オウムの信者たち
1 地下鉄サリン事件が起きた時には、パソコン通信での論議もこの事件に集中して、麻原や弟子たちを非難する書き込みであふれていた。おおかたの意見は麻原らに厳罰を科すのは当然として、さしあたり残された弟子たちを教団から引き離して更生させることが先決だというものだった。
しかし私は、一般信者たちを転向させることは容易ではないだろうと思っていた。それで、パソコン通信のボード上で、その趣旨のことを強調していたのだが、この予想は大体当たったようで、オウムの出家信者は、まだ600人もいるという。オウム最盛期の出家信者数は1,400人だったから、まだ、半数以上が教団に残っているのである。
私がオウム信者が簡単には転向しないと考えたのは、「イエスの方舟」という先例があるからだった。「イエスの方舟」といっても、若い世代には何のことだかわからないかもしれない。
「イエスの方舟」は、千石イエスこと千石剛賢をリーダーとするキリスト教系のグループで、昭和35年頃に東京国分寺市に産声をあげている。千石イエスは、柴又の寅さん同様にテキヤ上がりで、磁気指輪という怪しげなものを路上で売っていた男だった。彼は信者を集めて私設の教会を立ち上げたが、その教会なるものは廃車になったバスだった。千石のやることは何から何まで胡散臭かったのである。
ところが、この千石のもとに若い女性たちが次々に集まってきて、バラック同然の建物に住み着いて共同生活を始めるようになった。
彼女らは、家を捨て、仕事を捨てて「イエスの方舟」に飛び込んできたので、教会の活動資金を集める前に、まず、自分たちの生活費を工面しなければならなかった。
彼女らは階層からすると良家の子女であって、器量よしが多かったという。その「お嬢さん」たちが歯ブラシやゴムひもの行商をして生活費を稼ぎながら、駅前などで布教活動を続けたのだ。そのうちにバラックやテントで共同生活する信者が26人にもなった(内訳は男4人、女22人)。
娘に家出をされた家族は、信者たちの宿舎を訪ねて早く帰宅するように訴えたけれども、彼女らは聞き入れず、共同生活を続ける。千石に訴えても、家族の懇願を聞き流すだけで、埒があかない。そこで被害者家族は家族会を作り、集団で千石と交渉することになる。国分寺の地域住民も、家族会を応援し、市長も家族に全面的な協力を約束する。かくて、「イエスの方舟」事件はマスコミによって大々的に取り上げられるようになり、千石は邪悪なカルト指導者に仕立てられてしまった。彼は娘たちを誘拐して、バラックの中に監禁しているというのである。
四面楚歌のうちに、「イエスの方舟」のメンバーは三波に分かれて東京から退去して、昭和55年には全員が行方不明になってしまった。当時の朝日新聞の記事。
ナゾの宗教集団「イエスの方舟」に、ついに捜査の手が伸びることになった。教祖はキリスト教」を名乗っているが、通常のキリスト教とはまったく関係がない。その教義は「親は子どもを搾取している。われわれは神の子、親ほ腹を貸すだけ」など、千石イエス教祖の手前勝手な主張が中心。若い女性を次々に誘っては入信させて教会に住まわせ、家族から隔離したあげく集団失跡して女性を隠してしまう。娘や妻を失った家族らの必死の追跡をしり目に、今もって所在は不明だ。(「朝日新聞」昭和55年3月20日)新聞にこの記事が載った頃には、「イエスの方舟」の全員が九州の博多に移っていた。千石はここで自ら警察に出頭して容疑を晴らし、天下晴れて活動を再開することになる。博多で男性信者は建築関係の仕事につき、20余名の娘たちは「シオンの娘」という店を開いてホステスになった。全員協力して働いて結果、娘たちの店が入っていた小さなビルを買い取ることに成功したというから驚く。
