韓国ドラマ・冬のソナタ 1 新聞のテレビ欄に韓国ドラマ「冬のソナタ」を再放送するという案内記事が載っていた。「冬のソナタ」は韓国で社会現象になるほど評判になったドラマで、日本でもBS2で放送したところ大変な人気を博したという。
「社会現象になる」という意味がもう一つはっきりしなかったが、その昔、わが国でラジオドラマの「君の名は」が評判になった時、その放送の時間帯になると銭湯の女湯がからになったと噂された。社会現象というのは、そんなふうなことを言っているのだろう。
とにかく興味を感じて、2週連続の再放送を視聴してみた。全編をくまなく見たというのではないから(途中でほかの番組に切り替えたりした)、正確な批評はできないけれども、メロドラマとしてはよく出来ているという印象を受けた。
メロドラマは、たいてい愛し合う二人がさまざまな障害に阻まれながら、最後に思いを達するという筋立てになっている。「君の名は」は、すれ違いドラマで、二人が巡り会えそうになりながら、すれ違ってしまうところに女性たちを熱狂させるポイントがあったらしい。
冬のソナタも、愛し合う二人が結びついては離れ、結びついては離れることを繰り返す構造になっている。この反覆構造によって、話を長引かせることも出来たし、視聴者のハラハラドキドキ度を加速させることも可能になった。そのへん、実に巧妙に作られたドラマだった。
2 再放送もすんだことだし、ここで話の中身をばらしてしまってもいいだろう。ヒロインはソウルに近いある町の女子高校生。この女子高校生をソウルの高校から転校してきたA という男子生徒と、女子学生の幼馴染みであるB という在校生が愛したことから三角関係が発生する。物語はここからはじまるのである。
Aの母親は独身の著名なピアニストだが、息子には父親が誰であるか教えようとしない。それでAは父親を捜す目的でヒロインの住む町に転校して来たのだ。Aが探している父親は、実は恋敵である在学生Bの父で、AとBは腹違いの兄弟だったけれども、この事実は最後まで伏せられている。
Aはヒロインと恋仲になった段階で、探している父親がヒロインの死んだ父親ではないかと思い違いしてしまう。ということになれば、Aとヒロインは兄妹の関係になる。悩んだAは、恋人と縁を切る決意を固め、母親と一緒に渡米することになる。
話はまあ、こんなふうに進行するのである。
渡米を決意したAは、ヒロインとの待ち合わせの場所に急ぐ途中で、交通事故にあって急死してしまうのだ。10年後、建築士になったヒロインは、なくなったAへの愛を胸に秘めたままBと婚約する。そこへAとそっくりさんの建築会社理事aが出現するのである。ヒロインの勤める設計事務所と、aが理事をしている建築会社が協力関係になったために、ヒロインはaと頻繁に顔を合わせるようになり、やがて二人は恋仲になる。
ヒロインがBにむかってAを愛するようになったので婚約を解消したいと申し出ると、Bは落胆のあまり食を断ち入院する。病院で、すっかりやつれたBを眺めたヒロインは、泣きながらaのことはきっぱり諦める、そしてBと結婚すると誓う。かくてBとの結婚準備は着々と進み、式の日取りまで決まってしまう。
物語がこの辺までくると、視聴者はAとaが同一人ではないかと推測するようになる。だから、ヒロインがあまりにも簡単にaを諦めてBと結婚することにアレアレ、そんなことでいいの、と思う。そしてヒロインが早くA=aであることに気づいてくれないものかと、やきもきする。
鈍感なヒロインも、Bと結婚する直前になって、A=aに気がつく。すると、ヒロインは、またもや方向転換してBと決別し、aとの関係を復活させるのである。
この時期に、aが再び交通事故に遭うというのも、視聴者の読み筋である。このへんで、Aがまた事故に遭って、そのショックから過去を思い出して貰わないと話が進まないのだ。視聴者の期待通りAは事故に遭い、aは記憶をじょじょに回復し始める。だが、記憶を一挙に回復してしまったら、恋人が腹違いの妹であることを思い出し二人の関係は頓挫してしまう。それでは具合が悪いので、Aの記憶回復はじれったいほどのろのろと進む。
かくて、Aはヒロインと3回恋愛することになるのである。最初は転校生として、二回目は建築会社理事として、三回目は記憶回復途上者として。
そして3回目の恋愛もデッドロックに乗り上げてしまうのである。
