至高体験以後

初任地の木曽で4年つとめた後、地元の伊那に戻ってきて、定年までの二十数年を過ごした。その間、違憲訴訟の原告になったり(最高裁まで行って敗訴)、労組の支部長をやったしたが、特記すべき事はなにもない。無能な平教員として、近くの高校に通い続けただけである。

それでも、二度に及ぶ異常な体験について、あれこれ考えることはあった。そして、この体験に関する考察を一冊にまとめたいと考えて、54才の時に「単純な生活」と題する本を自費出版した。これまでにこのHPに記してきたのは、その本の一部分を抄出したものなのだ。

私はこの本で、人の心が二重の構造をしていることを説明したかったのである。

あの体験に関連して記憶しているのは、突如、「裏自己」が出現して表層の自己を押し流してしまったという感覚だった。たとえて言えば、自我というバラックの下に壮麗を極めた地下宮殿があって、それが不意に姿を現したという感じなのだ。だから、私はまず表層の自己の下に何があるかを考えてみることから始めたのである。

フロイトが「海洋感情」といい、ユングが「背面自我」といっているものに興味を感じたが、私は、精神分析派の臨床例などに依存しないで、自力で「裏自己」の存在を裏付けるような事例を探そうと思った。

思い当たるのは、語学を修得するときに起こる「分かるときには、一挙に分かる」という現象だった。鴎外は自身の体験と重ね合わせて、「青年」の主人公小泉純一が、フランス語の勉強中、ある時を境にして急にフランス語が読めるようになったと書いている。

もっと、興味深いのが鶴見俊輔のケースだ。

手のつけられない不良少年だった鶴見俊輔は、15才でアメリカに追放され、大学入学のための予備校に入学させられる。その学校で教科書に指定されている本を開いたら、1ページに知らない単語が15もあった。英文学のテストを受けたら、与えられた課題の本に知らない単語が1ページに39もあったと彼は言っている。

そこで彼は必死になって英語の勉強に取りかかるが、なかなか身に付かない。授業に出ても教師の言うことが分からないし、寮にいて友達と話しても一知半解という有様。渡米3ヶ月後に彼は教室で倒れて、付属の病院にかつぎ込まれ、10日間入院することになる。病院を退院した時に何が起こったかを、鶴見俊輔は次のように語っている。

「それで十日ほどして退院して教室に行ったら、英語が全部分かるんだよ。これにはおどろいた。ジキル博士とハイド氏のように、人間が変わっちゃった。・・・言語を一挙につかんだんだ。ぜんぜんわからないと思ってた英語が、ちゃんと自分に入ってた」(「期待と回顧」晶文社)

これはつまり、表層の意識とは別に、もっと深い層でも学習作業が続けられていたと見ることができる。表層の意識が習得したことを、より広い見地から統合し組織化する営みが意識下で続いていたから、ある日を境に急に英語が分かるようになったのではないか。

同じようなことは、知的活動以外の分野でも存在する。赤ん坊が立って歩くようになるのも、子供が自転車に乗れるようになるのも、ある日、突然そうなるのだ。

鶴見俊輔の英語が一挙に上達したのは、裏側に隠れているもう一つの意識の働きによると仮定しよう。この「裏の意識」は、表層の意識とは全く異なるのだ。表層の意識は、文法や文型を覚え、単語を暗記することに専念する。だが、裏の意識は、これまでの人生で得てきたもの全部をバックに、新たに習得した英語を迎入れ、再編成し、統合するのである。

「これまでの人生で得たものの総体」とは、日々の生活から吸収したことの一切であり、無意識に感じたり考えたりしたことも含んでいる。人は、過去の全経験・全体験を背景に目前の課題に取り組む。そして、学習したことが、個人の全体験の内部に取り込まれ、その有機的な一部となったときに初めて身に付く。つまり、「体得」されるのである。

過去の全体験を包含する「裏側の意識」は、人を「事実唯真」の方向に導いて行くという点で、精神分析派の考える「無意識」とは違っている。

「現存在分析」を創始したフランクルが紹介しているケースに、次のようなものがある。夏休みなどに何かに打ち込んで夢中で過ごすと、休暇があっという間に過ぎてしまったように感じる。逆に、何もすることがなくて毎日が退屈だった場合、休みは長く感じられる。

だが、暫くすると、印象は逆転する。充実していた夏休みは長く、為すことなく終わった休みは短く感じられるようになる。表層の意識がとらえた印象は、裏側の意識に送り込まれて、再把握され、訂正された上で表層に送り返されるのだ。裏側の意識が十全の形ではたらいていれば、表層の意識の過ちは随時訂正されて、正しい方向を志向するようになる。

「裏側の意識」は、表層の意識の出した誤答を訂正するばかりではない。表層の意識を押し流して、自らの姿をかいま見せるのだ。

私は、感動という心理現象が「霊光」体験のミニチュア版ではないかという気がする。強く感動したときの感覚には、あの夜の体験に通じるところがあるように思うのだ。実際に感動的な情景をこの目で見て心を打たれた場合はもちろんのこと、文学作品でも、映画演劇でも、それらに接して感動したときには、内的な光が内から突き上げてくるような感じがある。そして、一瞬、その光の前で現実の世界は色あせてしまう。感動には、硬化した意識を押し流して、その内容を一新させるような力があるのだ。

