パスカルの場合

パスカルが回心に至るまでの道筋は、アウグスティヌスのそれとほとんど同じである。アウグスティヌスは友人との交遊の中で、のびのびと思考し、討議し、真理探求の生活に専念していたが、三十才を過ぎて世間と交渉しはじめると心の自由を失った。

それまで学芸の世界を自在に動きまわりていた彼の心は、、世間という小さな箱の中に押し込められた。その結果、内的エネルギーの流れがはばまれ、やがて阻まれていたものが噴出して「回心」という現象をもたらした。

パスカルも同じだった。彼は、はじめ家族や学者サロンの内部で生きていた。この中でパスカルの天才は存分に発揮されたのである。だが、彼のよりどころとしていた家族が解体すると、彼は「社交界」に身を置き、狭隘な人工世界の内部で生きることになる。この中でパスカルはしたたかに傷つき、彼の精神は窒息した。そして、回心が起ったのである。

パスカルが天才だったことに疑いはない。しかし、私はパスカルの著書を読み、彼に関する様々なエピソードに触れるたびに、奇妙な当惑に襲われるのが常だ。アウグスティヌスから感じられるのは、成熟した一個の男性の精神であるけれども、パスカルからは熟成した老人の目を感じると同時に、ひどく子供っぽい幼児性をも感じるのである。

彼の回心にしてもそうだ。回心時に彼を襲った「火」の性格について、彼は誰よりも明析にその実体を捕えようとしている。だが、彼はこの時に走り書きしたメモを胴着に縫いつけて死ぬまで肌身から離さないというようなこともしている。キリスト教の聖者や篤信者の伝記を読んでいると、私達は時折、発達の停止した末成熟な精神を感じる。これがパスカルの中にも見出されるのだ。

パスカルの行動には、アンファンテリブルに通有するナルシズムがあり、星菫趣味がある。

バスカル家は、金で貴族の地位を買い取った「法服貴族」であった。成り上がりの新貴族が、血の純潔を誇る旧貴族に対抗していくには、知的生活を洗練させていくしか方法がなかったから、パスカル家の一族を含めて十七世紀のフランス法服貴族は、こぞって知的目己鍛錬につとめた。

パスカルの父は、一流の数学者・自然科学者から成るフランス切っての学者サロンのメンバーだった。彼はこのサロンの有力メンバーであるという自信と誇りをもって、わが子の教育を人手を借りずに独力で行った。パスカルの姉は、「弟は、ついぞ学校に行ったことはなく、父以外の先生を持ったことがない」と語っている。

パスカルの天賦の才を知る父は、万事理詰めで計画的な教育を行った。パスカルはこの父の指導下に、なぜそれらの学科を学ぶ必要があるのかをあらかじめ承知した上で学び、努力すべきところに間違いなく力を投入した。天才少年パスカルは、間もなく父の所属する学者サロンの寵児になった。彼は父の友人達と対等に議論できるようになり、二十才前には既に数学・物理学の分野で専門家になっていた。

パスカル

妹のジャクリーヌもパスカルに劣らぬ評判の天才少女だった。彼女は宮廷で国王家族のペットになっている。

二十才を過ぎたパスカルは、一家の知的リーダーの地位についた。パスカルを幼時から母親代りに育てて来たので、父親は一家のリーダーの地位を息子に譲るに当って、母性の寛大さを持ち得たのかもしれない。父はこれ以後、道徳的判断・人間評価などについて、わが子の判断に従うようになる。

二十四才のパスカルはキリスト教に入信する。彼は子供のような一途さで家族にも自分に従うことを求め、父・姉・妹を熱烈な信仰者にしてしまう。精神的家長としてのパスカルの要求は峻厳であって、.家族の全員に自分と同じ信仰の水準まで到達することを要求した。

パスカルの信仰は間もなく冷却して行く。しかし、パスカルによって高いレベルの信仰まで押しあげられた妹は、そこから退転することなく、そのまま進んで、とうとう修道女になってしまう。

彼女は宮延で獲得した名声に強い衿持を抱いている傲慢な少女だったが、一転してボール・ロワイヤル修道院に入ってしまったのだ。

妹の修道院入りの少し前に父は死去し、姉も結婚した。誇り高く聡明なパスカル家ばここに解体し、二十九才のパスカルは.一人だけで自宅に取り残された。彼は家族にかこまれ、彼らから讃嘆の目で見守もられている時に、その才気を存分に発揮できた。その時、世の俗人たちは、彼ら神聖家族の脚下に沈んで眼に入らなかった。

