サッチー騒動
一昨年のワイドショーをにぎわしたのは、和歌山の毒入りカレー事件で、昨年のそれは阪神野村監督夫人の経歴詐称問題だった。当時、この二つの事件の主役だった林マスミと野村サチヨは、嘘で塗りつぶした人生を歩んできた点で、双生児のように似ているといわれた。
ワイドショーが好まれるのは、視聴者の意識に潜む小児的な「あこがれ感情」と「イジメ感情」を適当に刺激してくれるからだ。実際、その内容を見れば、中心になっているのは人気タレントの愚にもつかないうわさ話と、問題行動を起こした知名人への非難・攻撃なのである。
私はタレントの名前をかなり聞き知ってはいるものの、彼らの歌や演技に触れたことは殆どない(年末の「紅白歌合戦」を見たことは一度もないし、トレンディードラマも見たことがない)。だから、タレント関連の話題になると、チャンネルを替え、もっぱら、有名人へのイジメ報道を視聴することになる。
やっかみと笑わば笑え、無名の庶民には、有名人の失態をあげつらうのがなんとも楽しいのである。
野村サチヨ女史は、攻撃の矢面に立たされるまでは、人気タレントの一人だったらしい。高額謝礼付きの講演依頼が殺到しただけでなく、衆議院選挙の候補者にまで担ぎ出されたのだから、その人気のほどが分かる。
その野村サチヨを、別のタレントがラジオで批判したことから、一気にサチヨバッシングが始まった。彼女の横暴に苦しんでいた有名無名の人間が、一斉に発言し始めたのだ。野村サチヨの行動には、「成金夫人の高慢と吝嗇」を思わせるものがあったらしい。
彼女は、元フィギャースケート選手に、面と向かって「あなた、醜いわね」といい、更に講演会ではこの女性のことを「豚といってやりたい」と放言している。私はワイドショーを見ていて、このくだりで、思わず笑ってしまった。厚化粧の野村サチヨ自身が、豚顔をしていたからだ。彼女の鼻は短く、鼻の穴が外に開き、今にも「ぶー、ぶー」といって鳴き出しそうな顔をしているのだ。他人の容貌をけなせば、きっと、しっぺ返しが戻ってくる。
野村サチヨの虚言癖は止まることを知らないけれども、彼女が虚言によって飾り立てようとしたのが、主として学歴や生まれだったことに一抹の哀れさを感じる。そこに、彼女の劣等感があるのだ。野村サチヨは60になってセミヌードの写真集を出すほど、容貌やスタイルに過大な自信を待っているが、自分の生家や学歴には強い劣等感を持っていたのである。
確かに、林マスミも野村サチヨも、似通ったパーソナリティを持っている。二人を双生児のように見るマスコミの見方も一理ある。だが、共通しているといえば、むしろ彼女らの連れ合いの身の処し方のほうなのだ。
世間の非難をものともせず、あくどいやり口で家政を維持する妻を、その連れ合いはどう見ていただろうか。
ある意味で、日本中で最も憎まれ者になってしまった二人の女を、その夫たちは、ともに許容しているのである。マスコミは、彼らから妻を非難する言葉を引き出そうと努めたが、ついに成功しなかった。
林マスミの夫は、妻を前面に押し出し、その背後に隠れて、好きな麻雀に明け暮れていた。野村サチヨの夫は、家のことは一切妻に任せて、ID野球にに専念した。彼らは妻を矢面に立て、そのうしろで、のうのうと好きなことをやっていたのである。世間の顰蹙をかうような妻であっても、夫にとってはありがたい妻だったのだ。こういう夫の狡さが、妻達を増長させたと言っても過言ではない。
二人の夫は、妻達を積極的に弁護しようとはしない。そのくせ、彼女らと別れる気持は全くない。ここに男性のエゴイズムを見るのだが、彼らが妻達の行動を許容する背景には、恐怖感も潜んでいるように思われる。
林マスミの夫は、青酸カリを使った妻の犯行に、かなり前から気づいていたに違いない。彼には、何をするか分からない女という妻についてのイメージがあり、もしかすると自分も、という危惧の念が頭から離れなかったのではないか。
野村サチヨの夫が抱いていたのは、妻に財産を握られてしまった男の恐怖だ。
野村監督の金銭に絡まる話には、随分なさけないものが多い。彼はダイヤをツルにはめ込んだ眼鏡をかけていて、記者達には貧乏育ちだからこんな事もしてみるんだと弁解しているそうである。その彼が、別れた先妻の生んだ子供(彼の実子)に久しぶりに会って小遣を与えたが、それが数枚の千円札だったという話がある。これはサチヨが監督に現金を持たせないようにしているためだそうである。野村家の邸宅は、名義がサチヨと息子のものになっていて、監督は除外されているという話もある。もし、これらのゴシップが本当だとしたら、野村監督には妻と別れたら路頭に迷ってしまうという不安があるのだ。
毒入りカレー事件と経歴詐称事件に関するワイドショー見ていて感じたのは、男のもっている小狡さだった。