祖母殺し 一昨日の9月8日、宇都宮で高校2年生が祖母を絞殺するという事件が起こった。その数日前には岩手県で、高校生のグループ数人が、メンバーになっている高校生の祖父母を殺害しようとする事件が起きている。
宇都宮の事件については、多くのワイドショウが取り上げていたけれど、詳細がもう一つ明らかではない。祖父は市内で医療器具を販売している自営業者で、この祖父母のもとに一年前、高校生の両親が引っ越してきて同居するようになった、という。だが、祖父母がこの高校生にとって父方の祖父母なのか、母方の祖父母なのか明らかではない。このへんは、事件を考える上で、かなり重要なことだと思うのだが。
この一家は経済的に安定していたらしい。高校生も指折りの進学校に通っていたし、一家は上品な家族として近所の羨望の的になっていたという。おまけに、犯人の高校生は、口数の少ないおとなしい少年だったし、被害者の祖母は都会的で垢抜けた女性だったから、こんな事件が起きようとは誰も考えていなかった。・・・・しかし、報道によると少年は「祖母を恨んでいた」というのである。
分からないことばかりだが、一つだけ分かっていることは、この事件についてコメントした心理学者の解説が間違っているということだ。ワイドショウに顔を出したこの「専門家」は、「この頃、子供と両親の人間関係が希薄になっている。それ以上に祖父母との関係が希薄になっているから、こんな事件が起きる。もっと家族の関係を深めなくては」と忠告しているのだ。
祖父母との関係が希薄になっていたら、相手を絞殺するほど「祖母を恨む」ことはあるまい。話は逆で、この高校生は、祖母が彼を溺愛して、細かなことまで干渉して来たから腹を立てたのだ。祖母は、もともと、ハキハキしていて、世話焼きオバサンの傾向があったらしいのである。
今から23年前に、世間の視聴を集めた高校生による「祖母殺し」があった。この事件で殺された祖母の夫は、誰もが名前を知っているフランス文学の泰斗で、少年の父は大学教授、母はシナリオライターだったから、世間が大騒ぎしたのも無理はなかった。
本多勝一は、「子供たちの復讐」という本の中で、この事件に関するルポを書いている。これを読めば、宇都宮の「祖母殺し」には、23年前に起きた事件と相通じる部分があることが分かる。23年前に起きた事件の背景は次のようなものであった。
男の子のなかった祖母にとってのBは、孫とはいえ初めての「長男」のようなものだ。大変なかわいがりようだった。両親は祖母の度のすぎた溺愛に教育上の不安を覚え、アパート住まいでもいいからしばらく離れることを考えていた。そこへ5歳下の妹が生まれる。母親は赤ん坊に大半の時間と精力をとられ、Bが祖母の手ひとつにゆだねられるのはむしろ当然のことだった。またどちらかといえば気の弱い性格の父親は、学問上の直接の「先生」に当たる祖父への遠慮から、この問題について発言することがついにできなかった。
(「子供たちの復讐」から。文中のBは犯人の高校生)注釈をつければ、少年の父は祖父の弟子で、祖父は彼の温厚なところを見込んで、娘の婿に迎えたらしい。彼は、師であり義父である「先生」の家に15年間同居していたが、やがて離婚して家を出ている。少年の両親にも問題があったのである。
祖母は家を新築したとき、自分の部屋の隣をBの部屋にして、境の壁に新たにドアをつけた。廊下に出なくてもBの部屋に入れるように直通の通路を作ったのだ。「神経質で不健全な人間」と自称している早熟なB少年にとっては、明け暮れ自室に顔を出す祖母の存在は次第に耐え難いものになっていった。少年は、金槌・ナイフ・錐などで祖母を殺して、14階のビルから飛び降り自殺をしている。
壁をぶち抜いて直通の通路を作るところまで行けば、これはもう異常と言わざるを得ない。こうした祖母の暴走を、家族はなぜ制止出来なかったろうか。これだけではない、祖母は母と息子の関係にも水を差そうとしていたのである。
そんなある日、多分、中学三年生の二学期の終りごろ、C子さん(注:少年の母)はお祖母さんに内証で、塾の帰りのBと連れだって映画に行った。しかしそのことがバレて、C子さんはお祖母さんに叱られた。そのあげく祖母から、「Bは最近映画雑誌ばかり読んでる。あんたが芝居だとか映画だとか、よけいなものに気を散らすようなことをするからだ」とお小言をちょうだいした(「子供たちの復讐」)祖母が母子の関係に水を差すケースは、三島由紀夫の場合にも見られる。
三島の両親は、祖母と同居していたが、祖母は彼らを二階に住まわせ、孫の由紀夫だけを階下の自室で寝起きさせている。三島は、老いと病臭のこもった祖母の部屋で、老人好みの少年に仕立て上げられた。祖母は、三島が粗暴になることを嫌って、女の子とだけ遊ばせている。彼の男色趣味は、この反動だったと見ることも出来る。家族が祖母の偏愛を阻止できなかったのは、やはり日本独特の家族制度のためだろう。祖母が目をかけるのは、長男格の孫である場合が多い。長男の孫は、やがて家の後継者になるから、早くから手厚く見守る必要があり、祖母が孫に過度の干渉をしても家族は見逃しがちになる。祖母が家の権力を握っている場合には、この過干渉は歯止めのきかないところまで行ってしまう。
祖母と孫の関係が、溺愛とは反対の「孫いじめ」という歪んだ形になることもある。詩人萩原朔太郎の娘萩原葉子は、「蕁麻の家」という本で祖母から受けた過酷な扱いを克明に記している。萩原葉子は、母が若い男と駆け落ちしてしまったために祖母に育てられた。祖母は医者をしていた亡夫の残した遺産を握っている上に、息子の萩原朔太郎が子供には完全に近いまでに無関心だったから、家の中で独裁者として君臨できた。
祖母は出戻りで家に残った末娘にありったけの愛情を注ぎ、孫の萩原葉子とその妹を邪魔者扱いにしていた。萩原葉子の妹は精神薄弱者だったから、祖母からすれば、二人の孫が余計に荷厄介に感じられたかもしれない。
祖母は、二言目には孫を「インラン女の娘」「居候」と罵り、自分と末娘のためには湯水のように金を使うくせに、孫への出費を極端なまでにケチった。年頃になった萩原葉子が、異性に関心を持ったり、口紅を付けたりすると、「そんな鬼ガワラみたいな顔をして」とか、「お前のような大口女が口紅を付けると、人を喰ったようにしか見えないんだよ」と毒づいた。
耳にタコができるほど「インラン」という言葉を聞かされ続けた萩原葉子は、文化学院在学中に得体の知れない男にだまされて妊娠し、祖母から「そら、やっぱりお前は母親と同じようにインランだよ」と悪罵を浴びされることになる。祖母から虐待された孫は、自らを祖母が罵るレベルまで身を堕すことによって復讐を試みたのである。
これら暴走する祖母たちを見ていると、家の中に閉塞されて老いていった女たちの心の闇が思われる。彼女らは、上層の家に嫁入りしたために働く必要がなかった。専業主婦として、家にいて夫や息子の成功を誇りにしていればよかった。だが、彼女らの心は満たされてはいなかったのだ。その心の闇が、孫との関係で「暴走」をもたらすことになる。孫を溺愛するのも、いじめるのも、同じ心の闇からだった。
(02年9月10日)今日の新聞に、宇都宮祖母殺しの続報が載っていた。
少年は、一ヶ月前から祖母を殺そうと思っていた。理由は、「いい大学に行けと言われるのがいやだった」からだという。
(02年9月12日)