周囲がAとヒロインは兄妹ではないかと疑い始めたときに、Aの母親がそれを肯定するような態度を取ったからだ。もうAは恋人と別れるしかない。話は、またもや振り出しに戻るのだ。この物語に登場する人物のうちで、一番不可解な女性がこのAの母親で、愛する息子が自分の恋人は妹なのかと死なんばかりに苦しみ、ヒロインも勇を鼓して母親のところに乗り込んで来て真実をあかしてほしいと切々と訴えているのに、平然と白を切り続けるのだ。
そして、追いつめられて真相を明かさなければならなくなったときに、彼女は自分が事実を隠して来たのは、息子のAがヒロインの父親の子供だと思っていたかったからだと弁解する。彼女は二人の男性、Bの父及びヒロインの父と体の関係を持ち、Bの父の子供を妊娠したけれども、本当に愛していたのはヒロインの父の方だったから、そっちを父親だと信じていたかったというのだ。
彼女が白をきりつずけたのは自分の馬鹿げた思いこみを守るためだった。ここは、息子をほかの女性に渡したくなかったからだとでもしたほうがよかった。だが、メロドラマにリアリティーを求めるのは、男に赤ん坊を産めというようなものである。
「冬のソナタ」には随所に非現実的な話が織り込まれている。第一、Aが最初の事故にあったとき、母親はどうして息子を死んだことにしてしまったのか、そして10年後にaが皆の前に出現したとき、どうしてa=Aであることを疑う人間が誰もいなかったのか、作者はこれらについて納得できる説明をしていないのである。
母がやっと真相を告白し、恋人との関係が近親相姦ではないことが分かった、これでAは天下晴れてヒロインと結ばれるはずである。だが、この物語の作者は最後まで粘りに粘って話を引き延ばす。作者が用意した最後の障害は、Aの頭脳に残る事故の後遺症で、担当医は後遺症が深刻で、手術によって死をまぬがれたとしても、失明の危険があると告げたのである。
このことを知ったAが、恋人との結婚を早々に断念し、恋人にBとの結婚をしつっこく勧めるのは、あまりにも諦めがいいと言わざるを得ない。
Aは恋人を振り切るようにしてアメリカに去り、傷心のヒロインは留学のためフランスに渡ることになる。
3年後、フランスから帰国したヒロインは、Aの消息をつかんでアメリカに直行する。そして、アメリカで二人は再会し、しっかり抱き合うのだが、このときAは・・・・・(と、この先は伏せておくことにする。全部ばらしてしまったのでは、作者に申し訳がないから)
3 「冬のソナタ」を見ていて興味があったのは、韓国の高校が一昔前の日本の高校によく似ていることだった。転校生Aが着ている学校の制服は、詰め襟・五つボタンの黒服で、戦後発足した日本の新制高校生はみんなああした制服を着ていたのである。
韓国の高校教師が、校門の前で待ちかまえていて遅刻する生徒に睨みをきかせるのも、以前の日本でよく見かけた光景だった。ドラマでは、韓国の高校生は教室で男が右側、女が左側に別れて座っていたが、こうした光景も男女共学発足当時の日本でもよく見受けられた。
一時代前の日本を思い出させるのは、これだけではない。
「冬のソナタ」のなかの男女は、実に慎み深くて、いくら愛し合っていても手をつないで歩く程度で、それ以上には踏み出さない。高校を卒業して10年たっても、恋人の愛情表現は最高潮の場合でもせいぜい肩を抱き合う程度で、唇を合わせるような場面は皆無に近い。世のメロドラマは、皆そんなものだと言ってしまえばそれまでである。
だが、韓国ドラマが禁欲的で、一昔前の日本映画を思わせる点は間違いないところなのだ。登場するヒロインの顔かたちまでよく似ているのである。「男女、七歳にして席を同じくせず」の儒教道徳が今なお残る社会では、メロドラマのヒロインになる女優はほとんど細面で痩せ型である。戦前の日本におけるメロドラマ女優は、高峰三枝子を筆頭に、たいていこのタイプだったし、「冬のソナタ」のヒロインも、長顔で体は細身なのだ。
「冬のソナタ」が日本でも受け入れられたのは、古く良き時代の日本への郷愁を呼び覚ますからだろう。オゲレツなバラエティーショウが大流行の日本でも、昔は「冬のソナタ」みたいな清潔感のある映画やドラマがさかんに制作されていた。中年以上の視聴者は、それに郷愁を感じ、中年以下の視聴者はこうした前時代的愛の形に新鮮な驚きを感じているのである。
(03/12/30)