千石が娘たちを誘拐して監禁しているという話は、デマに過ぎないことが明らかになった。娘たちは偽善にまみれた家と社会がイヤになったから、「イエスの方舟」に走ったのだった。家にいるより、仲間と共同生活している方が楽しかったのである。
千石の手から娘を取り戻そうとした親たちは、「ちゃんとした牧師が運営する教会になら、喜んで娘を預ける」と口々に語り、千石がちょび髭を蓄えた無教養な中年男で、その教会がいかなるキリスト教系上部団体にも所属しない、でっち上げの私設グループであることに嫌悪感を示している。
しかし娘たちは、親が嫌悪するような「非合法な教会」だったからこそ、「イエスの方舟」に惹かれた。既成の組織に反発し、家や社会に不信の目を向けている人間は、世間から集中攻撃を受けているようなグループに魅力を感じる。なぜ、メンバーが家を拒否して、千石のもとに留まったかは、彼女らの家庭を見れば理解できる。
新井栄=親にもいえない兄の異常行為、父と母の別居、横暴な父への不信、母のボーイフレンド、そらぞらしい家の中三上康子=父と母による姉との差別待遇、母による折檻という名の暴力
阿達今日子=体面を気にする父親、母親の口癖は「どこか私大出身の人と見合いの練習をして、本命の東大出の人とお見合いさせてあげるから」
長田房子=ソトズラのいい家族だが、互いに心が通っていない、父親は女の子は大学など行っても意味がない、何年か勤めて結婚すればいいのだと考えている
(『「イエスの方舟」論』(芹沢俊介著)から引用)
彼女らのなかには、万引き・売春などの非行を体験したものも少なくない。
親と親が依拠する社会に対して、子供が反発する仕方にはいろいろある。世間が眉をひそめるような非行に走るというのも反発行動の一つである。内面に弱さをかかえた若者は、その外見上の派手派手しさから「非行による反逆」という方向に走りやすい。だが、根は良家の子女なのである。非行に走りながら、心にすきま風が吹くような空しさを感じている。そうしたときに、千石イエスの話を聞いて、彼女らは非行コースを捨てて「シオンの娘になる」という、それまでとは反対のコースを選択したのだ。今度は、聖女になることによって、親と世間に反逆したのである。
「イエスの方舟」という名称は、実に象徴的なのである。
娘たちは、世俗の濁流から逃れるために、「箱舟」に乗り移って自分らを現世から隔離した。この舟には、皆から「おっちゃん」と呼ばれている千石がいる。彼は支配欲の強い親たちと違って、適当にアバウトで、親しみやすい性格の持ち主だった。こうした背景があるから、娘たちは頑として方舟から下りることを拒んだのである。2 2月27日は、麻原に対する判決の出る日で、ほとんどすべてのテレビ局が特番を組んで判決結果を報道していた。二、三のテレビ局にチャンネルを合わせてみたら、解説者の多くが、「麻原への判決が出たからといって問題は終わったわけではない、アーレフと名前を変えたオウム真理教が解体し、信者が一人もいなくなって初めて事件が終わったといえるのだ」というようなことを強調していた。
(ああ、昔と同じだな)と思った。
8年前、オウム真理教への手入れが始まり、次々に幹部が逮捕された時にも同じような意見が巷に氾濫し、パソコン通信のフォーラムでも、その種の書き込みが多かったのだ。当時、私はこうした意見に賛成できなかったので、フォーラムに反対意見を書き続けた。以下に紹介するのはそのうちの一部で、私の意見は、今もこれと基本的には変わっていない。
判決当日のテレビから
アウトサイダーとインサイダー
ヒッピーとか出家者は、本来、社会の外に出た人間で、実生活者として社会の内部にとどまっていても、心理的に部外者なんですね。従って、アウトサイダーが社会を制覇しようとして、インサイダーに攻撃を仕掛けるということは、まずあり得ないことです。攻撃を仕掛けるとしたら、それはインサイダーの側からで、その辺の事情は昔評判だった「イージーライダー」という映画に描かれていました。へんてこなオートバイに乗って、ヒッピーが放浪の旅をしている。それを「社会人」がダイナマイトか何かで爆殺してしまう。ヒッピーの乗っていたオートバイの車輪が空高く舞い上がるシーンは、なかなか印象的でした。