私はこれらの事例を頭に置いて、人間の人格は表自己・裏自己という二つの層から構成され、これを非自己という層が支えていると考えたのだった。表自己が獲得した知識や経験は、裏自己に下ろされ、既存の体験や知識の中に溶かし込まれる。刻々、深みと広がりをまして行く裏自己は、表自己が硬化したり、行き詰まったりすると、真実相・本来相をその前に提示して古い自我を一掃する。

表自己が暗くなれば、裏自己は光と化して表自己を照らし出す。裏自己は表自己から受け取ったものを純化し、反照という形にして表に返し、進むべき方向を指し示す。その反照が、感動とか、霊的な光という形で当人に意識されるのである。

しかし、裏自己を実体化して、自我の深みに独自の領域を占有しているというふうに考えてはならないだろう。

例えば、語学が一挙に分かるようになるという場合、表自己がこつこつ集めた知識を、裏自己が統合して内部に蓄積すると考えてはならない。外国語が身に付くと言うことは、それまでに蓄えられ「自己化」していた知識が、外国人との対話場面に移されて根付くということであり、机に拡げた原書のなかに投げ込まれ外部化するということなのだ。自己化していた知識が他化することで、その知識は活用可能となり、「身に付いた」と感じられるようになる。

バラと触れあうことによって得た知識と体験は、バラに返され、バラの上に留まる。こうなれば、バラと個人はひとつになり、人間がバラ化する。経験を増し、知識が増えれば増えるほど、人は世界と一体になり、自らを「世界化」しはじめる。裏自己とは、実は個人の内部に入り込んだ実世界に他ならず、裏自己からさしてくる光は、真実世界からさしてくる光なのである。

裏自己=世界というときの世界は、区画されていない無限大の世界だ。

そこには山があり川があり、木が茂り花が咲いているが、これらには所有者がない。そこにはたくさんの人がいるけれども、みんな、肩書きを持たない、ただの人ばかりだ。

それは、あるがままの世界、生まれたばかりの赤ん坊が見るところの固定観念で汚染されていない世界、「事実唯真」の世界なのである。これを「浄土」世界といってもいいし、ベルクソンのように「開かれた世界」といってもいい。

こうした「浄土」世界を小さく囲い込んで、国名をつけたり、所有者を決めたりすると、そこはたちまち「穢土」になってしまう。

「穢土」に住むわれわれが、「欣求浄土」を祈念するとき、実は、浄土はわが内にあるのだ。われわれが肩書きを捨ててただの人になって、区画を取り払った世界を見るようになれば、それがすなわち浄土なのである。そして、光はそこからさしてくるのだ。

私の信仰

医学の立場からすれば、「光」の出所を脳内物質によって説明することができるに違いない。ジョギングを続けていると、最初は苦しいけれども、ある段階を越えると楽になって、走ることに快楽を感じるようになる。これは苦痛を和らげるために、脳の中に麻薬が作り出されるためだという。

精神的な苦悩に対しても、脳内物質が生産されるかもしれず、その瞬間に人は、「霊光」を感じるのかもしれない。だが、これを証明することはできない。その点は、上述の私の独断的な「裏自己」説と同様で、両方とも立証不可能な仮説なのである。

こういうときには、パスカルの「賭の理論」によって問題を解決したらよいのではないか。パスカルは、「パンセ」のなかで、キリスト教を信じたからといって死後、永遠の生を受けるかどうか分からない。だが、信じても、信じなくても、どっちを選んでも別に失うものはないのだから、試しに信じることにしたらどうか、と勧めるのだ。信じることで、永遠の生にあずかったら、儲けものではないか、というのである。

さて、私は「賭の理論」に従って次のように考える。

人間はエネルギー体であって、エネルギーを操作しながら生きている。エネルギーを操作するに当たって必要なことは、それがいかなる状態にあるかを時々刻々表示する計器を持つことだ。意識というのは、この計器に他ならない。意識は所与の場の中で、エネルギーがいかなる状態にあるかを告知する表示盤なのである。

人間は個体だから、個体エネルギーを操作して生きている。そして、また、人間は、宇宙的エネルギーの端末でもあるから、その表示盤としての宇宙意識というようなものも持っている。だが、こっちの方は個体意識のように、時々刻々、エネルギー状況を表示してくることはない。人はこれを「開かれた世界」からの呼び声として、受け身の形でとらえ得るだけである。

私は戦争末期の上野図書館で、「真理」が世界をくまなく光被して行くというイメージを思い描いた。この真理を実現させる力を、宇宙の意志と考えたらどうだろうか。心を澄まして眺めれば、われわれは宇宙意志を世界から、世界史のなかから読みとることができるのだ。

ベルクソンのいう「呼び声」は、間違いなく、すべての人の胸に届いている。今や、人類は大戦中のユダヤ人迫害や原爆投下を、身に刺さった棘と感じ、コソボや東チモールの大量虐殺を耐え難いものと感じるようになっている。

個人の意識は、死ねば肉体とともに無に帰する。だが、すべてが無に帰するのではない。残るものもある。霊魂と呼ばれるものは、死後、宇宙意識の中に回収されるのではないだろうか。これが宗教嫌いの私の胸に、微かに揺曳している信仰なのである。

