正田邸解体問題

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1月15日、TVのワイドショウにチャンネルを合わせたら、旧正田邸の前
に集結した30人ほどの市民が映っている。解体工事に反対するため
に邸の前に集まった人たちで、彼らはとうとう工事資材を運んできたトラッ
クを追い返してしまった。これを放映していたTV局は旧正田邸保存に熱心
で、番組上でゲストを呼んで保存運動の正当性を弁じさせていた。

最初に断っておくけれど、私は別に、保存運動にケチを付ける積もりはな
い。だが、工事用トラックを追い返した人たちが、激高して語る言葉にある種のお
かしさを感じたことは事実だった。

「明日は、陛下が手術なさる日なんだ。そういう時に、取り壊し工事に取り
かかるとは、言語同断じゃないか。役人の非常識がここまで来ているのには
呆れるよ」

天皇が手術を受ける前日だから、解体工事に着手してはならないという理屈
は果たして成り立つだろうか。この二つの間に、密接な関係があるとは到底
思えない。しかし、言っている当人は大真面目で、この論理の正当性を毫も
疑っていないのである。

もしかすると、手術前日に工事をすべきではないという意見に同調する国民
も多いかもしれない。としたら、これを滑稽だと感じた私の方に問題がある
ということになる。

先日、新聞に「皇室に親しみを感じるか」という年齢別の調査結果が載って
いた。正確な数字を引用できないのが残念だが、20歳台の数字が際だって
低いことに注意を引かれた。中高年の「親しみを感じる」という比率が
70,80パーセント台に達しているのに反し、20代では20パーセント
台の数字しか出ていないのである。

これは今に始まったことではない。
今から30年ほど前、私が勤務していた女子高校で生徒会新聞が天皇制につ
いて調査したことがある。女子高生には皇室ファンが多いのではないかとい
う予想を裏切って、天皇制に反対という数字がほぼ80パーセントに達して
いた。

だが、よく考えてみれば、これは別に驚くべきことではないのである。
戦後の教育は、すべての人間が平等であること、生まれや門地によって人を
差別してはならないことを教えてきたのだから、天皇制の存在に違和感や反
発を感じない方がおかしいのである。

それに若いうちは、皇室などよりもっと親しみを感じるものがたくさんある
から、今回の調査では大相撲よりサッカーの方が好きだというノリで、皇室
に親しみを感じないと答えたかもしれない。

では、原理的な立場やら感覚的な理由から、天皇制を否定していた若者たち
が、加齢とともに皇室に親しみを感じるようになるのはなぜだろうか。マス
コミが定期的に流す皇室情報によって、国民が次第に慣らされ、しまいには
皇室一家を国民共通のアイドルと見なすようになるという事情もあるだろう。

                    

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しかし国民一人一人の皇室に対する感情は、微妙に異なる。

共産党員だった中野重治は、昭和天皇が満州皇帝溥儀を駅頭に迎える場面を
ニュース映画で見て、天皇に好意を感じた。昭和天皇は、客の一行

を迎えるに当たって、足を小刻みに動かして相手に正対し
ようと努力していた。そこに中野重治は、天皇の実直さや不器用さを読みと
り、人間としての天皇に親しみを感じたのだった。

結核療養所に入ったら、患者仲間に天皇の物真似がうまい男がいた。
昭和天皇の声色を実に巧みに模写してわれわれを感嘆させていたその男は、
実は天皇のファンなのであった。天皇に対する感情は、かくのごとく千差万
別で、一筋縄ではいかないのである。

現天皇に対する「国民感情」も、個人によってかなりのばらつきがある。

皇太子時代の天皇は、学習院で学んでいた。
時の学習院長はカント哲学を専門にする安倍能成だったが、新聞記者の質問
に答えて「皇太子の成績は、中位」と漏らして物議を醸している。

皇太子の同窓には、その頃の特権階級の子弟が多かった。
彼らには、そうした階層の子弟に特有のシニシズムや偶像破壊欲があって、
皇太子に「チャブ」というあだ名を付けていた。解説をつけるのは遠慮する
けれど、これはかなり侮辱的なあだ名なのである。

そして軽井沢でのテニスコートの恋である。
日本中を熱狂させたラブロマンスの主役は、皇太子ではなくて実は「民間」
の出である美智子妃の方だった。事情は皇太子夫妻が外遊した先でも同じで
、人々の注目は美智子妃に集中した。新聞には、すっかり拗ねてし
まった皇太子が、以来「皇太子妃の夫です」と自己紹介するようになったという
記事が載っていた。

断片的に下々に伝わってくるこれらの情報は、むしろ戦後の日本人に歓迎さ
れたのだった。いくら言論統制が厳しかった戦前でも、天皇を「現人神」だ
と信じているようなお人好しは皆無に近かった。それは建前のことで、本当
は天皇も並の人間と変わりはないと皆思っていたのである。

だから、戦後に神権的天皇制からマイホーム天皇制に変わったことは国民に

好意的に受け取られた。三島由紀夫のようにこの変化を恨みとし、「などて

すめろぎは人間(ひと)となりたまいし」と嘆いたものはほんの少数にすぎなかっ
た。

                           