ヒッピーも出家者も、競争とか支配とか、力で他者を圧倒する争いごとが嫌いだから現世を捨てたのです。彼らは因果応報という現実を目の前に見ています。悪をなすものは、そのことですでに罰せられている。過度の欲求を抱けば、求めて餓鬼地獄・焦熱地獄に堕ちることになる・・・こうしたことを実感したからこそ、アウトサイダーになったのです。
出家者は、普段インサイダーに対しては「慈悲」をもって臨み、相手から攻撃されれば、「忍辱」をもって応えるというのが本来の姿であるはずです。オウムときたらそれをねじ曲げて、多分歪んだ使命感からでしょう、インサイダーに攻撃を仕掛けています。それに、宗教と科学の結合と称して、疑似科学のようなものに深入りしている。
ヒッピーが、アメリカのアーミッシュ住民そこのけの自然生活をしているところに惹かれますね。ヒッピーの女たちが、仲間の出産に当たって医者や産婆を呼ばずに、自分たちの手で分娩させることはよく知られています。出産は元来自然現象で、医学の介入などを必要としないものだと考えているのですね。
ヒッピーの共同体を見学に出かけた生徒からこういう話を聞きました。訪問中に、途中で雨が降り出したそうです。すると、若いヒッピー女が夕立の中に出ていって座禅を始めたというのですね。ずぶぬれになって座りつづける彼女に、後でその理由を尋ねると、「雨に濡れる感触を掴んでおきたかったから」と答えたそうです。
ヒッピーも出家者も、大量生産大量消費の現代社会に対抗して、少し働き少し消費するという生活スタイルを守っています。自然に依拠して生きれば、そうした生き方も可能だと信じているのです。
オウムの出家者たちは、指導者を失い、周囲の住民から迫害されたら、これをチャンスとしてヒッピーのグループに入れてもらえばいいと思いますよ。彼らは、来るものは拒まずの主義ですから「勝手にやんな」と受け入れてくれるでしょう。
そして、自然農業を習得したら、過疎地に移って百姓を始めればいい。何年かすれば、人恋しくなるにちがいない。そしたら、家族のところに帰ってくればいいでしょう。良寛も最後はふるさとに戻りましたよ。
毎日、土ともに生きていたら、馬鹿げた「超能力願望」などすぐに消え失せます。冷暖房完備の家に住み、クルマに乗って外出し、パックに入った食べ物を食べる。これでは、カプセルの中の日常で、自分が自然やコスモスの中にあることを忘れてしまいます。だから、馬鹿馬鹿しいオカルトなどを信じてしまう。
オウム信者だけでなく、現代人のすべてが、自然との関係を回復すべきときだと思いますがね。どうでしょうか。
ヒッピーとオウム信者こんなことを言うと、不謹慎だと叱られそうですが、小生は少しばかりオウム信者に好意を持っています。以前に、ヒッピーに共感したように。
ヒッピーというのは、スクエアーと対になる言葉で、真面目に対する不真面目というような意味だそうですね。ヒッピーの中には、働くのが嫌いで、横着で、図々しくて、本当にどうしようもない奴もいます。しかし、中には真面目なヒッピーもいるのです。真面目的不真面目人とでも申しましょうか。
現代は、既成の社会枠の中でおとなしくしていれば、安穏に暮らせる時代です。もう飢える心配がなくなったのだから、もっと本質的な生き方を模索したり、好きなことに熱中すればいいのに、人間は、特に日本人は、与えられた枠組みから落ちこぼれまいと必死になってしまう。
適応過剰。これですね。
そんな中で、ヒッピーだけが自発的に落ちこぼれて、好きなことをしている。固定観念のように染みついた「うまくやろう」という発想を止めて、敢然とドロップアウトの生き方を選ぶ。