しかし、今やその神聖家族は消失した。パスカルはこれまで軽侮の目で眺めていた世間に出て行き、俗人を相手に活動しなければならなくなった。讃美されることになれた彼にとって、必要なのは喝采してくれる観客だった。

パスカルは社交界でも、自分が熱烈に歓迎されるであろうことを疑わなかった。おのれの才智をもってすれば、欲して叶わないことは無い筈であった。

だが、パスカルの予想は無惨に崩れた。社交界が彼をいかにして迎えたかを示す一節をモーリアックの著書から引用してみる(モーリアック「パスカルとその妹」)。パスカルをまじえた社交界の人士が遊山旅行に出かけた時の様子を、参加者の一人が書き記した文章である。

「この趣味も感覚も持たない人物,、(注:パスカルのこと)は、われわれが話をしていると、しきりに割り込んでくるのだが、ほとんどいつも彼のいうことはわれわれを驚かせ、時にはふき出させるのだった。……

われわれは、彼の目を開けてやろうとは少しも思わなかった。いっも好意をもって応待していた。ところが、こうして二、三日たった頃、彼は自分の考えを少しばかり疑うようになった。それからは、もうこちらの話を黙ってきいているか、さもなければ皆が話していることがらをはっきりつかむために質問することしか、しなくなった。

そして、ときどき手帳を出して、何か意見を書きつけていた。彼は驚くべき変化をとげ、P(注:目的地)に着くまでには、彼はおもしろいこと、そしてわれわれの言いたいようなことしか言わなくなった。まさしく彼は迷いからさめたのだった」

パスカルの誤算は、社交界で愛されるようになるためには楽しい人間でなければならない点を見落していたことだった。人はサロンに「楽しみ」を求めて集ってくるのであり、どんなにきらびやかな才能も、それが皆にとって楽しいものでなサれば相手にされないのである。

聡明なパスカルは、楽しい人間になるには多様な価値を味い分けられる「繊細な精神」を養い、時と所に対する適正な感覚を持たなければならないことを理解した。が、パスカルが、そうあるためには、あまりにも透徹した人間であり過ぎた。彼の知性は周囲と均衝を失する程に卓越していたのである。かくて、パスカルは、にがい失意の念を噛みしめながら社交生活を続けなければならなかった。

パスカルはそれ程貧しからた訳ではない。彼は自宅に三人の召使をかかえ、専用の馬と馬車を持っていた。しかし、彼はもっと財産がほしかった。それで彼は自分の発明した計算器を売り出すために宣伝文書を書き、高官との縁故を利用しようとした。

父は子供達に共同の遺産を残して逝った。パスカルは修道院に入った妹が彼女の持分を修道院に寄進するのを阻止する為に全力をあげた。その他、彼は色々な営利事業を計画し、持参金つきの娘と結婚することを夢見ている。

こうしたパスカルの社交生活は二十九才の年がら約二年半続いている。三十一才になると、さすがのパスカルも俗世間と自分自身に対して、深い嫌悪を感じるようになった。傷心の彼が訪ねて行ったのは、遺産問題で争った妹のもとであった。

今や兄妹の関係は逆転し、兄が妹に対して宗教上の指導を乞う立場になっていた。パスカルが、かつて父から引き継いた精神的家長の地位は妹に手渡され、パスカルは二歳年少の妹の前に幼児のように跪くのである。

妹のジャックリーヌは憔悴して姿を現した兄を見て驚いた。そして、兄が、「俗世間をまったく詰まらぬと感じ、世間の人々に対し、ほとんど堪えがたい嫌悪をいだいている」ようだと思った。

兄が妹をしげしげと訪ねてくるようになりてから二ヵ月後、妹は次のように書いている。

「九月の終り頃、兄は私に会いに来た。兄は、この時私に心中を打明けたが、そのさまは憐れをもよおす程であった」

妹に打明けた心の中とは、こうであった。

「自分は現世に深い嫌悪を感じている。、しかし、自分は神に全く見離されており、神の方からの招きを何も感じない。全力をつくして神に向おうとするが、自分を最善のものに向わせる力は、自らの理性と精神であって、神の霊の働きではない。自分のまわりのものに執着のなくなった今、もし以前と同じように神を感じることができるなら、どのようなことも可能なのだが」

