二子山部屋崩壊

最近の二子山部屋を見ていると、「山高ければ、谷深し」という言葉が自然に浮かんでくる。わが世の春を謳歌し繁栄の絶頂にあったこの部屋が、音をたてて崩壊していくところを見ると、山が高かっただけに、崩れ落ちていく谷の深さが思われて胸が痛むのだ。

私は早い段階から、二子山部屋が崩壊する予兆のようなものを感じて、それを加入しているパソコン通信のフォーラムなどに書き込んで来た。だから、現在の事態を眺めても、来るべきものが来たな、という感想が頭をよぎるだけである。

私が感じていた予兆というのは、二子山部屋親方の線の細さだった。この人は、他人に強く当たることができず、何かあると自分の中にこもってしまうタイプのようで、善意の人であることは間違いないが、人間的な頼りなさがつきまとっている。彼の兄でもあり、師匠でもあった先代若ノ花が強烈な個性の持ち主だったから、これに押しつぶされて、彼は独自の世界を育てることが出来なかったのだろう。

親方の息子二人が入門したとき、弟は中卒で、兄はまだ高校在学中だったと思う(卒業していたかな)。男親だったら、入門をはやる息子に対して「せめて高校を出てからにしろ」と押さえるのが普通で、多分、二子山部屋親方も、そういって息子を説得したに違いない。が、結局息子を押さえきれなかった。

入門した二人の息子は、幸いに、トントン拍子で出世して横綱になった。先に横綱になった弟は、やがて兄を批判するようになる。兄弟喧嘩が始まったのだ。このとき、父親の親方は何をしたかというと、「息子は自分に何も話してくれない」と言って事態を傍観しているだけだった。ここは父親が乗り出して、二人に一喝を喰らわす場面だったのである。

彼のこうした線の細さに接したのは、兄の先代若ノ花と彼が対話する場面をテレビで見たときだった。このとき、彼は現役を引退して二子山部屋を創設していたのだが、兄の指示を正座して,ハイ、ハイと聞いていた。兄に逆らうことなど、夢にも考えたことがないような従順な態度だった。その従順さの程度の並はずれている点が、気になったのだ。こうした兄弟関係だったから、兄が自分の部屋を買い取れと言ってきたとき、弟は唯々諾々と承知し、この間の金のやりとりを巡ってスキャンダルを引き起こしてしまうのである。

この取引には、親方の妻憲子は非常に不満だったという。彼は兄の要求をのむことによって、妻の信頼を失い、相撲協会における地位も危うくしてしまう。

それより何より、私が一番引っかかったのは、親方が記者から問われれば何時も二人の息子の相撲をべた褒めすることだった。褒めて子供を育てるのが、最近の流行だそうである。が、親たるもの、時には息子に厳しいことも言わなければならない。他の相撲部屋の親方たちは、弟子の相撲について褒めるべきは褒め、注意すべきところは注意しているのに、二子山部屋親方は、ただ褒めるだけなのだ。

ただ、褒めるだけで大人としての独自のバックボーンを持たない親は、いずれ、子供の信頼を失ってしまう。

この家族は空前の人気を集めた。こういう時にこそ、父親が家族を引き締めにかかるべきなのだ。親方には、その厳しさが欠けていた。

しかし親方にも同情すべき点がある。彼は若い頃から角界のプリンスとして、歴代横綱の誰よりも人気があった。元々、内向的な性格の人間が、人気者商売をあまり長くやっていると、「人気疲れ」の症状が起こり、何もかも放り出して無名の庶民に戻りたくなるものだ(女優で言えば、原節子などがそうだ)。二子山部屋親方も「人気疲れ」に陥ったが、たくさんの弟子を抱える相撲部屋の親方だったために、簡単に引退もできなかった。

おかみさんによれば、親方は相撲協会の仕事にも、新弟子の発掘にも情熱を失っているそうである。ここ何年も、二子山部屋には新弟子が一人も入門していないと聞けば、親方が相撲に情熱を失ったという話もうなづける。部屋を開いてからの親方をとらえていたのは「消極的ニヒリズム」、これだと思う。