人の世の柵に縛られて、そこまで踏み切れない大人たちは、仕方がないから山頭火だの井月だのという乞食俳人の俳句を読んで心の飢えを慰めるしかない。
そして、経済環境が悪化してきて遊んで食えるような時代ではなくなったら、カルトが盛んになりました。カルトに走る人間は、「思い詰めたヒッピー」と言ったらいいでしょうかね。ぬるま湯のような現代社会から抜け出して、自分を根本から新しくしようとする。「脱却」「解脱」、そのための「修行」「苦行」。これが、彼らに共通するスローガンです。しかし、苦行して身につけるのが空中浮遊のような超能力だとすると、これは余りにも少年雑誌式妄想で、いただけません。ヒッピーやカルト信者は、本来はコスモスに繋がることを求めるべきなのです。
先日、「コスモスとは何か」と、K先生に問い糺されて大変困惑しているのですが、言って見れば人間世を包み込んでいる大いなるものとしか言い様がないですね。
「宇宙からの帰還」という本を読むと、月に到達した宇宙飛行士が相次いで信仰に目覚め、伝道者に転身していると書いてあります。宇宙という途方もなく巨大で荒涼とした空間の中に、ぽつんと浮かぶ緑なす地球を目にして、彼らはぞっとするような戦慄を感じたのです。
コスモスの側に身をおいて眺めたら、人間なんて一瞬の時間を生きて無に帰するカビのような存在ですよ。だからこそ、限りある生命を哀惜せざるをえない。宇宙意識という言葉をしばしば耳にします。
自意識=社会内意識=基調はエゴイズム
宇宙意識=脱「社会内意識」=基調は愛人は潜在的に狭い意識を拡張して、大きなものに繋がろうとする衝動を持っていませんか。
Kさんにしても、Gさんにしても、本当はその衝動を人一倍持っているように思うのですがねえ。
現在、オウム信者を社会復帰させるための方法論がさかんに論議されています。小生は、思いますよ。彼らは現代社会に愛想を尽かして、求道の生活を選んだのだから、このままその方向を進んでほしいと。彼らを又社会の枠の中に戻そうというのは、純情な青年に嫌いな年増女と復縁せよと言うようなものですからね。彼らは今回はろくでもない教団に引っかかってしまった。これからは集団幻想のトリコになることを止めて、もっと、まっとうなやり方で修行をつづけてほしい、君たちの志向は正しかったのだから・・・そう言ってやりたいですよ。
「ニューズウイーク」の見方は
日本人はオウムをカルトだカルトと言って騒いでいるが、閉鎖社会日本そのものが一つのカルトではないか・・・と「ニューズウイーク」は書いているそうですよ。Mさんが#612で引用している「ある人の言葉」というのも、同様の意味でしょうね。オウム信者は、アメリカ人みたいに「向こう側」から日本人を一つのカルト集団と見て、憐れんだり同情したりしていたかもしれませんよ。善良な日本人がオウム信徒のことを心配して、彼らを社会復帰させる方策を考えているとき、彼らの方ではダラクした日本人を救済する方法を考えている・・・・
実利優先の日本社会に批判的な若者が目を向けるのは、どうもインドのようです。インドには現代の日本の失ってしまったものがまだ色濃く残っている、と感じられるからでしょう。オウムは、教義にも教団用語にも、ことさらにインド的な色合いを強調して、そうした若者たちの心をとらえています。
インドに出かける代わりにオウムに入ったという男女も数多いのではないでしょうか。
「脱日本」
「脱世俗」これが、オウム信徒の心情を解くキーワードですよ。
彼らのこうした心情を理解しないで、いたずらにマインドコントロールを施そうとしても徒労に終わるに決まっています。
体制内の日本人だって出家者(これをオウム式に言うとサマナとなるらしいですが)の気持ちを理解できないことはないと思いますがね。
西行とか良寛とか、日本で人気のある歴史的人物は世俗を捨てて出家しています。家を捨てることで、より広い世界を獲得したのです。