パスカルに回心という現象が起ったのは、兄妹の間にこうした問答がかわされてから二ヵ月たった十一月二十三日の夜十時半頃であった。

この回心については、彼の死後、胴着に縫い込んだ羊皮紙のメモが発見されなければ、誰も知ることがなく終った筈である。パスカル自身回心の具体的状況について何も語っていないから、私達はこのメモによって前後の事情を推察するしかない。

パスカル全集(人文書院版)所載の「覚え書」に基いて検討を試みる。これは回心の臨床記録といってもいい、貴重な文献なのである。

「覚え書」は全部で三十行の短い章句から成り立っている。このうち最初の四行は、明らかに後から書き加えたもので、キリスト教史上、当日がいかなる日に当るかを調査て記入したものである。この冒頭の数行のうちで私達が注目するのは、たった一行に過ぎない。そこには、彼をおそった「奇蹟」が夜十時半頃から十二時半頃まで約二時間にもわたって継続したことが記されているのである。この種の体験としては、異例の長さなのだ。

当夜、パスカルが最初に書きつけたのは「火」という文字であった。イスラム教徒がイルミネーションと呼ぶ内的な輝きが突如、バスカルを直撃したのだ。彼は当初内なる深淵から奔出して来た火のごときものに圧倒され言葉を失った。彼は瞠目し、自己を忘失した。やがて衝撃が去ると、ペンを取って手近の紙片に自分の印象を書きとめはじめた。

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者および識者の神ならず」

バスカルは、とっさに「火」の正体を神だと判断したのだった。メモの全文は、この直覚をモチーフにして記されている。あらゆるものを焼きつくすようなこの内的な炎には、何か不可解で謎めいたところがあった。だから彼は、自然にアブラハムやイサクの前に出現した異様な神を思い出したのだ。

続く次の行には、「確実、確実、感情、歓喜、平和」という単語が列挙してあり、次の行に「イエス・キリストの神」、更にその次に「わが神、すなわち汝らの神」と書いてある。

これがこのメモの基本的な構造であり、「覚え書」の全文がこうした形式を反覆する形で書かれている。すなわち、最初の一行に現象を直叙し、その後に現象に対する彼の解釈を数行書きそえるという構造である。

このような文章の群落が全部で六つあるあることから考えると、二時間に及ぷ彼の体験が六つの分節に分れでいたことがわかる。間歇的に吹き上げる感動の回数は、六度に及んだということになる。

この種の体験は、通常一サイクルで完了する。.しかし、パスカルが科学者としての本能的な習慣に従って、現象をメモに取って観察して行ったことが体験の時間を引きのばしたと思われる。つまり、自己観察が、抑制作用の働きをしたのである。

彼は途中で、全力を振りしぼって「感動」を再生させようと努力もしている。三回目から四回目にかけてのサイクルの印象が最も強烈で、その後急激にエネルギーが衰えて行ったからだ。

そこで彼は勇を鼓して態勢を建て直し、感動をなだらかな平原状に保つために渾身の力を振い、それに成功している。

第三同目のサイクルの冒頭に「神以外の、この世および一切のものの忘却」という完全な忘我状態が語られ、第四回目のサイクルの冒頭には、ただ「歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙」と書かれている。

最高潮時には、彼はただ涙を流すだけだったのである。この分節に「人の魂の偉大さ」という言葉がある。実感に充ちた言葉だ。普段、鳥籠のように小さく感じられる心の源底には、未踏の大陸のように壮大な魂が眠っているのである。

一度に歓喜をほとばらせてしまうと、エネルギーは枯渇する。ピークのあとにやってくるのは、「わが神、我を見捨てたもうや」という問いかけであり、「願わくは、われ永久に彼より離れざらんことを」という切ない祈願であって、一旦死んだと思われた感動はこの祈りに応えて再び燃え上る。

