「私の宗教的体験」への批評

(このホームページに対する批評を、神戸のtamiさんがご自身のホームページに書いてくれています。tamiさんは、大学の哲学科を出られた英才なので、私などよりずっと広い見識をお持ちです。私は氏の批評を読んで自分の視野が拡大するのを感じました。tamiさんの文章を拙文の支柱にしたいという狡い魂胆から、以下に全文を転載させて貰うことにしました。tamiさんはドイツ語も英語も堪能で、インターネットを通して世界の各地から面白いニュースを収集されています。


<ある至高体験>

私の宗教的体験

畑に家を建てるまで

Oさんから、自分の宗教体験について書いたと

の案内メールを頂いたので、直ぐに見に行った。

読み応えのある文章がぎっしりと詰まっていて、

なかなかのものでした。

推察するに、Oさんは70代前半くらいのお年で

しょうか。定年退職したあと、郷里の伊那谷に

農地を借りて住み、文字通り晴耕雨読の生活を

続けておられるという。

パソコン歴は相当長いみたいで、マックとウイン

ドウズを使いこなしておられる。母屋と隠居屋を

電灯線を介してLANで繋いでみたというから、

私もそこまではしていないなあと感心している。

Oさんと知り合ったのは、パソコン通信のフォー

ラムでのこと。だいたい相当年輩の方だとは

わかるが、はっきりとした年齢はネットを介して

はわからない。Oさんは、相当議論好きな方で、

右翼の青年を相手に議論して、傑出した能力

を示されていた。元労組支部長というから、肝

が座っている。

そのわりに、一番興味があるのは、文学の趣

味のようで、鴎外に凝っておられる。

労組幹部と文学趣味はちょっと合わないなと

いう感じもするが、鴎外も軍医総監と文学者

を両立させていたので、この種のハイブリッド

なところが、鴎外好みの由縁なのかもしれな

い。

私は伊那谷という環境に特に関心をもって

読んだ。

私は高校時代に、藤村が好きで、特に「夜明

け前」を好んでいた。

大学受験は、東京で受けたが、友人と一緒に

出かけて、帰りは中央線で大阪に帰った。

途中、馬籠によって、藤村のご子息が経営して

いると聞いていた旅館「よもぎ屋」に泊った。

この「夜明け前」から、恵那山の向こうの伊那

谷にも関心が残っていた。

長野県は、教育熱心な県で有名だが、Oさん

の文章を読んでいて、これが田舎の学校の

雰囲気かなという感じがした。

どちらかというと都会的なインテリ風の雰囲気

がある。これはやはり伊那谷のある長野という

教育熱心な県だからこそ、こんな雰囲気がある

のだろうかと思った。

Oさんのお父さんは、教育者で、本棚には哲学

書が並んでいたとある。

やはり家庭環境も、知的な雰囲気があったの

だろう。

西洋の伝統の中には、知的な生活に価値をお

くという伝統がきっちりと根付いている。

知的な生活は、別になくても困ることはないが、

ともかく、知的な活動が人生で価値があるのだ

という観念は子供時代の教育で決まるし、それが

営々と伝統的な生活スタイル中で維持されてい

るのが西洋的な、ある種のエスタブリッシュな階

級の伝統だろうと思う。キリスト教の影響もあり、

あるいは、ギリシャ、ローマの影響もあるだろう

が、世界と人生の意味を問い続ける生活スタイ

ルは、西洋文化の精華だと思う。

日本では、大学を出れば、知的な関心を失っ

てしまうのが普通なのだが、Oさんは、70に

なっても知的な問題意識を抱えているというの

は、なかなかのものだと思う。

私は、伊那谷という風土と、教育者の家庭に

育ったというところにも、その理由を見たいと

思った。

<至高体験>という言葉は、コリン・ウィルソン

か、マズローの使った言葉なのだろうか。

彼の作品にも、「至高体験」河出文庫という

本がある。

カルト教祖を扱った本に「カリスマへの階段」

というのがある。

彼は、その中で一人の少女の体験について

書いている。なかなか感動的な部分だった。

少し長いが引用しておく。

「16才の少女は次のように語っている。

「ある日の夕方、私は例によって一人で林に通

ずる小道をたどっていました。

その時、特に嬉しいことも悲しいこともありませ

ん。ごく平らな気持ちでした。また、何か「当て」

があったわけでもありません。静かに散歩した

かっただけです。八月だったと思います。小麦

が実っていて、夏服にサンダルだけの姿でした。

林に入るすぐ手前で私は立ち止まり畑を振り返

り、2、3歩進み出て小麦の穂に手を触れ、微風

に揺れる小麦畑を眺めていました。....

その時..何か「空白」があったに違いありませ

ん。その長さはよくわかりません。

とにかくそれから戻った時には、意識も機能も

ごく正常でした。

あの時、私の周囲のすべては白く輝く光でした。

雪の上に光る太陽、あるいは数百万のダイヤ

のようで、小麦畑も林も空も見えません。「光」

があまねく満ちていました。私は普通に目を開

いていましたが、普通の目では見ていなかった

と思います。その長さは一瞬だったに違いあり

ません。でなければ、地に倒れていたことでしょ

う。

あの時の気持ちは表現できません。いずれに

せよ、それ以後、あの輝かしい瞬間に比べられ

る時を私は体験していません。至福の中で上昇

していました。

私はただ口を開いて驚嘆しているだけでした。.

..