イエスは覚者

私が既成の宗教組織に抵抗を感じる理由は、そこでは開祖の考えとあまりにも隔たっている教理が横行しているからだ。私に仏教を教えてくれた久保田冬扇は在家仏教論者だったし、キリスト教に対する興味を喚起してくれた内村鑑三も無教会主義者だった。

われわれは、お仕着せの教理に頼らず、自分の目で教典を読み返して真の信仰にたどり着くべきではなかろうか。

私は福音書を読んで、キリスト教会ではあまり語られることのないイエスの素顔を発見して驚いたものだ。優れた文学作品に出てくる登場人物には、現実の人間よりもっと強いリアリティが感じられる。福音書に姿を現すイエスにも、その種のなまなましい実在感があるのである。

イエスは、世に出る以前から、孤独な陰影を色濃く身にまとった男であった。彼は二十九才になっても末だ独身のまま、多くの弟妹を養っている無名の労働者だった。

この無口な家長に率いられた弟妹達が、長兄に対して親愛の情を抱いていたとは、とても思えない。後に、イエスが弟子達にかこまれて帰省して来た時、たまたま表に出て来てこの光景を認めた弟の一人は、家の中へ引き返すなり、「兄さんが気違いになったんで、皆が連れて来てくれたぞ」と家族に告げている。

少くともこの弟は、イエスをそのうちに発狂しかねない変人だと思っていたのである。隣人達も同様であった。イエスが村の会堂で説教した時、人々は、「彼は何時、こんなに物識りになったろう」と怪しむばかりで、彼の言葉に耳を傾けようとする者はなかた。

彼は周囲に誰一人、理解者を持たない独身者として二十九年間をナザレ村で過したのである。世の中をすっかり諦らめ切ていたこの男が、急に胸をときめかしたのはヨルダン河畔に出現したヨハネの噂を耳にした時であった。

おれと同じようなことを考えている男がいるらしいとイエスは思い、稼業を休んでヨハネという男を「見物」しに出かける。そして、イエスは相手が自分よりもっと鋭利に、もっと徹底的に、現世の腐敗を糾弾するのを聞いて、ヨハネの弟子になることを決意する。

だが、イエスはヨハネの下で日夜その痛烈な現世否定の説教を聞いているうちに、逆にすべてを許す神というイメージを育てはじめる。彼はその着想を育てる為にヨハネの下を去り、荒野にこもって四十日四十夜の瞑想にふけるのである。

荒野を出たイエスは、ガリラヤ湖畔のカペナウムを拠点にして新しい福音を説きはじめる。伝道初期のイエスほど好感の持てる人物は他にない。

彼の周囲に集ってくる聴衆は無教養な庶民達だった。だから彼は、葡萄園労働者の賃金の問題だの放蕩息子への遺産分けの問題を例にして、「神の国」に関する極めて単純平明な説明を試みたのだ。

「神の国」とは私達が対世間的な生き方をしているうちに見失ってしまった本来的な世界を意味している。「山上の垂訓」でイエスが描写した本来的な人間関係、この世に処する人のあり方は、レトルトの中から取り出したばかりの純粋結晶体を見るように美しい。

イエスは世間というものを交換原理で動く「算術的な世界」だと考えている。たえず祈り断食をする者は、世間からその行動に房わしい篤信者としての敬意を集める。私達が誰かに好意を示せば、相手も私達に愛を返してくる。

イエスは世間が不公平で片手落ちだと非難したことは一度もない。むしろ世間は「神」のごとく公正であって、私達が努力すれば、その量に応じた報酬を正確に返してくれる点で信頼に値する機械装置のようなものなのである。だからこそ、世間的営為は空しいのだ。

世間を相手に何かすることは、山彦を求めて叫ぶようなものである。大きく叫べば大きな山彦が、小さく叫べば小さな山彦が戻ってくる。それは土を堀り返して、又その上で地面を埋め戻すようなものではないか。

祈る時に密室で祈れば、他人の賞讃は期待できない。だがそのことで神への通路が開けるのだ。対世間的収支を考慮に入れなければ全く新しい収支の世界が展開するのである。イエスは、目に見えるものを相互間で単に置き換えてみるに過ぎない算術的交換原理の上に、目に見えないものを授受することによって成り立つもう一つの世界を置く。与えることによって自らを救済し、与えることがそのまま受けることになる非算術的な世界である。

世間的に充足している人間は、もうそれ以上のものを持つことができない。これはおれのものだと自分の所有物を囲い込む者は、それと一緒に自分を世界から隔離してしまう。自分の城を持った者は、それと引換えにそれ以外の世界を失うのである。

反対に何も持たぬ貧しき者、拠るべき何の主義や信条を持たない「心貧しき者」は、それ故にすべてを持ち、この世界を自己の家とし、人類のすべてを自己の同胞とすることができる。互いに賛辞のやりとりをし、自分によせられる賞讃の言葉だけを見てすっかり満悦している人間の行詰り。世間的な不満を、世間の中で充そうとするのではなく、世間の外で、目に見えないものによって充たそうとする人間に来臨する「神の国」の豊かさ。

