死刑反対論者の反撃

死刑廃止は、世界の世論になりつつあるけれども、先進国では日本とアメリカが死刑制度を残している。日本人の死刑容認率は、86パーセントに達しているため、近い将来死刑が廃止される可能性はない。だが、アメリカでは、50州中すでに15州で死刑を廃止しているので、アメリカの全州で死刑が廃止される可能性はかなり高い。

そのせいか、アメリカにおける死刑論争はかなり熾烈らしく、一流の映画監督やプロデューサーが死刑反対をテーマにした劇映画を競って制作している。死刑を題材にしたアメリカ映画にシリアスな作品が多いのはこのためだ。

私が見たこの種の映画で、一番迫力があったのは、死刑反対論者の男女二人が自身を犠牲にして死刑反対を訴えた映画だった。

死刑反対を訴え続けた大学教授二人が、世論を動かすために最後の手段に訴えるのだ。死刑に反対する論拠の一つに、無実の罪の人間を死刑にしてしまったら、後で冤罪だと分かっても取り返しがつかないという事実がある。二人は、これを利用して、世論を動かそうと考えたのである。

まず、一人が他人に殺されたように見せかけて自殺する。そして、残った一人が、その犯人であるように見せかけて逮捕される。すると、マスコミは、この大学教授二人の間で起きた情痴殺人事件を大々的に取り上げ、事件は全国的な話題になる。その影響もあって、犯人と見なされた教授は裁判で死刑判決を受けて処刑される。だが、処刑後になって、被害者だと思われていた女性教授が、実は自殺だったことが判明するのである・・・・。

もちろん、これはフィクションで、現実の出来事ではない。にもかかわらず、映画は、(死刑反対論者は、これほどまでに思いつめているのか)という印象を与え、人々に改めて死刑について考えさせることになったのだ。

この映画で明らかにされたように、死刑反対論者の信念は極めて強固に見える。だから、民主党の千葉景子法相が二名の死刑囚に対して死刑執行を命じたというニュースを耳にして関係者は一様に驚いたのである。以前から死刑反対論者として知られていた千葉法相が、死刑執行を命じただけでなく、処刑の現場に立ち会ったというのである。

先日、この千葉元法相がNHKの教育テレビに出演して、彼女が何故変節して死刑執行を許可したのか、その理由を語っていた。

私は、これほど筋の通らない奇怪な弁明を聞いたことがない。彼女はいろいろな理由を挙げたけれども、本人自身も心にやましいところがあるものだから、全然説明にも何にもなっていなかったのだ。唯一、もっともらしく聞こえたのは、当時、法務省には検察による証拠変造など処理を要する問題が山積していたので、死刑反対というような個人的な意見を持ち出す余裕がなかったという弁明だった。しかし、彼女は死刑反対の信条を貫くために省内あるいは閣内の死刑賛成論と大々的な論争を展開する必要などなかったのだ。法務大臣として、死刑執行命令にサインしなければいいだけだったのだから。

彼女が本当に死刑に反対しているなら、死刑執行を条件に大臣になったとしても、敢えて約束を破って在任中に処刑者ゼロの姿勢を押し通すべきだった。

しかし、千葉法相の「変節」にも、同情の余地があったかもしれない。彼女は死刑囚の調書を見て、彼らのあまりの残虐な犯行に憤りを感じたということもありうるからだ。私も死刑反対論者の一人だが、世の中には「快楽殺人者」というような人間がいることを知って慄然として、こういう犯人には死刑もやむを得ないかもしれないと感じたことがあるからだった。

練炭自殺が流行した頃、インターネットで仲間を募って見知らぬ者同士が「心中自殺」することが流行した。これに目をつけた「快楽殺人者」が、インターネットで自殺する仲間を探して心中自殺に引き込み、二人だけになってから相手をなぶり殺しにする事件が起きたのだ。被害者は、犯人の予想もしなかった行動に驚愕し、「何をするんですか」と抗議しつつ殺されていったという。この犯人が逮捕されて警官に連行されるところをテレビで見ていたら、男は顔を隠すこともしないで平然としていた。その爬虫類のような顔を見ているうちに、背筋が寒くなり、こうした人間が死刑になるのは、やむを得ないのではないかと思ったのだ。しかし、にもかかわらずこの男もまた死刑にすべきではないのである。

天人ともに許すことが出来ないような極悪人ですら、死刑にしないという事実が定着すれば、その国の国民は戦場で捕虜を虐待死させるようなことがなくなる。戦争中の日本人は、新兵に「度胸をつけさせる」ためだけの目的で捕虜を銃剣で刺殺させている。さらに、純情な若者たちを特攻隊員にして自殺攻撃させている。戦争中の日本ほど、生命の安価な国はなかったのだ。現在、86パーセントの日本人が、死刑制度を肯定しているのは、葉隠れの時代から太平洋戦争の時代まで続いてきている生命軽視の「国民性」があるからだ。

小田実は、「日本は、アメリカから民主主義と自由を貰った。そして、それに平和主義をつけ加えた」と言っている。日本人の平和主義は世界に誇るものだが、その核心をなすのは「生命の尊重」ということではないだろうか。