一家の中心人物が目を光らせていないと、人気者の周辺には、いかがわしい人物が集まってくる。貴乃花に接近して、兄弟喧嘩の火種を作ったとされる整体師も、いかがわしい男だったし、憲子夫人の浮気相手だとされる「青年医師」も、まともな男とは見えない。数年前に、二子山部屋のファンクラブを運営していた女性が、会員から集めた会費を流用していたというようなスキャンダルも起きている。

扇の中心である要が抜ければ、扇はバラバラになるしかない。一家の主柱である二子山部屋親方が、「消極的ニヒリズム」に陥れば、家族はそれぞれ勝手な方向に走りだす。それでも、人気絶頂の頃はよかった。集中するマスコミの目が一家四人を寄り添わせ、バラバラになることを防いでいたからだ。

家族4人の中で、人々から一番愛されていたのは「お兄ちゃん」だった。「ぬいぐるみの熊」(若ノ花夫人の談)のような愛嬌のある風貌にくわえて、彼は人を逸らさない交際術を身につけていた。弟は相撲界の伝統を守って精神主義的な発言を繰り返すのに、兄の方は、仕事だから土俵に上がているだけですよと、サラリーマン意識を強調して見せたり、私生活では、子煩悩な恐妻家だと自分を演出したりする。自分をその辺の安サラリーマンのレベルまで引き下げ、すすんで三枚目になってみせるのだ。

弟が二枚目を志向して窮屈な生き方に自分を追い込んで行けば、兄は三枚目を志向して、行動の自由を拡げる。兄弟の志向する方向は一見逆だが、その場限りの短絡的な行動が目立つ点では共通している。特に「お兄ちゃん」の方にそれが目立つのだ。

若の花は、巡業で乗った飛行機のスチュワーデスに惚れ込んで、プレゼント攻勢をかけたと言われる。嘘か本当か、一千万円の乗用車までプレゼントしたと言うから、熱の上げ方が半端ではない。そうやって獲得した愛妻と夫婦喧嘩すると、家を飛び出して帰ってこないというような子供っぽい振る舞いに出る。結婚後の女遊びもお盛んで、浮気するたびにマスコミから尻尾をつかまれる。用心が足りないのである。

人気者だから、浮気の方は仕方がないとしても、相撲界を引退する前後の出処進退に一貫性がなかったのは問題である。引退する前々場所は、出だしから成績不振で、相撲協会から休場を勧告されている。それを押し切って出場する若ノ花を見て、私はてっきり、これは場所後に引退するための伏線作りだな、と思ったものだった。

ところが、場所後に彼は親方と一緒に協会理事長を訪ねて、現役継続を願い出ている。それなら、協会から休場を勧告された時点で、それに従っていればいいではないか。さて、現役継続の願いは叶ったものの、次に出場した場所でも成績は上がらず、場所中に引退を決めている。こういう場当たり的な行動を繰り返していたら、協会内での評価が落ちるのは当然で、ついに彼は協会を抜けてタレントに転身することを決意してしまう。

若ノ花にタレントとしての才能があるかどうか、はなはだ疑問である。協会を抜けるという行為が、これまでのような「衝動的発作的な行動」でないことを祈るばかりだ。

人気者になるということは、四方八方からライトを浴びせられることで、そのため周りが見えなくなる。最大の犠牲者は、人気者自身なのである。私はあるとき、名のしれた歌手らしい女性が駅のプラットホームに立っているのを見た。周囲にいたたくさんの人間が、好奇の目を彼女に向けている。彼女は駅の向こうの街並みに視線をやっていたが、それはポーズで、実は彼女が人々に注目されている自分自身しか見ていないことは明らかだった。見られる側に廻ってしまえば、見られている自分しか見えなくなるのだ。

二子山親方の家族は、国中の注視の的になることで、少々、感覚に狂いを生じ、それがマスコミの好餌になっている。マスコミというのは、人気者をおだて上げ、調子に乗った人気者がへまをすると、大喜びで、それをまた叩きにかかるものだ。親方夫人は「凛として」という本を出版したが、この題名も、一家の感覚の狂いを現しているといえなくもない。彼女の何処が凛としているであろうか。

二子山部屋は、何処へ行くか。
どうやら、貴乃花が部屋の跡を継ぎ、弟子の養成に当たる日を待つしかなさそうである。

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