勤務の都合でよその土地で借家暮らしをしていた頃、よく散歩に出かけました。
住宅地を歩くと、ブロック塀の上から四季折々の樹木が枝を伸ばしています。実に美しい。小生は、虚心にそれらのたたづまいを味わって帰ってきたものです。ところが地元に戻り、他人の家の見事な樹木を眺めても、最早その美しさを味わうことができないのですね。(我が家の庭に、あの樹木がないのはどうしてだ)という浅ましい気持ちが沸いてくるからです。
小生は典型的な俗物ですが、そんな小生にも心の底に脱世俗のうずきがあります。
だから、何時までもオウムにしがみついている信者たちを何て馬鹿な奴らだろうと、突き放してしまう気にはなれないのです。
まあ、まあ、あまり興奮しないで オウムに対する怒りはわかりますよ。これは、国民的怒りと言ってもいいし、いや、人類的な怒りと言った方がいいでしょう。教祖を中心とした一部の幹部が、密室の中で独善的な密謀をこらして何の罪もない市民多数を殺傷する・・・
これに怒りを感じないとしたら、感じない人間の方がおかしい。
その怒りが発展して、「こんな教団に今もなお留まっているような奴らはどこかの離島に隔離してしまえ」というところまで行ってしまうと、これはやっぱり行き過ぎですよ。教祖らが平然と「ポアする」計画を練っていたのも事実なら(たぶん事実でしょう)、下部の一般信者が「私たちは、掃除機に入ったゴキブリだって殺しません」と語っていることもまた事実にちがいありません。
オウムに入信した信者には、超能力を身につけたいなどという愚かしい動機にもとづくものもいたでしょうが、もっと純な気持ちから全財産をなげうって教団に飛び込んだ者もいるはずです。一般信者の心事が理解できるかどうか、理解しようとする気持ちがあるかどうか、ここが肝心要のポイントですね。
Kさんは宗教的なものに惹かれる人間を、どこかおかしいと見ているようです。これは、Kさんだけでなく、日本人一般に共通する気持ちかもしれません。確かに、旧宗教・新宗教・新々宗教、どれをとってもいかがわしいものが多い。だからといって、すべての求道者を一把ひとからげに阿呆扱いするのは行き過ぎですよ。
今、福祉施設などをまじめに運営している人には、宗教家が多い。
オウムに限らず、各宗派が掲げている教義には心惹かれるものが多々あります。高学歴の若者がオウムに吸引された理由の一つは、オウムが「**学会」のように現世利益を説こうとしないで、むしろそれを否定したからでしょう。オウムには世俗宗教を越えた何かがある、と彼らを錯覚させたものがあったのです。「修行による解脱」という困難な道を選んだ彼らは、その心境において、円高を利用して外国に出かけブランド品を買いあさる若者のたちよりましだと思うのですがね。
難しい関門をいくつもくぐり抜けてお医者さんになったKさんには、敬意を払います。しかし、それ以上に、進んで私財をなげうって福祉活動をつづけている宗教家にはもっと敬意を払います。そしてオウムの信者の中には、こう言った心根を持つ者も少なからずいるんじゃないかと想像するのですがねえ。
小生は腹の底からの俗物で、夜は眠くなるまでミステリーを読み、朝10時まで寝ていて起き出してから趣味的農業をやるという気楽な暮らしをしています。正真正銘、消費文明の受益者です。
しかし・・・やましさを感じるのですよね。そして、この日本で、誰よりも尊重さるべきは、求道の志を抱いた若者たちだという気がするのです。
人は求めている限り迷うものです。
オウムの信者は、くじけそうになる気持ちを教祖の「修行するぞ、修行するぞ、テッテー的に修行するぞ」と繰り返すテープを聴きながら奮い起こしてきた。教祖なき今、求める気持ちが本当なら彼らは、もっとまともな指導者を見つけるでしょう。見つからなければ、自身の内部を探せばいい。彼らをキチガイ扱いする代わりに、彼らの心根を尊重し、彼らの修行を成就させるように手を貸すのが、大人の義務だと思いますがね。治療さるべき病人、クライアントは、私たちではないですか。