イエスは「この世的なもの」を超えて人が遠くに投げかける希求は、必ず充されると、自らの体験を通して再三保証する。

人は世間的光栄のまわりに蝟集するが、より拡大な世界の側から見れば、それは人間を封じ込めて盲目にする牢獄でしかない。世間が中心礎石と見るものは、より大きな世界に置き直して見れば隅石に過ぎず、いま世間の見棄てている隅石こそが、「神の国」の中心石なのだ。

リルケの秀逸な比喩を借りれば、世間的人間は写真のネガフイルムを見ているのである。世間は、本当は暗い部分を明るいと見、明るい部分を暗いと考えている。イエスはこのネガフィルムを陽転させて世界を本来の布置に戻したのだ。それが「神の国」なのである。

私達が普段「神」と呼んでいるものもネガフィルムの神である。社会通念上の神は、真の神の特徴を一つも含んでいない。「私は神を信じる」と誰かが言う時、言う者と聞く者が同時に頭の中に思い浮べるような神は何処にも存在しない。

「神」、それは個体としての人間の持っ本質的な暗さが、偽妄の光点を求めて作りあげた虚像でしかない。神はガス状の脊椎動物で、神殿の中にヤドカリのように棲息している生物であろうか。

自分に献金する者だけに報酬を与える勘定高い小商人のような人物であろうか。

欠陥人間を創造した自らの不手際を棚にあげて、人間の誤りを数えあげ、悪人を地獄に落すことに喜びを感じているサディストであろうか。

イエスの説く神は、人間の世間的幸・不幸とは、直接かかわりを持たぬ神であった。カイザルのものは、カィザルに返せという神である。この神は現実の世界を今直ぐにどうこうしようとはしない。世界をこのままにしておいて、世界に対する私達の態度だけを転換させようとするのだ。

結局は自己愛の変形でしかないような肉親愛・祖国愛を棄てて、この世界を丸ごと受容する全体愛を持てと勧める。そうすれば、救済はたちどころに現成し、私達はこの身このままで天国にあることを実感する。

イエスの神は、こういう内面的な体験の中で感得される神であり、この内面体験を欠いては見ることも聞くこともできない神である。ヨハネ伝は「いまだかつて神を見た者はいない」と断言する。だが、私達が態度を転換しさえすれば、神の国は「汝らのただ中にある」のである。

だが、イエスはどうしてエルサルム入城というような「愚行」を敢えてしたのであろうか。彼はこの悲劇的な行動によって、彼自身の理論をも裏切ってしまった。

「人を裁くな」と教えたイエスがパリサイ人を厳しく裁き、この世のことはこの世に委せよと言った男がエルザレムヘの挑戦の旅に出るのである。しかも彼はそこへ赴けば、自分が犬のように捕殺されるであろうことをはっきり予感しつつ旅立つのである。イエスは自分から望んでネズミ取りにかかりに行くネズミに似ている。

彼の直弟子の多くは、イエスが首都を制覇するであろうことを疑わず、喜々としてイエスの後に従ったが、イエスの表情は旅の最初から暗かった。浮かれ切った弟子達にかこまれた沈痛な指導者。奇妙な師弟による異様な旅であった。

エルサレムに入城した時、イエスの孤独は絶望的なまでに深まっていた。彼は身に振りかかる火の粉を、一がけらも払おうとしなかった。群集への説教には不可解なものが混じり、次第にそれは独語のようなものに変って行った。彼はすべてをあきらめ切った悲しげな表情でユダの裏切りを許し、程なく逮捕の手が迫ると知れ切ったゲツセマネヘと赴くのだ。

逮捕されてからは救助の手をことごとく拒み、ゴルゴタの丘への道を黙って歩いて行った。イエスは自分の前に待ち構えているものを何一つ避けることなく、それらの一切を自らの負うべき業苦として残らず引き受けた。

私は福音書を読むたびに、ハビーエンドをもって終らない物語を読むような気がする。イエスは私心のない男だった。愛すべき人間だった。その彼が最後には犬よりもみじめに打ち殺されるのだ。

アンハピーな物語のもたらす重い不充足感・やり場のない怒りは、どうして生じるのか。それは私達に解決不能の問いを残し、私達を暗い底なし沼の前に置きざりにするからだ。イエスは死んで光は消え、現世の不条理は何の説明もなしにそのまま残る。

私たちの前で、世界は緘黙する。女達がイエスの遺体を葬って去って行ったあとに、黙秘する世界だけが残るのである。

パウロはこうしたイエスの行動の中に、自身を神への供物として奉げようとするイエスの悲壮な覚悟を読み取った。しかし、神がそのような償いを求める存在とは、とても思えない。

彼は息たえる瞬間に、加害者達のすべての行動を許した。それは牢獄から出て行く者が、牢獄に末だ残っている者達の行動をすべて許すようなものだったかもしれない。

およそ、キリスト教ほど奇妙な宗教はない。

開祖は、「貧乏人の子沢山」というような家に生まれた大工で、これに従うのは漁夫や娼婦など社会の底辺にうごめく貧民たちだった。そして、このホームレスの群のようなグループを率いるリーダーは、最後にはペテン師として泥棒たちと一緒にゴルゴダの丘で処刑されてしまうのだ。

