った。そして、それは木や草、貯水地や空を濡らしうるおした。充溢感の正体は、私から出て行った透体、生命のうわ澄みのようなものだった。

透体の正体

木曽で出勤時に感じた地霊とか、伊那の高校で日直をしながら意識した「透体」は、「経験」の終末期に感じた精気と同じものではないか。

そんなふうに考えるようになったのは、逆回心の後だった。通勤途上の私は、前方に見る山脈の上に何時も神の臨在を感じていた。が、それは実は自らが投出したイメージに過ぎないことを知って「神」は消え失せてしまったのだが、神のイメージには、簡単に捨て去るには忍びないような生命感があった。

原始キリスト教は、神と人間を結びつける媒体として「精霊」というものを想定している。木曽での地霊、日直時の透体、出勤途上で感じた神の臨在、これらはいずれも「精霊」を持ってくると納得しやすくなる。そして、その「精霊」なるものの出所を他に求めないで、自らの内奥に求めれば、もっと納得しやすくなるのだ。

「経験」の終末期に感じ取った霊的な精気が、裏自己に居を移したエネルギーによるものだとしたら、上記の諸現象も同じ背景から説明できるのではないか。人は、遠い昔から、心とは別に、魂の領域があることを感じてきた。魂とか、霊とかいわれるものは、裏自己に環流したエネルギーにつけられた名前なのではないか。

裏自己の基本機能は世界を受容することであり、覚醒状態を持続することだった。その本質は愛でもあるが、それは世界の総体を受容する機能を観点を変えて言っているだけで、愛と言っても、こちらから出ていって積極的に他に働きかけることはない。働きかけるとしたら、裏自己内に環流したエネルギーが働きかけるのである。その非運動的運動によって。

禅体験などを通してみる覚醒世界と、陶酔状態で眺める世界とは明らかに違う。後者は、いわば精神的に艶出しされている。世界に艶出しを施したのは環流エネルギーであり、それを同じ環流エネルギーが見ているのだ。だから風景を見ていると、充溢感はとぎれることなく続くが、新しい発見はないのである。「良心」という姿で現れる環流エネルギーも、表自己のエゴイズムを照射するが、意識に新しい知見を付け加えることはない。

環流エネルギーは、人間の内面に魂、霊、良心と呼ばれる特別の領域を作り出す。精霊が人間と神を媒介するとしたら、環流エネルギーは、表自己と裏自己を媒介し結びつける役割を果たしている。

そして「光」は表自己にある力動エネルギーが環流エネルギーに替わるとき、そして環流エネルギーが力動エネルギーを自壊させる時に出現して、惰性的に生きる人間に内面世界への目を開かせるのである。

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