偏狭な社会による排除の論理 オウムに対する怒りが、サリンによる無差別殺人というような極悪非道の悪行に向かわないで、むしろ幹部・一般信者たちの市民道徳無視という側面に向かっていると、Kさんは告白しています。
Gさんが、成長期の子供に一汁一菜を強要しておいて自分たちだけたらふく食っていたという幹部たちに怒りを覚えるのも、同じ文脈からですね。
同感ですが、ここで思い出すのは、比叡山の僧兵たちの乱暴狼藉です。
仏法を守るべき僧たちが、山をかけ下って京都の町に乱入し、やりたい放題のことをして暴れ回る。オウムも同じようなことをして施設周辺の村民の怒りを買っていたようです。しかし、だからといって、オウムの信者がすべてそうだった訳ではない。僧兵たちが勝手気ままなことをしているとき、法然・親鸞・道元というような鎌倉仏教の開祖たちは、比叡山の山中で黙々と修行に励んでいました。これと同じように、上九ー色村の教団施設の中で真面目に修行している男女もいたはずだと思うのですよ。
今日の朝日新聞に山折哲雄が「内面に宗教を意識していない人が、宗教現象を追尋する怖さ」について書いていました。
同氏のところに取材にくるマスコミ関係者に質問してみたら、全員が「無宗教です」と答えたというのですね。だから、彼らはオウムについて取り上げるときに、その内面的な問題を捨象してしまって「宗教を社会現象として(のみ)扱ってしまう」。
その結果、狭量な社会意識による排除の論理が働いて、みんなでオウムを閉め出すことになる、と山折は説いています。全く、その通りだと思いましたね。
マスコミの報道は、たくさんのオウム・オタクを生み出したものの、宗教について真剣に考えてみようとする風潮を最後まで生み出すことがなかった。
現世利益中心の生活規範が日々増殖していること、社会全体がとめどもなく世俗化していること、そして、これにブレーキをかけるには、まっとうな宗教意識を養うしかないという事実、・・・こうした事実への反省を遂に生み出すことがなかった。
こんなふうに書くと、「お前は宗教オタクだ」と言われかねないけれども、回りを見回して、自分には到底真似が出来ないなと思わせるような「善行」を実践しているのは、信仰を持っている人に多いのだから仕方がありません。
PTAで知り合った人に、見ず知らずの孤児を引き取って高校に通わせている会員がいました。この人は、「よくやりますね」と話しかける会員に、「自分のためにしたことは何も残りませんからね」と笑って答えていました。すでに自分の子供を育て上げてしまった老齢の会員でしたが。
十数年、ある団体で奉仕活動をつずけている老婦人が会報に書いているのを読んだら、「宝を天に積め」という聖書の言葉を念じているとありました。一文にもならない活動を根気ずよくつづけるには、やはり宗教の支えが必要かなと思いましたよ。
こういう人たちは自分のやっていることを宣伝しません。しかし回りの人間を確実に感化して、人間性への信頼というようなものを喚起してくれています。
宣伝しないから、人を感化するのですね。
その点、宣伝に熱心な新宗教はどうも信用ならない。結局、間違った門をたたいて失望したら、別の門をたたくしかなく、こうしたことを何遍も繰り返して真実の信仰に到達することになるのかもしれない。
パラレルな視点で I さんのご意見に賛成ですね、全面的に。
今度のオウム事件は、おそらく戦後の三大社会的事件の一つに数えられるでしょうから、日本国民がこの報道に熱中するのも当然といえます。
しかし、その場合、日本人が自身の生きざまを棚に上げて、オウム信徒を馬鹿だのちょんだのと酷評するのはどんなものでしょうか。外字新聞はオウム報道に血道を上げるマスコミを眺めて、「ニホンジンの暗いエンタティンメント」と評しているそうです。
