自己嫌悪の増悪

 アウグステイヌスやパスカルは対世間的工作に乗り出して行き、その結果として救い難い自己嫌悪に襲われた。世に出て行く以前の彼らは、小サークルの内部て学問や芸術に熱中していた。彼らは世界を受容し、世界に自己をゆだね、子供が遊びに熱中するように真理探求の生活に没頭していたのだった。

しかし、彼らは三十才を過ぎると、「年令の提起する人生的課題」に直面することになった。 古今を問わず、年令が提起する課題は万人共通である。私達はある年令に達すれば、その年令に特有の問題にぶつかる。私達は皆、同じ順序で同じ障害物が並んでいる「障害物競争」をやっているのである。ある障害物を鮮やかに越えたランナーが次の障害物を同じように越えるとは限らない。私達が各時期にぶつかる問題への対応の仕方を誤ると、それらは加算されて行って、ある時期に私達を「手詰り状況」の中に追いこむ。

その時期が三十才前後なのだ。釈迦・イエス・ゾロアスター教開祖が世俗を棄てたのは揃って二十九才の時であった。そして、人が宗教的な現象にぶつかるのは、その後の30代に入ってからである。

パスカルは三十一才、アウグステイアスは三十二才の時にそれぞれの回心体験を得ている。私の「経験」も三十二才の時だった。私が同僚の多くに確かめた結果によっても、三十才を過ぎてから内面的な「手詰り状況」に陥ったというケースが多い。

 世間的人間はそれぞれの時期に生じる年令的な課題を、社会的な枠組の中で適切に処琢して行く。幼少期には同世代集団へ積極的に参加するという課題があり、ティーンエイジャー時代には性的禁欲に起因する緊張を緩和するという課題、青年期に入ってからは大人から非難されない存在仕方を習得し、自己の果す社会的役割(職業)を選択するという課題がある。生涯添い遂げる異性のパートナーを見つけるのも、青年期の課題である。

しかし、反世間的人間はそれらの課題の一部又は全部を未解決のままにして内面的世界の形成に専念してしまうのだ。例えば、アウグステイヌス、パスカル、良寛は死ぬまで正式な結婚をしなかったし、伊藤仁斉の結婚はきわめて遅かった。パスカル、良寛は子供の頃、同世代集団と接触することがなかった為に、同輩との対等な関係を作ることなしに大人になってしまった。パスカルの知っている人間関係は指導するかされるかの二つだけだった。

 回心前のアウグステイヌズは、そう大した野心を持っていた訳ではない。彼は将来の目標を結婚と知事就任に置き、当面、ミラノ国立学校教授の職務を瑕瑾なく務めて行くことを課題としていただけである。彼のような地位にある者が当然抱くであろう将来計画といっていい。ところが視点をそこへ固定して、毎日の生活をこれへの過程と考えるようになった途端、彼のエネルギー野は前方一点の明るみめざして突き進むトンネル構造を形成するようになり、更に閉塞構造へと進んで行った。

パスカルの希望も社交界に相応の地位を得て、サロンでひとかどの才人として重んじられるという程度のものだった。たが、そこに目標を絞ると彼の世界は閉ざされ、彼の心は光のささない「鬼窟」になってしまった。大勢順応型の人間にとっては何でもない社交辞令・儀礼的行為が、アウグステイヌス・パスカルのような人間にとっては世俗への屈従と感じられ、そうしたことをやった後で自己嫌悪のために胸が張り裂けそうになるのである。

彼らのすることは、カサブタを自分て剥ぎ取って治癒を長びかせる行動に似ている。世間的な行動の型ができかけた頃に、自己嫌悪によって、それをむしり取ってしまうのだ。折角、安定した態度が取れるようになったと思うと、内省がこれを突き崩してしまう。

 アウグスティヌスやパスカルは、世間に投与して歩いた薄汚れたエネルギーが、世間を一巡したのちに一段と腐臭を加えてわが身に戻ってくるような気がした。

人間は誰も聞くものがなくても、広場に立って一時間でも二時間でも演説を続けることができる。私達は話し手であると同時に、それを傾聴する聞き手でもあるから、聞き手の自分が賛同している限りいくらても話し続けることがてきるのだ。だが、私達自身が聞くことを拒否している時には、もう一言も話すことができない。彼らは地位を求める自分の欲望に執着したために、自らの行動がすべて毒矢となって自分に振りかかる陰湿な穴蔵に落ちこんだのだ。