そして、この夜の体験はおだやかなよろこびのうちに終息する。最後の数行を記せば次の通りである。

「全きこころよき自己放棄

イエス・キリストおよびわが指導者への全き服従

地上の試練の一日にたいして永久に歓喜

われは汝の御言葉を忘ることなからん

アーメン」

最後の四行を書いた時には、光はもう去っている。至福の時間は終り、パスカルはつつましやかに去って行ったものに向って感謝の言葉を奉げている。「来臨」のさなかに心の一隅に退いていた自己が、謙遜な姿勢になって再び意識に立戻って来たのだ。

パスカルの「覚え書」を読んで私達が感じるのは、二時間の間に「火」が実に多彩な形態を取ったらしいことである。パスカルの鋭敏な感覚はこれらの微妙な変遷を適確にとらえている。

だが、注意して読めば、「火」が描き出した多様な変化相は、実はパスカルの心の闇の種々相だったのである。内的イルミネーションがかくも長く継続した理由は前述した通りだ。が、もっと根本的な理由は、やはりそれだけパスカル.の心の闇が深かったのである。

アウグスティヌスとパスカルを比較すれば、パスカルの方がより暗澹たる内面生活を送っていたに違いない。法服貴族の子に生れた彼には、ブルジョアの悪徳と貴族の悪徳の双方がそなわっていたのだ。その上、彼は天才であった。「天才」の内面がいかに暗いかは、ドプトェフスキーの「悪霊」を読めば明らかだ。

パスカルの暗さを端的に示すのは、「パンセ」前半の人間の悪と悲惨に関する凄まじい描写であって、こうした観察力の所有者は地獄の底をくぐって来たにきまっている。悪を内面的に体験することなしに、人は悪について分析、表現することはできない。

バスカルの心は、都市下底の暗渠のように暗く屈折していた。パスカルの体験した内的な光に、虹の色調に似た種々相があったのは彼の内面にそれを裏返したような闇の種々相があったからであり、更に彼の神理解の種々相があったからである。

例えば第一分節で「火」の本体を「アブラハムの神、イサクの神」と解釈したのは、彼が人知れず不合理な衝動に苦しみ、そこから突如解放され、偶然と必然のはざまで身を裂かれた過去を持っていたからだろう。

パスカルを読んで私達が感じるのは、彼の澄み切った精神とその下にひそんでいる歪んだ暗い情念なのだ。これほど透徹した知性の所有者が、これほど多くのマイナス面をかかえ込んでいる例はほかにない。

パスカルは山奥を流れる渓流のような人間であった、美しぐ澄んだ水の下にゴヅゴヅした奇怪な石が沈んでいる。パスカルの偉大さは、その無比の知性の力によって、彼自身の二重性と人間の重層性を解剖図のように描き出したところにある。

パスカルはこの「火の夜」以後、再度社交界に戻り営利事業にも手を染めている。光を体験したにもかかわらず、彼の心の闇路は依然として続いていたのだ。そのうちに、彼の姪の眼病が「聖荊」に触れたために快癒するという「奇蹟」が起った。この時のパスカルの欣喜雀躍振りは異様な感じがする程で、彼はこれを記念するために茨の冠が目をかこんでいる印形を彫らせて身近に置くというようなことまでしている。

「火の夜」の奇蹟や聖荊の奇蹟にこんなに執着しなければならなかったところに、彼の内面を支配していた闇の深さが露呈している。奇蹟は数学の証明のようなものである。一度証明した問題については、もう二度と証明する必要はない。パスカルが自らの証明を忘れまいとメモを肌着に縫いつけたり、姪の「奇跡」を知って大喜びしたのは、彼が本当に問題を解いていなかったことを語ってはいないか。

彼の有名な「賭の理論」にしてもそうである。これはキリスト教を信じれば死後に復活できる、という教会側の言い分を弁護するために、パスカルが案出した「理論」である。

これを要約すれば、信者になっても死んでから復活できるかどうか分からない、しかし、そう信じたところで失うものは別にないのだから、本当に復活できたとしたら儲けものではないか、というのである。

このシニックな論理には、教会の説く教条に全面的に同じきれない知識人パスカルの苦悩がにじんでいる。だが、私達は今日までにパスカルが「パンセ」において行った以上に見事な神に関する証明を目にしたことがないのである。

ともあれ、パスカルの生涯は、「苦悩を通して歓喜に至る」人間精神の軌跡を示している。彼もまた「鬼窟」を出て「明珠世界」を垣間見た一人なのである。

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