われわれは、オウムの信者を向こう側において、彼らを何とかして「善導」しようとしています。あたかも彼らが心を病んだ病人であり、治療を必要とするクライアントであるかのように。
Sさんが言われるように、こうした自分を高いところにおいた姿勢からは何も生まれません。オウムの信者からすれば、心を病んでいるのは我々の方なのですからね。このボードでも指摘されているように、あちらがヘッドギアを被せられているとしたら、こちらは体制の拘束衣を着せられているのですから。
オウム信者は確かにいかがわしい教祖に引っかかってしまった。
でも、それは真実の生き方を求めていたからですよ。彼らの胸中には消費社会の中でぬくぬくといきることに耐えられないものがあったからです。オウムでは現代の社会で普通に生きていても「三悪趣」に落ちてしまうと教えているそうです。貪欲、瞋恚、痴愚という三つの悪の世界。超越というのは、この三悪の世界から抜け出ることを意味し、K先生の言うように人に抜きんでることではないですよ。
Iさんは、オウム信徒は新たな宗教を目指して再出発すべきだと説き、Kさんは、それは「新たな依存対象を探す」ことに他ならず、「子供に別のおもちゃを与えるようなものだ」と酷評しています。そして「同じ失敗を何度もする」ようなことは避けるべきだとおっしゃる。
ここでイエスを持ち出すと、大袈裟だと言われるかもしれません。
イエスは最初、予言者ヨハネという激越な反体制主義者の弟子になり布教の手伝いをしていましたが、師匠が逮捕され処刑されるとこの教団を離れて荒野で瞑想して新しく一派を開きました。宗教に関心のある者は、いろいろな教団を巡り歩いて本当に落ち着ける宗派を探し当てるらしいです。彼らを宗教から引き離して現世に復帰させるという労多くして効少ない方法を採るより、心ゆくまで修行させる方が社会にとっても本人にとっても意味があるように思いますね。
それに小生は、心理療法なるものには懐疑的です。
所詮、これは対症療法で、対症療法で十分だという人には向いていても、根本的な問題解決を望む者には物足りないはずです。根本的な治療を欲するなら、やはり、思想とか宗教とかが有効になってくるのではないでしょうか。日本が生んだ輝かしい精神療法「森田療法」も浄土真宗から出発しています。
小生は、頑固な不眠症の症状を持っています。この拙文を書いているのも、午前三時というありさまです。自身の経験に関する限り、不眠症の治療には心理療法は役に立ちませんでした。有効だったのは、ヒルティーの日記でしたよ。
彼は「不眠は神のたまもの」だというのですね。神経症その他、病気というものを、どうしても直してしまおうとは考えずに、「人の弱さ、その有限性を知らしめるための内なる棘」と考えよと宗教者は言うのですが、小生はこの言葉でかなり救われましたよ。
(パソコン通信からの引用終わり)
オウム真理教に入信した信者たちの心情は、構造的には「イエスの方舟」のメンバーのそれと同じなのである。「イエスの方舟」の信者が簡単に脱会しなかったように、オウム真理教の信者もそう簡単には転向しないだろう。彼らは基本的には、現代社会を信じておらず、その社会をバックにした世論なるものを否認しているからだ。信者たちは、自分たちの更生策を論じる「有識者」らの言葉をテレビなどで聞きながら(体制べったりの皆さんに、俺たちの気持ちが分かってたまるものか)と考えているに違いないのである。
こういう信者たちを責めてはならない。私は新聞で排除の論理を戒める森達也の意見を読んで、同士を得たように思った。森達也は、オウム教団を内側から描いたドキュメンタリー映画「A2」の制作者で、信者たちが世間の想像するような邪悪さや凶暴さを持っていなかったと証言している。森が信者たちに見たのは、一途に信仰を選択した結果の不器用さと浮世離れだった。彼らのほとんどは、善良で純朴だったという。この点は森が東京拘置所で接見した幹部信者にも共通していたそうである。