 私は自己嫌悪の否定的側面について書いて来た。しかし、最後に自己嫌悪の別の側面に触れておきたい。自己嫌悪は救済の予兆でもあるからだ。

 自らを嫌悪するのは、その状況から抜け出そうとする力がどとこかで働いているためで、自らを嫌悪する時に私達は現状とは異なる本来の自己のあり方を予感しているのである。回心直前のアウグステイヌスは、苦悶のあまり友人につかみかかった。パスカルは妹をして「見るも哀れ」と表現させるような窮地に立たされた。これは彼らの知らないところで、別種の圧力が次第にその力を強めて来た結果であった。

 私達が自分の世界を暗いと感じるのは、エネルギーを裏自己に戻そうとする「還流圧力」がかかっているためなのだ。表自己の圏内で出口を失って「内攻」しているエネルギーをその圏外において裏自己内に救い取ろうとする動きがはじまっているのである。苦悶は救済の予告なのである。私達が自分は地獄にいると考えるのは膜をへだてて天上の光と相対しているからであり、それは表自己が裏自己の所在をはっきりと捕えはじめたことを意味する。

回心のメカニズム

 回心のメカニズムについて考えるために最初に、禅体験から見て行きたい。臨済禅の見性体験を典型的に示す、白隠のケースを「遠羅天釜」から引用してみる。

 二十九才の白隠は、越後の英厳寺て修業していた。昼夜眠らず、寝食ともに忘れて苦心しているうちに忽然として「大疑現前」という状態になった。層氷のような疑問に凍殺される状態に落ち込んだのである。しかし、胸の中は意外にさっぱりして澄んていた。彼は進むこともできず、退くこともできず、痴呆のようになった。数日、そうした状態が続いた。講議の席に出ても、師匠の声は隔絶された遠くから聞えてくるようだった。堂内を歩いていても、空中を歩いているような気がした。

 ある夜、鐘の音を聞いているうちに疑団が一挙に崩れた。氷盤がガラガラと音を立てて破砕するように崩れ落ちたのだ。水晶の楼閣が倒壊するような感じであった。これ迄の疑惑は根底から消え失せていた。白隠は歓喜して、ここ二百年来、自分のように痛快に打通したものは一人もあるまいと思った。

 白隠が「大疑現前」という状態になったのは、無字の公案を考えていた時だったという。公案を与えられるということは、要するに無理難題を吹っかけられることである。白隠が全力を振って考えているうちに、思考の可能性は使い果たされ、もうそれ以上考える余地がなくなってしまった。それまでに浮んで来た様々な着想やイメージが、思考の飽和状態の中で互いにくっつき合い、意識の表層を氷盤のように蔽って動きが取れなくなる。これが打通直前の状況だったのである。ここまで来なければ、新しい光は生まれて来ないのだ。

 「万里の層氷に凍殺される」という状態が、前節で触れた「表自己の行き詰まり状態」を純粋化したものであることは明らかだろう。寝ても覚めても解決不能の難題を考え続けるという行為は、人為的に視点を一点に固着させる効果を果している。禅僧の思考は、公案のまわりを攪拌機のように動き廻り、あらゆる仮定が次々に無効になって行く中で意識は行き詰まりの閉塞構造に進んでいく。こうして表自己は四方八方へ投出した自らの思考にがんじがらめに縛りあげられて、マユの中の蛹のようになる。

 この自閉のマユを「打通」によって突き破って外へ出ると、そこには「世界」があるのである。禅僧の開悟をひき起す「引き金」として、鐘の音を聞くとか庭掃除をしていて小石が竹の幹に当るのを見るとか、禅書に親しんだ人間には、ああ又かと思わせる千遍一律の偶発事があげられている。これは禅書をものした僧侶遠の想像力が貧弱だったためではないであろう。彼らの開悟が私達を取りまく実在世界の発見を契機としているという現実を反映しているのである。

私達が「見れども見ず、聞けども聞かず」という意識の機能に基いて見落していた外部世界を、自体存在として直視した瞬間に閉塞状態にあった意識は崩れ去るのである。鐘の音や竹の幹にあたる小石は、外なる世界が自閉のマユの中にとじこもった禅僧たちに突きつけた実在のサインだったのだ。既成の意識が剰落したあとに実在の世界が残る。そして雲霧を払ったように歴然と見えはじめた世界、一望の下に直視される万象が、実は自分自身にほかならないことを知る。

