鉄棒に挑戦(1)
小学校5年の頃、体育の時間になると憂鬱になった。大の苦手の鉄棒があるからだ。
ある日、一人ずつ鉄棒の前回りをしてから、先生のいる前の方に出てこいということになった。出来ない者は、何時までも皆の視線を浴びて、鉄棒の背後に立っていなければならないのだ。
ついに私の番になった。
「出来なかったら、みんなのいるところに行けないぞ。思い切って、やってみよう」
と思って、鉄棒に付いた。
「こうなったからには、おちてもいいや」と思ったが、顔が青ざめて行くのが自分でも分かった。
「えい」
とばかり、思い切って力一杯まわった。
「出来た!」
夢のようだった。
「Sさんは、死んだような顔をしてやったぞ」
と先生がみなに言った。
鉄棒に挑戦(2)
「逆上がりの出来ない者は、来週の火曜日までに出来るようにしてこい」
と体育の先生がおっしゃった。
その日から、私たちの練習が始まった。
はじめは8人ぐらいいた鉄棒仲間が、どんどん減っていった。そして、私とMさん、Sさんの3人になってしまった。それを知ったクラスの数人の友達が、土曜日の放課後、遅くまで私たちにつきあってくれた。
私たち3人の中でMさんが一番一生懸命だった。何度も何度も繰り返しているうちに、Mさんの体がくるっと一回転した。みるみるうちに、彼女の目は涙でいっぱいになった。Mさんの親友も一緒に泣いた。私の目からも、涙が出た。私は自分もがんばらなければと一心に練習したが、その日はとうとう出来なかった。
・・・・・火曜日が来た。私は授業の前にSさんと庭に出て鉄棒を握った。足を蹴った。その時、私の体は一回転していた。横でやっていたSさんも出来た。
陸上の練習
「陸上の練習」の原稿。藁半紙を半分に切ったものに書かれている
あれは中学三年の夏休みでした。私は9月に開かれる郡の陸上競技大会に出るため、時々登校して練習をしていました。もともと走ることが嫌いな私が、陸上の選手に選ばれたのは、砲丸投げで他の人より少しばかり遠くに投げられるというだけのことでした。
そういう私には、練習に行くのがとても苦痛でした。でも、他の選手に不真面目だと思われたくなかったので、その日も3キロばかりの道のりを自転車に乗って学校に向かいました。東西の山並みがくっきりと空に浮かび、大きな入道雲がそこからにょっと顔を出していました。アスファルトに照りつける日射しはきつく、坂の上にはかげろうがゆらゆら揺れていました。
額の汗をぬぐいながら運動服に着替えてグランドに出ました。運動場の土は、乾ききっています。そんなグランドを見たら、一層、練習が嫌になったのでした。でも、ここまで来たからには、もう引き返すことは出来ません。
やがてジョッキングが始まりました。腿上げ、横跳び、ランニング・・・・ランニングは、トラックを7周もしなければならないのです。私は前を走る人の足を見ながら、懸命に走りました。3周くらいした頃、呼吸は苦しくなり、足は重くなり、もういい加減に止めてくれと叫びたいほどでした。喉は渇く、気のせいか胃がむかつく、頭の中はもう脱落しようという考えで一杯になりました。
4周・・・5周・・・なんだか身体が軽くなったような気がしてきました。喉はi痛みます。けれど、足は快く前へ出るのです。一足、一足、私の目はしだいに足下から離れて、グランドの回りの濃緑の桜並木へ移っていきました。
西に傾いた太陽を受けて、桜の影が地面に長くのびています。7週目も間もなく終わりです。足は自分のものでないように快調に前へ進みます。心臓の鼓動は規則正しく、コットン、コットン、体じゅうに血液を送り込んでいます。呼吸も、これに合わせてリズミカルです。もっと走りたいような気持になってきました。
そばを走っている友だちの顔に、太陽がチカッと光ったとき、今日は練習に出てきてよかったと思いました。
徹夜した朝
私は勉強というものが、あまり好きではない。だが、必要に迫られて勉強しなければならないことがある。試験の前などだ。
テストの前、調子がよければ私は、何時までも起きて勉強している。徹夜をした朝、太陽の光がいつもよりまぶしく感じられる。その時、私は小さな満足感を味わうのだ。