たいていの宗教的指導者は、数多くの苦難にさらされるが、最後には勝利者になっている。彼らは求めていたものを成就し、それを弟子たちに語り伝えながら幸福な生涯を終えるのである。だが、イエスは、最低・最悪の運命に見舞われ、この世の敗残者として僅か33才で死んでいる。

それぞれの教団には、殉教者がいる。しかし開祖自身が現世的に最悪の運命に見舞われる、というようなケースは皆無に近いのだ。

しかし、これを「神の国」に生きるものは、現世的には暗い一生を送ることになるということの象徴と解釈すれば、首尾一貫する。

イエスの一生は、リルケのネガ・ポジ関係を持ってくれば実によく分かる。イエスを敗残者と見るのは、ネガフィルムで見ているからで、より高い宗教的な視点から見れば、彼の生涯は一転して輝かしいものに変わるのである。

イエスの説く「神の国」とは、「開かれた世界」にほかならない。彼は貧富の差、貴賤の別を透過して、すべての人間を無飾の「ひと」としてとらえていた。そのような「ひと」が、兄弟のように睦み合って生きる世界が「神の国」なのである。その世界を小さく囲い込めば、それは「カエサルの国」になる。キリスト教徒は、「カエサルの国」での幸・不幸を問題にしないで生きる方法をイエスの生涯をたどることによって学ぶのである。

イエスはクリアな目で現世を見ていた。「閉ざされた世界」を見る彼の透徹した目は、悟脱した仏教者の視線に酷似している。一部の仏教学者は、イエスを「覚者」の一人と考えているけれども、裸像の人間を「開かれた世界」に置いて眺め、その全体を慈愛の光で包むという点で、イエスと釈迦は互いに通じ合うものを持っているのだ。

釈迦の修業時代

ゴータマ(釈迦の本名)とイエスは、生まれも育ちも対照的で、イエスはしがない大工の子だったのに対し、ゴータマの方は国王の世継ぎだった。彼は、ヒマラヤ山麓にあったカピラという小さな国の王となるべき星の下に生まれてきたのだった。

ゴータマは、幼い頃から聡明で穏和だったと言われる。これは、出生直後に母が死んで、継母に育てられたという事情も関係しているかもしれない。その継母が間もなく男の子を産んだから、ゴータマの立場はデリケートなものになった。王位継承の問題が絡んできたからだ。

彼は19才で従妹のヤショーダラと結婚する。しかし、なかなか子供が産まれず、二人の間にようやくラゴラという長男が生まれたときには、ゴータマは29才になっていた。待ち望んでいた男子出生を祝って祝賀会が開かれたその夜、ゴータマは城を出て出家してしまうのである。

ゴータマはこの夜、あらかじめ後門に用意させて置いた馬にまたがって王宮を脱出し、夜が明けて、王宮から十分に離れた森林地帯まで来たとき、馬の轡をとっていた従者のチャンナに別れを告げた。チャンナは必死になって、思い止まるように懇願した。

ゴータマは答えた。

「お前は、家族のために思い止まれという。しかし家族といっても、一夜を同じ木の枝で過ごす鳥たちのようなものではないか。夜が明ければ、皆、思い思いの方向に散っていってしまうのだ。お前は王宮に帰って皆に告げるがよい。私を追っても無駄だ、と」

そのあと彼は一言もいわず、両手で木の枝を押し分けて暗い森の中に入っていった。それっきり、彼の消息は絶えてしまうのだ。

ゴータマが出家した理由について、色々な説話が残っている。それらは皆、人生の実相を苦悩と見ていた彼の厭世的な気分を物語るものばかりである。彼はすべてのいきものが、他の生命をむさぼり食うことによってしか生きられない現実に絶望していた。彼の目からすれば、生きることは、それ自体で罪なのであった。

他の生命を奪って生きのびても、たちまち襲ってくるのが老・病・死である。人は苦しむために、この世に生まれてくるのだ。ゴータマは、「嘆き悲しむ人々の涙を集めたら、四つの海の水より多いだろう」と語っていたという。

生きることを業苦と感じている彼には、王族の生活が耐え難いものに感じられた。ゴータマにとって、華やかな宮廷行事に参加するのは苦痛以外のなにものでもなかった。名主の家に生まれた良寛も、父の名代として行動することに耐えきれなくなって出家している。

ゴータマには、わが子の誕生も「切り捨てなければならない煩悩が一つ加わった」というふうに感じられ、出家を加速する原因になったのだ。

王宮を出てから、ゴータマは6年の間、各地を放浪して修行を続けている。

彼が6年間の大半を過ごしたのは、ウパニシャッド系の精神的指導者の下であった。これらの指導者は、たいてい修行中に内的な光を体験し、そこからブラフマン即アートマンというウパニシャッド理論を確信するにいたった面々である。

現代のアメリカ西海岸で活動しているインド人教祖の多くも光の体験者で、彼らの語る言葉には、バラモン教の奥義書の影響が色濃く現れている。その著書を読めば、ウパニシャッド文書の焼き直しではないかと疑われてくるほどだ。だからといって、彼らを軽く見る積もりはない。一度、「光」を体験すれば、宇宙の本体が光であり、それは人の内面にも宿っているというバラモン哲学を信じないではいられなくなるからだ。