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もし皇太子が頭脳明敏で学習院の教師陣や級友を畏服させ、宮内庁が選んだ
旧華族の子女と結婚し、外遊した先々で外人記者たちに模範的な受け答えを
していたら、皇室への親しみはこれほどに高まらなかったのではないか。国
民が皇室に親しみを感じるためには、皇族が特別にすぐれた人間である必要
はない。彼らが等身大の人格を備え、われわれと悲喜哀歓をともにする存在
であってくれればいいのである。

にもかかわらず、天皇一家は特別の存在であることを宿命づけられている。
首都を訪れた外人作家は、皇居を「東京の中心にある真空地帯」と表現した
し、日本のある詩人は天皇を(社会的に)不在の人と呼んでいる。

皇居に、一般の人間が立ち入ることはできない。天皇一家も、皇居を出て自
由に外出することができない。

天皇に対して外から政治的に働きかけることは出来ないし、天皇が外部に向
かって政治的な意見を表明することも禁じられている。彼は政治的には完全
に不在者なのである。

天皇と皇族は社会から隔離されたガラスケースのなかに押し込められてい
る。そこから出ることが出来るのは政治的に無害な国事行為に関わるときか
、式典や開会式に出席する時だけである。

正田家では、娘が皇太子から求婚されたとき、家族会議を開いて将来のこと
を話し合ったそうである。そして、天皇とは終身外交官のような者だからと
申し出を受け入れることにしたと伝えられている。確かに天皇は終身外交官
かもしれないが、外交上の案件についていっさいの発言を禁じられた外交官
なのだ。手を縛られた外交官。

トーマス・マンは「大公殿下」という小説で、こうした状況に置かれた王族
の悲劇を描いている。主人公は、君主制を敷いている欧州の小国の皇太子
で、彼の仕事は国内各地に出かけてテープカットをしたり、儀式に参列した
りすることだけだった。

こういう生活のなかで、彼は懸命に生き甲斐を見つけようとしている。
自分が儀式や大会に出席すれば、国民が喜んでくれると思うことで、彼はロボットのよう
な日常に耐えているいるのだった。事実、国民は一定の距離を置いて彼に好意を寄
せていた。

だが、彼がフォークダンスの群に飛び込み、我を忘れてその身体的な欠陥を
あらわにすると、居合わせた人々はぞっとするほど冷たい視線を彼に浴びせ
かけるのだ。皇太子がガラスのケースの中に納まっているうちはいいのであ
る。けれども、一歩踏み出して国民と同化しようとすると、たちまち冷淡な
拒絶に会うのだ。

人形のように空虚な生き方をしていた皇太子は、アメリカ娘と恋愛関係にな
り、彼女から厳しい批判を受けたことで生き方を変える.これまでの彼は国
民を喜ばすことだけを考えて、本当に国民を愛してはいなかった。皇太子
は、己を捨てて国民に献身することがなければ、見た目が美しいだけで香り
のないバラの花のようなものになってしまうことを悟るのである。

われらの皇太子も、若い頃はありきたりのぼんぼんに過ぎなかった。しかし、
ある時期から、トーマス・マン描くところの大公殿下のようにと生き方を変
えたのである。

現在、天皇制に対してもっとも厳しい目を向けているのは沖縄の人々であ
る。天皇の名の下に戦われた太平洋戦争で、最も深刻な打撃を受けたのは沖
縄の人々だったからだ。彼らが、天皇制を無条件で肯定するはずはない。

沖縄から拒絶されたという体験を機に、皇太子時代の天皇は覚醒して現実を
直視するようになった。彼は沖縄について学び、天皇に即位してからも、こ
と沖縄に関する限り、特別に強い関心を払うようになった。

これには父天皇の過ちを償いたいという気持ちもあるに違いない。
しかし神戸大地震の罹災者を見舞った天皇の行動を見ると、天皇の心情には
もっと深いものがあるような気がするのだ。

学校の体育館に仮住まいしていた罹災者たちは、板敷きの床に正座して天皇
を迎えた。これに対して、天皇も罹災者の前に正座して座り、慰問の言葉を
かけている。現代の人間は、座布団の上で正座することさえ苦痛としている
のに、天皇は罹災者の前に膝を折って座り、最後まで正座を崩さなかったの
である。

こういう天皇を見れば、罹災者への気持ちが半端ではなかったことが分か
る。

正田邸の保存を希望しなかった皇后の気持ちにも、同じような心根を読むこ
とが出来る。皇后は、公費によって養われている自分が、実家の問題でさら
に公の金を使うことになるのを心苦しく思ったに違いないのだ。どんな形であ
れ、これ以上国民に負担をかけることが忍びがたかったのである。

国民の側も、こうした天皇・皇后の心情を理解して行動すべきではないか。
「聖上」は、われわれがむやみに皇室を持ち上げて、敬慕の情を捧げることを望んではい
まい。

正田邸保存運動にケチを付けるつもりはないと書いたが、最後に一言苦言を呈しておきたい。

われわれがなすべきことは、正田邸の前に集団で張り込んで「皇后様のご実家です
よ」と解体阻止の金切り声を上げることではなく、皇后の意志を体して静か
に解体作業を見守ることではないか。(03/1/20)

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