貴乃花の落ちた陥穽

引退会見に父親とともに出席した貴乃花の顔を見て、これはいけないと思った。すっかり太ってしまって、貴乃花の顔がまるでサッカーボールのように丸くなっているいるのである。

力士としての貴乃花の財産が何かと言えば、その筋肉とスタミナにあるのだ。これは家系的なもので、叔父の若ノ花や父の貴ノ花も強靱な筋肉に恵まれ、これでもって叔父は横綱になり、父は大関になったのだった。

 引退会見をする貴乃花

引退会見で父親は息子のスタミナについて語っていた。
新弟子時代の貴乃花は、午前3時から夜の8時頃まで休みなく体を動かしており、父は息子にこのスタミナがあれば何とかなるだろうと思ったというのである。

スタミナもさることながら、やはり貴乃花の財産は筋力(特に腕力)にあった・兄の若乃花は、尻から大腿部にかけての筋肉が発達していて、この下半身の強さで横綱になったのだが、貴乃花の方は上体の強さに特徴があった。

入門当時の彼の体重は108キロしかなかった。だが、そんなことは問題ではなかった。彼は抜群の筋力とスタミナで勝ち続け、十両到達最年少記録をはじめとして次々に「最年少記録」を塗り替え、わずか20歳で大関に昇進したのだ。

あの頃の彼の四股は、ほれぼれするするほど見事だった。
片方の足を支柱にして、反対の足を高々と上げる。今にもバランスが崩れて倒れそうになるところまで足を上げておいて、その足をゆっくり踏み下ろす。それは、まるで絵のようだった。こうした絵のように美しい四股を踏めたのも、彼が均整のとれた筋骨質の体型をしているからだった。

破竹の前進を続けていた貴乃花が、急性腸炎と背筋痛のためにはじめて休場したのは23歳の時で、これを転機に彼は体重増加をはかり始める。貴乃花は必要以上に勝ちにこだわるようになり、その結果、勝つためには体重を増やした方がいいという力士仲間の常識に安易に乗ってしまうのである。

貴乃花は、それまで曙・武蔵丸というような大型力士と対等以上に渡り合っている。彼らの突っ張りをかいくぐって懐に飛び込み、相手のマワシを掴んで体力勝負にもちこむのだ。力戦奮闘型の勝負に持ち込んでしまえば、筋力とスタミナに勝る貴乃花が負けることはほとんどなかった。

 横綱千代の富士を破った貴乃花(18歳)。この位の体型が理想的なのだ。

従って、彼は無理して体重を増やすことなどなかったのである。
にもかかわらず、彼は自分を大型化する計画を進め、一説によれば筋肉増強剤まで使用したと言われる。理由は、貴乃花が周囲の期待を一身に集める角界の星だったからだ。

今度、新聞で貴乃花の場所ごとの戦績表を見ていたら、負け越した場所の次には、大抵の場合、獅子奮迅のがんばりで十勝以上の成績を上げている。彼は一本調子で昇進を続けたのではなく、一歩後退二歩前進というやり方を繰り返して横綱まで到達したのである。

これが彼の行動様式だった。
入門当初からマスコミに騒がれ続けた貴乃花は、自分について世間が作りだした虚像に追いつくために必死の努力を重ねてきた。人気者の悲劇とは、世間の期待に応えようとして燃え尽きてしまうことだが、貴乃花は負け越して世の期待を裏切った後では、「不惜身命」の努力を傾注して世間の期待に応え、角界の新しき星貴乃花というイメージを維持してきたのだ。

こういう貴乃花だから、休場後は以前にもまして勝つことに貪欲になった。そしてライバルに対抗するため体をどんどん大きくしていった。その代償が、内蔵疾患の悪化と負傷の増加だった。

体重の重い大型力士の取り口には、共通点がある。最も脆弱な部分である膝をかばうために四つになることを避け、突っ張りで相手をつき起こし突き出し、短期決戦型の相撲を取るのである。

古くは高見山や曙がそうだったし、現役力士では闘牙がそうで、皆、相手を突き放して寄せ付けないことを心がけている。高見山などは、相手に組み付かれて押し込まれると、自分から土俵を割って外に出てしまった。変にがんばって転びでもしたら、膝を傷めて元も子もなくなってしまうからだ。

ところが、力戦奮闘型の貴乃花は、体型が変わっても四つに組んで相手をねじ伏せるようとする。これでは、故障が多くなるのも当然である。

叔父や父は、筋骨質の体型を変えずに相撲をとり続け、不本意な引退に追い込まれるようなことはなかった。貴乃花はあまりに早くから人気者になったおかげで、人気のむなしさを知りながら、世間が作った虚像を現実のものにするために苦闘するという陥穽に落ちてしまったのである。

貴乃花の引退によって、衰退の傾向にあった大相撲はさらに打撃を受けるだろうといわれている。大相撲のことも気になるが、二子山部屋の将来についての予想が狂ったことも気になっている。

私は二子山部屋が順風満帆だった頃、将来二子山部屋は兄の若乃花が継ぎ、貴乃花は一代年寄りになって新たに部屋を起こすのではないかと思っていた。しかし、引退会見の席で父親の貴ノ花は、兄にではなく引退した弟に部屋を継がせると明言している。

日本相撲協会も二子山部屋も、今後苦しい道を歩むことになるに違いない。両者とも、すでに、山高ければ谷深しの思いを強くしているかもしれない。(03/1/21)

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