梵我一体説(梵とは宇宙の根元であるブラフマン、我とは本来的自己であるアートマン、この両者が同一であるという理論)は空理空論ではなく、体験上の事実なのである。ブラフマンは自己展開して万物に遍在し、すべての人間の心にランプのように宿る。

われわれが、光を体験するのはさほど難事ではない。が、その為にはある程度の年令を重ねることが必要になる。道元は、歳月が生きた力になって人を悟りに導くと言っている。壮年に達し、世界の何たるかを体感しないうちは、光に遭遇することはないのである。

聡明なゴータマも、30才を越えなければ梵我一体の境地を体験することができなかった。そして、一旦彼がそれを体験すると、その体験の質の高さや、体験に対する解釈の深さによって、彼は周囲の尊敬を集めるようになる。修行者たちは、競ってゴータマの指導を求めるようになった。

だが、ゴータマは不満だった。彼は伝統的な見方に従って、霊的な生活を妨げるものを「無明(盲目的な生存意志)」だと考えていた。周囲の喧噪を離れ、樹下で静かに瞑想している時には無明は意識されない。しかし、瞑想することをやめると、無明はたちまち姿を現すのだ。

ゴータマは瞑想主義の修行者集団に別れを告げ、孤独になって出直すことを決意する。当時、瞑想主義の立場をとるバラモン出身の修行者たちに対抗して、クシャトリア階級(武士階級)出身の修行僧は苦行によって無明を克服しようとしていた。ゴータマは、方向転換して瞑想主義から苦行主義に乗り換えたのだ。彼は断食を続けることで肉体を痛めつけ、無明の根を絶とうとしたのである。

彼は、各地を転々としながら、「一麻一米の修行」を続けた。一日に胡麻一粒、米一粒しか口にしないという修行である。ゴータマは食を絶ち、呼吸法に従って出す息、吸う息を調節し、化石になったように座り続けた。警戒心を解いた鹿が彼の膝元まで来て草をはみ、小鳥は彼の肩にとまり、村の子供たちは彼の耳や鼻に草の穂を挿して遊んだといわれる。

クシャトリア出身の修行僧の間に、「苦行僧ゴータマ」の名声が次第に高くなっていった。何時となく、ゴータマに傾倒する五人の修行者が、影のように彼に付き従うようになった。

後年、ゴータマは弟子たちに語っている。

「私は一麻一米の修行をしたり、野生のリンゴ一個で一日を過ごしたりした。そのため、手足は枯れ葦のようにやせ細ったが、少しも真理に近づけなかった」

瞑想主義を捨てて苦行主義に移ったゴータマは、出家6年目にその苦行主義も捨ててしまう。

その朝、ニレン川のほとりで座禅をしていたゴータマは、川に入って水浴を始めた。近くで同じように座禅をしていた5人の修行僧は、これに気がついて、

(おや)

と思った。

修行中の僧侶が川に入って水浴するなどということは、あまり感心したことではなかったからだ。水浴を済ませてさっぱりしたゴータマは、川べりを歩いてきた小娘を呼び止め、何か話しかけている。修行僧が若い娘と口をきくときには、相手を直視しないで横を向いていなければならない。にもかかわらず、ゴータマは真っ直ぐ娘を見ている。

やがて、娘は携えていた壺をゴータマに手渡した。彼は娘が路傍の神像に備えるために持参した乳粥を貰い受けて、平然と飲み干している。修行僧が乳粥のような御馳走を口にするなど、もってのほかのことだった。

(さすがのゴータマも、ついに持ちこたえきれなくなったか)

失望した5人は、ゴータマを見捨てて、その場を立ち去ってしまう。

一人になったゴータマは、川を渡って対岸に出てブッタガヤに至り、そこの菩提樹の下で思索に入る。そして真理を悟るのである。

彼はこのときのことを、「無師独覚」によって「古仙人の道」を掴んだと語っている。確かに彼の思索は独創的だった。だが、それは「知る者は言わず」という形で古くから連綿と伝わってきていた「隠された真理」だったのである。

この時、ゴータマは、彼自身の神秘体験をを含めて、これまでに学んできたことの一切を「無記」であるとして捨て去ったのだ。宇宙の本体が何であるか、自己の内部にアートマンが存在するか否か、死後に輪廻転生するかどうか、それらについては客観的に判断する資料は与えられていない。「無記」なのである。

これら不確かな問題を排除して、思考の対象を目の前にある確実な事実だけに絞るべきだと彼は考えたのだ。そして、これまでの蓄積を一切合切焼き捨てたあとの一種思想上の更地に、前人未踏の哲学をうち建てたのだ。

万物がブラフマンの自己展開によって生まれ出たかどうかは分からない。だが、万物が単独で存在するのではなく、相互に密接に絡み合い、支え合って存在することだけは、疑いを入れない。それは眼前の事実なのだ。すべての思考は、この厳然たる事実から出発しなければならない。

すべては相互に関連しあいながら存在する。ゴータマは、このテーゼを広大無辺な世界的規模まで拡張する。因縁(因は直接原因、縁はそれを成り立たせる背景)による連鎖関係は、世界の隅々にまで行き及んで、万有を不可分の全体に組み上げている。目の前にある一本の草も、世界全体が協力しなければ生えてこない。千年の樹齢を誇る巨木も、因縁が尽きれば枯れてしまう。

