石坂浩二の離婚

石坂浩二の離婚会見をワイドショウで見た。この離婚会見について、若手の女性タレントが、「頭のいい石坂浩二らしい知能犯的な会見」と吐き捨てるように言っていたのが印象的だった。

事実、この会見とそれに続く二回目の会見を見ていると、石坂浩二は舞台上で演技する俳優のように行動していた。最初の会見では、別れる妻と距離を置いて座り、マイクを軍配のように握りしめて、飛び交う質問を巧みにさばいていた。おそらく彼は事前にあらゆる質問を想定し、遺漏のない答弁を用意して会見の席に臨んだのである。

彼は、離婚の理由を、妻に老母の面倒を見させることは忍びなかったからだと説明している。老母は80を過ぎて、介護の体制を整える必要に迫られてきたが、俳優としての能力において自分より遙かに優れている妻に、介護に専念してくれと要求することは出来なかったというのである。そのため彼は、二年前から離婚の話を持ち出し、ようやく妻も納得してくれたので、この会見を開くことになった・・・

しかし妻の方は釈然としない様子で、「何を今更」と思ったと語っている。この夫婦は15年間別居を続けていたそうで、二人ともこの状態に不満はなかったのに何故今になって離婚話を切り出すのか、妻には理解できないらしかった。が、これまで、すべてについて夫にイニシャティブを握られてきた妻は、二年かけてジワジワと説得され、ついに抵抗できなくなってOKを出してしまったのである。

石坂浩二が二回目の会見に応じたのは、妻との離婚後わずか5日で再婚したことが明らかになったからだった。この会見で彼は、前回とは打って変わった手法を用いている。冷静沈着なポーズを棄てて、真情を吐露して見せたのである。せわしなく目をしばたき、唇をへの字に歪め、果ては涙を流して、苦しい胸の内をあかして見せたのだ。

石坂浩二の記者会見を見ていて思い出したのは松方弘樹の離婚会見だった。石坂浩二は理性的なところを見せたり、真情吐露の苦衷を演出したり、芸の細かなところを見せたが、松方弘樹も会見の席上で、なかなか芸達者なところを見せていた。彼は、無警戒で隙だらけなパーソナリティーを誇張して見せることで、詰めかけた芸能記者たち、そしてこの会見を見守るテレビの視聴者に好印象を与えようとしたのだ。

浮気がばれて妻からみくだり半を突きつけられた彼は、テレビカメラの前で妻と一対一で話し合えば誤解はきっと解けると明るく笑ってみせた。彼は最初から、最後まで、こうしたあっけらかんとした調子で話し続けた。そこには、おおらかな明るさ、くったくのない気楽さといったものがあって、状況証拠は彼にとって不利だったにもかかわらず、なぜか憎めなかった。

石坂浩二も松方弘樹も、大変、女性にもてるタレントだったという。だが、女心を掴む二人の芸風は全く逆なのだった。石坂浩二は知的でデリカシーに富むことを売り物にして、妻や愛人に敬意を払ってみせる。女性に対して惜しみなく繊細な心遣いを示すのである。ところが、松方弘樹は反知性主義の立場を鮮明にして、アメリカ人が恋人をベイビーと呼んだりするノリで、妻を「あの子は」といって子供扱いしていた。女性に対するエチケットを踏み外さない西欧的なやり方の対極のところに身を置いて、おおざっぱなところ、開けっぴろげなところ、エチケット無視の磊落なところを披露してみせたのだ。

男性優位の古い社会では通用した松方弘樹式の手法は、現代では通用しなくなっている。その証拠に、彼はいとも簡単に妻から見棄てられ、子供たちにも背かれてしまった。石坂浩二の方は、30年連れ添った妻を、大した愁嘆場なしに切り離すことに成功して、所期の目的を達している。

石坂浩二の行動は、確かに知能犯的な印象を与える。しかし、彼が還暦間近の年齢であることを考えると、こうした行動に出た心事も理解できるのである。

彼は、4年前に父親から「お前は正月に家にいたことがないじゃないか」と言われたのが応えたと語っている。それまでは、親に同じようなことを言われても格別気にしなかったし、年老いた両親が寂しそうにしていても、特別の印象を受けなかった。それが、自らも老境に近づいて、初めて年老いた親の気持ちを強く意識するようになったのだ。

人それぞれに、くつろげる場所というものがある。くつろげる場所とは、本来の自分に返れる場所である。引きこもりの人間にとっては、一人でいるのがくつろぎの場所だし、その逆に、気のあった仲間とわいわい騒いでいるのがくつろぎの場だという人間もある。石坂浩二にとって、これまでのくつろぎの場所が劇団であり、スタジオであり、撮影現場だったから、親の気持ちを思いやることもなかったし、15年別居している妻にも格別の不満はなかった。

だが、年齢とともにくつろげる場所、本来の自分に返れる場所は変化して行く。仕事仲間と一緒にいて知的な会話を交わすより、見慣れた家族と黙ってお茶を飲んでいる方がくつろげるという年齢が、そのうちにやってくるのである。老齢の親と一緒にいると、ふるさとに帰ったように気持が安らぐという、以前にはとても想像も出来なかったような境地が訪れてくる。親孝行とか何とかというよりも、親の穏やかな顔を見ていると、まず自らが癒されるという年齢がやってくるのである。

石坂浩二にも、そういう年齢がやってきたのだ。しかし俳優を天職だ信じている妻は、まだそうした心境にはなっていない。彼女は微妙な言い回しで、いずれ自分も夫と同じ心境になるのだから、それまで待っていて欲しかったという気持を示している。が、夫は待つことが出来なかった。離婚成立後、僅か5日で再婚の手続きを済ませてしまったのも、そのためなのだ。

私は、石坂浩二と松方弘樹の名前を知っていたが、和物のドラマをほとんど見ることがないため、この両名が出演している作品を目にしたことは一度もない。(別に自慢しているわけではないが、私はワイドショーに取り上げられる芸能人の大半について、名前だけは聞き知っているが、その出演作を見たことがないのだ)。そうした先入観を持たない目で、両者の離婚会見を見ていると、計算づくの石坂の会見より、松方の隙だらけの会見の方に好感が持てるのである。

でも、離婚に至る背景に関する限り、石坂浩二には同情せざるをえない。くつろぎの場を求める欲求は、本能に近いほど強いのである。万年青年のように見える石坂浩二にも、確実に老年の心境が訪れて来たことを思うと、一概に彼を責める気持にはなれないのだ。

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