森は、地下鉄サリン事件以後の日本は正義と悪の二元論に落ち込み、異端を頭から排除するようになったと分析する。
「過剰な免疫システムは、異物を排除する過程で、いつかは自らも破壊する。つまり僕たちは、オウムを憎むことで少しずつオウム化しつつある。
オウム事件以降、他者への寛容さを失った日本は、そのまま9・11以降の米国に重複し、パナウエーブで狂奔しながら拉致問題で憎悪と排斥感情をむきだしにする現在へと直結する」
潜伏中のオウム幹部が次々に逮捕された8年前、幹部一人一人についてなぜオウムに入信したのか、その理由が詮索された。高学歴で前途有望な人物が多く、しかも入信以前の彼らの評判は皆いたってよかったからだ。
彼らは、医学や科学の専門家だったが、魂の飢えのようなものを感じ、物質優先の社会に失望していたのだった。彼らは一様に人々の役に立ちたいという善意に燃えてもいた。幹部の中で一番年少の井上嘉浩も同じで、高校時代の級友は、いい大学に合格し、いい会社に入るための受験勉強に熱中していたが、彼はそういう生活にむなしさを感じ、もっと本質的な生き方を模索していたという。
しかし人々の役に立ちたい、自分もろとも人類を救済したいという善意の持ち主だった幹部信者が、なぜ、麻原の指示に従って残虐なテロに手を染めたのだろうか。麻原は、衆議院選挙に立候補して惨敗してから、社会に敵意をもつようになり、終末論に傾斜していったといわれる。彼らは、何故そんな教祖の意のままに動いたのだろうか。そうなってしまう心理的な素地が彼らにはあったのだろうか。
出家者は、生産活動に携わらず、社会に寄食する生き方をしている関係上、人々の下座について謙虚に生きなければならぬと考えている。彼らは本質的に乞食なのである。ところが、解脱して世俗的な欲求から解放されたと自称する出家者の心に、社会人を上から見下ろすような増長慢が芽生えてくる。
こうして現世を見下ろすようになった人間が社会人に示す態度は、二つしかない。相手を憐れむか、侮蔑するかの二本道。憐れみの気持ちから世人に訓戒をたれているうちはいいけれども、それが拒否されたとなると、感情は一転して侮蔑の側に傾く。麻原教祖は、この侮蔑の感情を増幅させて、弟子たちにサリンをまくことを命じたのである。
憐憫から侮蔑への移行の素地は、幹部信者たちにもあった。彼らは学歴社会の勝者だった。にもかかわらず、輝かしい未来を捨てて出家したという事実に、彼らは強い誇りを持っていた。従って俗人に対する憐憫の情や侮蔑の念は、下部信者より強かったのだ。幹部信者の意識の底にある「反体制感情」は、ある意味で赤軍派よりも強かったかもしれないのである。
しかし「修行するぞ、修行するぞ、テッテー的に修行するぞ」と修行に明け暮れていた一般信者には、世俗を否定する気持ちはあっても、自分の方から世俗への攻撃に乗り出していって、これを支配しようというような気持ちはない。彼らはむしろ、親の手を逃れて千石イエスのもとで安らごうとした「イエスの方舟」信者の同類だったのである。「イエスの方舟」の娘たちが親から逃れようとしたように、オウムの信者たちも世俗から逃れようとし、「イエスの方舟」の娘たちが千石イエスを頼りにしたように、オウムの信者たちは麻原を頼りにしたのだ。
「イエスの娘」たちは千石イエスの死後も、家には戻らず共同生活を続けている。オウムの信者たちも、麻原なき後も「修行するぞ、テッテー的に修行するぞ」と修行に励み続けるだろう。あまり心配することはないのである。それよりも、あまり追いつめると、彼らが暴発するのではないか、ということの方が気になるのだ。
(04/2/29)