彼の思想を図示すれば、次のようになるだろう。

諸行無常\

      涅槃寂静

諸法無我/

「諸行無常」とは、あらゆるもの・あらゆる現象は変化するということであり、

「諸法無我」とは、あらゆるものには実体がないということだ。

このことを自知した時に訪れる平安な境地が「涅槃寂静」の世界であって、涅槃は特殊な別世界ではない。涅槃だけを切り離して追求するのは無意味なのである。

われわれがこの世にあるのも、無数の因果関係が生み出した結果である。

人の生命は、身体を構成する諸要素が和合し調和していることで辛くもささえられている。要素間のバランスがひとたび崩れれば、どう嘆き悲しもうと生命は失われる。

相互に関連しあう、この巨大な全体世界を敵に回すことは不可能である。キリスト教徒が個人の幸・不幸を神の意志として受容するように、仏教徒も自分を取り囲む因縁複合体を受け入れなければならない。そして自分に与えられた縁を積極的に愛して行かなければならない。

ゴータマは黙想の中で、からりと開けたクリアな世界を見たのだ。彼が見たのは、現代の科学者たちの頭の中にある科学的な自然界と同じものだった。

われわれには、味方もいれば敵もおり、好ましい人間も、憎むべき人間もいる。そして、それらすべてが存立の背景を持ち、因縁を持っているのである。つまり、全員が、しかとした存在の根拠を持っているのだ。これを個人の我意によって変更することはできない。

ゴータマは、こうした事情を忘れて欲望にとりつかれて狂ったように走り回る人々を「火宅の人」と呼んでいる。世俗に生きるものは、すべて「火宅の人」である。火事になった家から脱出しようとしないで、泣き叫びながら火の中をただ走り回っている人間たち。彼は「火宅の人」を火の中から救い出すことを自分に課せられた使命だと考えるようになる。

教団を率いるようになったゴータマが、久しぶりに故国に帰る日が来た。妻のヤショーダラは、夫が王宮に着く前に息子のラゴラを迎えに出した。入城後の夫に、ラゴラが正統な王位継承者であることを宣言して欲しかったからだ。

妻の意図を察知したゴータマは、予定を取りやめ、王宮に入ることなしに、ラゴラを教団に連れ帰って出家させてしまう。ゴータマが初めて見せた、秋霜烈日のように激しい行動であった。こうしたゴータマの行動を目の前にして、異母弟・妻・継母も相継いで出家し、カピラ国はやがて消滅してしまうことになる。

ゴータマは、神話的解釈を退けて、この世界をありのままの姿で見ていた。感情をまじえない「事実唯真」の目、科学者の目で、現世を見ていたのだ。そこまではよい。では、その慈悲の光はどこからくるのだろうか。一方で科学者の冷徹な目で世界を眺め、他方で温かな慈愛の目で世界を眺めるというようなことがどうして可能になるのだろうか。

狩野享吉の説を要約して紹介すれば、次のようになる。

「一般に科学者は冷たい目で自然や人間を見ているように思われがちだが、そうではない。科学者は、あらゆる存在について一視同仁の関心を抱き、その存立の根拠を明らかにしてやろうとしている。だから、科学者は、博愛主義者だといえる」

自分の領分を小さく囲い込み、その中にだけ強い愛情を注ぐのは、結局自己愛に他ならない。

「知と愛の対立」というようなことが問題になったりする。が、対象に対する愛がなければ知的欲求は起こらないし、又、愛があればそれについて正確なことを知りたくもなる。だから、両者は別のものではない。一つに繋がっているのである。あの遠い古代に、現代の科学者と同じ目を持ち得た冷静なゴータマだったから、80才で死ぬまで巡遊教化の旅を続けることができたのだ。

ゴータマは、旅の途次、ネパール国境に近いクシナーラという寒村で病死している。80の高齢で、たった一人の弟子を連れ、こんなところまで教化の足を伸ばしたのは驚くべきことだ。知と愛について語り続けたゴータマは、言葉だけの人間ではなかったのである。


甲羅人間から軟体人間へ

伝承を通して浮かんでくるイエスと釈迦の人間像には、相当な違いがある。釈迦は俗世に対して現実的な態度で臨み、王族や富豪から道場や活動資金の寄進を受けている。これに対し、イエスは終始世俗的な権威への挑戦的な態度をとり続けている。

政治的にはイエスは無色で、ローマ帝国に反旗を翻そうとしなかったし、政治的党派に加担することもなかった。だが、彼は既成の宗派や教団に対して厳しい批判を浴びせただけではない。社会生活を成り立たせている常識的な規範に対してまで、容赦ない攻撃を加えたのだ。

今風にいえば、彼は頑迷な保守派に対抗する戦闘的なリベラリストだったのである。彼が最も憎んだのはパリサイ派の人々だった。彼らは、学識と徳行によって抜きん出たエリートたちで、戒律を固く守り、禁欲を旨とする厳粛な生活を送ることで、人々の敬意を集めていた。

学識と徳行を武器に、高姿勢で民衆に臨むパリサイ派の存在仕方そのものを、イエスは強く憎んだのだ。

彼はパリサイ派の対極に「心貧しき人」を置いている。「心貧しき人」とは、貧弱な精神を持った人間のことではない。身を飾る何物も持たない人、素地のままで生きている人、無名であることに安んじている謙遜な人が、心貧しき人なのだ。