自己とは目の前にある世界と一体になった何物かなのだ。見性後の禅僧たちは世界において自己を見、世界そのものを自己と見る心境に達する。

 禅体験は表自己に集められた正のエネルギーが、裏自己に移って負のエネルギーに転換する現象なのだ。エネルギーの場がひろがれば光明を感じ、逆の場合に視界が暗くなるのは日常的な心理で、あるバレー部の選手は大事な試合で相手チームに逆転され、あとー点取られれば負けてしまうというドタン場で、目の前が真暗になったと語っている。エネルギー野の前面が突然にとざされ、エネルギーをはたらかせていたフィールドを不意に奪い取られると、私達は一瞬暗黒の世界に投げ出される。

内的イルミネーションの出現は、この反対のケースであり、閉ざされていたフィールドが「豁然と打開」され、一大光明が感じられるようになった場合である。圧搾されていたエネルギーが、急に広大な世界に放散されれぱ霧吹きのノズルの尖端から霧がひろがるように、それまで知らなかった昂奮や歓喜が実感される。狭搾部を抜けて開放系に出たエネルギーは、禅僧達に自己本来の場へ出たという安心感を与え、自分の本性を捕えたというよろこびを感じさせる。

世界へ出たエネルギーは、力のエネルギーであることをやめて受容のエネルギーに変り、他を圧迫し排除する立場から、万物を無条件で是認する愛の立場に転換する。禅体験に見られる、こういうエネルギー転換のメカニズムは、すべての回心現象に共通する基本構造である。

「見神実験」を経験し、絶対の光を見た者は、誰もがこれを自分だけが体験した独自の現象だと錯覚する。W・ジェームス「宗教的経験の諸相」には、メソジスト教会ジョン・ウエスリイの次のような証言が載っている。

 「ロンドンだけでも、私たちの教会の会員で、自分の回心の経験を実にはっきりと自覚していて、その証言を私が疑う理由のまったくないような会員が、652名いた。そして彼らの一人々々が(一名の例外もなしに)、罪から解放されたのはまったく瞬間的な出来事であったと言明し、変化は一瞬のうちに行なわれたと言明している」

 教会に通っている信者だけではない。例えば、長期療養の患者の多くが病床で突如解放感を経験するという事実も関係者によって指摘されている。

 私達自身もこの経験を簡略化したものなら、日常茶飯のうちに何度も昧わっている。数学の問題を解いている時、クロスワードパズルを考えている時、鉄棒のようなスポーツを練習している時、見事に難関を突破して表自己の閉塞場から裏自己の開放場ヘエネルギーが一挙に跳出するという現象はいくらでも起きる。

 アウグステイヌスもパスカルも回心の直前には、まわりから闇を集めて来て暗黒の洞窟を作り、その中に鬼となって逼塞していた。彼らの内面は、禅的表現を真似れば「暗黒谷の鬼窟」といった風のもので、同じ絶望と自己嫌悪を機械的に反覆するだけの精神生活を送っていた。世界は動きを停止し、彼らの耳には何も聞えて来ない。自らの発する鬼哭啾々の声が聞こえてくるだけだった。

 この危機に際会して裏自己は思わぬ力を結集しはじめる。人格の総体が、石化した意識を「異物」と感じ、一刻も早くこれを排除しようとするのである。生きた肉から死んだ組織を取り除こうとするのだ。

図式化して説明すれば、こういうことである。
表自己に石化した意識が出現すると、裏自己はこれを「異物」と感じる。しかし、裏自己には他に働きかけるエネルギーを持たないから、裏自己内に寄留していた力動エネルギーに出動を促すのだ。

裏自己は自らは変化しないで、他の化学変化を促進する「触媒」の役割を果たすと指摘してきたが、具体的には自己内に環流して来ていた力動エネルギーを表自己に逆流させるのである。私は体験時に、奔入してきた光によって古い自我が押し流されたという印象を受けた。また、禅僧たちは「打通」という言葉で、古い自我が新しい生命によって貫き通される事実を表現している。

回心という現象は、絶体絶命の真っ暗闇の状態では起こらない。この状態で何かが起きるととしたら、自殺というような痛ましい現象なのである。回心は絶体絶命の状態から抜け出て、少し元気を取り戻した段階で起きる。裏自己に少しずつエネルギーが環流し、自我の裏側に力が蓄えられた状態の時に、精神的なビッグバンが突発するのだ。