あれを見たのは、ただ一度だけです。しかし、あ

れは今そこにも、..私たちの周囲のあらゆると

こにあると私は心の中で信じています。天が私た

ちの中とまわりにあるのです。以上が比較を絶し

た幸をもたらしてくれた私の素晴らしい体験で

す。」

彼女はイェーツのように外部の現実が「心の汚い

屑屋の店先」とは思わない。その日以降..自殺

へと誘った憂鬱症状には免疫となる。どれほど

悲観に感ぜられようと、彼女はそれがほんのそ

の場の感じで、目の眩むような大いなる現実が

自分の周囲すべてに隠れていることを知っている。

心理学者マズローは、学者としての大半をかかる

白熱した意識の瞬間−−マズローの用語では

「至高体験」−−の研究に捧げた。

それは必ずしも今述べたような神秘体験とは限ら

ない。嬉しさと肯定感、あるいは、世界は善で、努

力は報いられるとの単純な体験でもかまわない。

マズローは健康な人間はほとんどかなりの頻度で、

「至高体験」を持っていることに注目し、この理由を

「人生を神経質かつ否定的態度で見ることで、自ら

問題の種を蒔くことがないため」と考えた。

ユングも特異な体験をした人物で、「ユング自伝」

みすず書房に詳しく書いている。

彼は、人は、世界に対して絶対的に肯定する必要

があると言っている。

否定的にとらえている姿勢が、神経症か鬱病を

生みやすいとする。

世界を絶対的に肯定するとは、現在の様々な悩み、

困難に目をつぶるという意味ではない。

中世神学の用語で言えば、「永遠の相の下に」

世界を見ると総てが肯定的なのだという意味に

なる。宗教家の感じ方に近いかもしれない。

コリン・ウイルソンもいうように、至高体験を経験し

た人は、一生、鬱病になることはないような気が

する。認識の根底に肯定的なものがあるからだ。

Oさんも、そういう体験をされたわけだが、幸せな

体験だったのではないかと思う。

「至高体験」というのは、日本では、特に、仏教の

世界ではあまり評価されてこなかったような気が

するのだが、どうだろうか。

キリスト教は、伝統的に評価してきた歴史がある

ので、数多くの記録が残っている。

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンという修道女がいる。

華麗な画像を幻視した人で、神学の素養のある

人が意味を解釈した。その絵も残っている。

この女性は、カトリックの聖人に列せられた。

ユンクもこの種の例を数多く解釈した。

スイスの修道士、フリューエのニコラウスという

修道士も聖人になった人物だが、強烈な光の

中に三位一体の像をみたという。

ヘーゲルが高く評価した靴屋の哲学者に

ヤコブ・ベーメという人物がいる。なぜヘーゲル

が哲学史にまで、この人物をいれたかというの

はなかなか難しいところがあるかもしれないが、

彼も、強烈な体験をした人物。

靴屋でありながら、体験を著作に表したが、

なかなか理解しずらいものになっている。

ユンクは、元型論でこれを解釈している。

ドイツ神秘主義というのも、この種の至高体験

者の流れに属している。

岩波文庫にある、シレジウス詩集というのも、

シレジウスの神秘的な体験が結晶したものだ

と言える。

マルティン・ブーバーに、「忘我の告白」法政

大学出版会というのがある。歴史上の有名な

神秘体験者の記録を集めている。

キリスト教はその初期から神秘体験者を評価

してきた。

パウロは、ダマスカスへの道の途中で、イエス

が語りかけるのを体験している。

彼は、書簡の中で「異言を語る者」について

書き、それぞれの役割を評価している。

原始教会にあっては、神秘体験者は多くいた

といえるのではないか。

逆に、ユダヤ教は、その基礎をきずいた予言

者たち、イザヤ、エレミア、エゼキエルなど、

神の声を聞いた予言者達が多くいたが、

後には、合理的な律法解釈に重点を移し、

魔術的な要素を排除していったといわれて

いる。

むしろ、キリスト教がその痕跡を残していった。

イザヤ、エレミアなどの予言者たちは、その

迫真的な強烈な体験に突き動かされて、

ユダヤ教、キリスト教の基礎をきづいたと

言われている。彼らがいなかったら、現在の

宗教は、まったく違った姿をしているだろうと

いう。

古代世界には、こういう神秘体験をする人

は多かったと思う。それを基礎にして、宗教

はなりたっていたのではないだろうか。

時代が下るに従って、その種の体験は排除

されていく。

この種の体験は、文化に依存している。

文化が異なれば、体験する数も変わり、

内容も変わるのではないか。

現在の科学主義の時代では、UFOを見る人

が多い。

UFOは、神秘体験の代替物になっている。

フイリピンなどでは、今でも、マリアを見たと

いう人が多く出てきている。

日本では、沖縄の巫女などで、特異な体験

者の例がみられる。

これが古代の姿ではないかと思う。

原初の人々は、多くの神秘的な体験をしていた。

今は排除していく関係にあるが、まったく

排除していって、理性的、合理的な世界観に

だけ依存していって、それで人のこころは安ら

ぐのか。ここが一番問題なのではないかと思う。

ちょっと、Oさんの体験から離れていった感じ

があるが、Oさんは、今はどちらかというと、

アナーキズムに関心を寄せているという。

中江兆民にも傾倒していて、根っからの

唯物論者に徹したいという。

マルクス主義から、アナーキズム、唯物論者。

どれも合理主義、理性主義に属する。

そういう方だから、霊光体験をしても宗教者

の道をたどらなかった。ちょっと、マルクス主義、

アナーキズム、唯物論の守備範囲を越えた体

験だからやむを得ないのかもしれない。

ちなみに、幸徳秋水の「兆民先生」はいい作品。

これは私の座右の書となっています。中江兆民

はいい。その息子の丑吉というのもおもしろい人

です。私も丑吉のような生活をしているので、

なんとなくわかるが、あまり意味のある人生を

送った人ではなかったような気がする。


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