パリサイ派が武装した甲羅人間だとすれば、「心貧しき人」は被覆するものを持たない軟体人間である。心貧しき人は、誇るべきものを持たない。それ故に、甲羅をかぶって自分を守る必要もないのである。誇るべきものを持たないことによって、外敵からも、内なる敵からも身を守っているからだ。

私はこれまでに、目に見えないバリアによって世の不幸から守られているような家族を数多く見てきた。それら家族は、何世代もが同居していて家族数が多い。にもかかわらず、不思議に交通事故にも遭わず、大病もせず、子供たちは皆健康で、途中でぐれることなく社会に巣立っている。

これら家族の共通点は、主人に高い学歴がなく、奥さんがとりたてて美女ではないということだ。そのことによって、かえって、子供たちは健やかに育ち、祖父母もおだやかな晩年を過ごすことができるのである。

虚飾とは無縁のこれらの家族は、家族的エゴイズムの陥穽に陥ることもない。

福音書には、イエスの凄みのある言葉も採録されている。彼は「私が地上に平和をもたらすために来たと思ってはならない」と警告するのだ。そして、自分が来たのは、「剣を投じる」ためであり、肉親の絆を剣によって切り裂くためだというのである。

イエスは、人が「神の国」に至る上で最も手強い障害は、家族的エゴイズムだと思っていた。個人は学歴や肩書きを甲羅にして身を守る。ある意味で、その方がまだいいのだ、家という城郭にこもって身内の安全だけを図るエゴイズムに比べたら。

営々と努力すれば、家庭はなに不自由のない楽園になるかもしれない。しかし、家を楽園にしてしまったら、真の楽園である「開かれた世界」が見えなくなる。これが恐ろしいのである。

家という城郭、地位や肩書きという甲羅を脱ぎ捨て、裸になった時に初めて感じる安心感というものがあるのだ。個人の運命を神にゆだねて生きる安心感、開かれた世界に生きる安心感である。万物への愛は、この絶対的な安心感から生まれて来る。

釈迦がわれわれを取り巻く外部世界に目を向けさせるのに対して、イエスは個人の内面に目を向けて、その変革を求める。イエスに従って生きようとしたら、私たちは、まず、甲羅を脱いで、おさな子の心に立ち帰らなければならない。単独者として神の前にたち、幾重にも着込んでいる甲羅を一枚ずつ脱いで行かなくてはならない。

キリスト教徒でない私が、イエスのあとについて行けるのはここまでである。パウロ的論法では、甲羅を一枚一枚脱いでいって、最後に残るのは「原罪」だということになり、この原罪を償うためにイエスは自身を犠牲として神に捧げたということになる。こうした牽強付会の説は、非信者にはとうてい受け入れることができない。

パリサイ派的傲慢を一つずつ取り除き、おさな子のやわらかな心に立ち帰らなければ、「神の国」を見ることはできないというイエスの言葉は本当だろう。私は、このイエスの立場をパウロに繋げるのではなく、アジアの賢者老子に繋げるべきだと思うのだ。

老子は「余食贅行」の害について、委曲を尽くして説いている。「余食贅行」とは、文字通り、すでに足りているのに食べ過ぎたり、やり過ぎたりすることである。私たちは生得の知恵を持っているのに、これでは足りないとして知識を求め「智者」たろうとする。同様に、私たちは日々必要なルーティンワークをやり遂げているのに、上座につこうとして不要な「功業」を打ち建てる。

自らの生活と意識を「常の形」に保ち、自然体で生きていれば問題はない。にもかかわらず、人は上昇欲求に駆られてわざわざ危地に踏み込んでゆくのだ。行き過ぎた人為を戒め、素地のままにとどまることを教える老子の立場は、「心貧しき人」を評価するイエスのそれと同じである。

真の強者とは、何者か。生得の柔軟な素地を守ることができる人間なのだ。老子は「柔ヲ守ルヲ、強トイウ」と言っている。

「強行自滅」の道を歩まず、「無知無欲」の生き方をしていれば、余力が生じる。老子はこの余力を「慈」の世界に振り向けよと勧める。イエスがパセティックに説いたことを、老子は韻を踏んだ詩的な表現で、余裕を持って説いている。イエスと老子が同じ事を言っているとしたら、東洋人であるわれわれには、老子の方が馴染みやすいかもしれない。

老子は「慈」に振り向ける余力は、節倹と人を凌ごうとしない生き方のよって生み出されるという。これと同じ考え方をしているのが二宮尊徳で、彼は植物を例に挙げて「推譲」〔他に分かち与える)と言うことを強調している。

植物は次世代のために種子を残すが、人間も金や労力を自分のためだけに使うのではなく、世のため人のために使う分を残せというのである。彼は倹約を説き、二宮金次郎といえばケチな人間の代名詞のように考えられている。だが、これは「推譲」の徳を実行するためなのである。

イエスと老子を結びつけて考えるのは、暴論のそしりを免れないかもしれない。実をいうと、私は聖書的無政府主義の信者であり、かつまた、老子的無政府主義の信奉者でもあるのだ。

homepageに戻る