表自己に逆流したエネルギーは、石化状態にあったエネルギーに穴を開ける。すると、極限まで圧縮されて石のようになっていたエネルギーは爆発して、愛と肯定の光で世界を照らし出すのだ。

「火事場の十人力」という現象は広く知られている。火事が起きれば、裏自己は、自己内に環流させていたエネルギーを表自己に向けて一挙に逆流させる。そして、用が済めば、また、エネルギーを取り戻す。裏自己に拘置されているエネルギーは風のような振る舞いをすると言ってもいいかもしれない。気圧の関係で自由に移り動くが、大気が安定すれば風は自然にやむのである。

従って、裏自己にあるエネルギーを引き出して、「火事場の十人力」を好きなときに発揮しようとしても徒労に終わる。裏自己は状況を注視し、本当にピンチになったときにしか、エネルギーを出動させないのである。

 裏自己のはたらきは、それが世界作用のー環であり、世界状況に応じて動いていると仮定すると、最もよくその特徴が捕えられる。表自己が未だ手段はある筈だと動き廻っているうちは、裏自己は救助に乗り出さない。表自己に打つ手がなくなった時に、裏自己が動き始める。雛のかえる時には、雛が内側から卵殻をつつくのと親鳥が外からつつくのが同時だといわれる。悟りの瞬間の消息を示すために禅僧が考えた比喩であるが、表自己、裏自己の関係で言えば、雛(表自己)の動きがとまってから親鳥(裏自己)が外から卵をつつくのである。

「経験」の最初の段階で、私は光の氾濫のほか何も見なかった。程へて視覚の働きが戻り、室内の光景が目に映るようになったが、それは意味を持たない背景としてであって、その存在感はないに等しかった。私が見ていたのは、なおも力強く湧出を続ける光であり、室内の光景はその背後にとどまる影絵に過ぎなかった。身体感覚は完全に欠落しており、私の身体エネルギーは生存に必要な最少量を残して、ことごとく歓喜の光に振り向けられてしまっていた。光の奔出する様は壮大を極わめ、ナイヤガラ瀑布見るようだった。

 光の氾濫がいかに壮烈だったとしても、これを神秘化してみるのではなく、あくまで力動エネルギーの逸出という観点から説明すべきなのだ。力動エネルギーが解放されて、表自己から裏自己に移ったときに「光」を放ったと解するのである。

意に染まぬ状況に直面して意地を張り、我を押通すというあり方は、エネルギーを質量化して用いることだ。自分の非を認めて現実を受け入れるというあり方はエネルギーを以前とは逆の方向に転化した状態である。この時に、私たちは一種の光を感じる。エネルギーが表自己から裏自己に移された瞬間に光を感じるのである。

 光の爆発の強さは、その時点で表自己に圧搾されていたエネルギーの量に比例する。ガス爆発の強さが室内に充満していたガスの量に比例するのと同じである。このとき、光は身体各部位に常備されているエネルギーを引きさらって行くから、「心身脱落」状態が生まれる。一切合切のエネルギーを引きさらっていくから光の輝きは、「超自然的」と感じられるほど強くなるのだ。

 私は光が奔入して来たと感じたが、奔入箇所が明確ではなかった。感動して温かなものが心の中に湧いてくる時に、その湧出点を特定できないのと同様である。「奔入」に力点を置かず「奔出」を中心に考えて行けば、光の奔入箇所について神経質に論議する必要もなくなる。表自己から裏自己へとエネルギーが還流する運動を人格の根源力と見て、これで回心現象を説明すればよいのだ。

 光が爆発した時、私は光の真只中にいたために台風の目の中のような静寂の裡にあり、光は私の外に向って放たれていた。そして暫くすると、私は爆心部を出て光の渦中に入っていた。光の奔出は次第に勢いを弱め、温泉の湯壷の規模になり、最後には林地に湧く泉程度の大きさに縮小した。光の湧出量が減少するにつれて、それを包む「透体」の存在が意識されるようになり、あたりが透明な精気によって包まれているように思われ出した。透体も又光の一種なのだ。

やがてこの透体も薄れて行ったが、この衰弱の過程は日常的意識の回復の過程と対応しており、身体感覚が戻ってくるにつれて透体野の「面積」が減少して行った。これは何となく広い池のまわりの方から結氷が進んで凍らない部分が池の中央に取り残されるのに似ていた。自我は光を蔽う暗幕であり、自我組識とは遮光組識にほかならないのである。

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