大人の世界
女子高生は狭い世界の中に住んでいる。彼女らが目にする大人は通常、学校の教員と両親、祖父母だけである。従って、大人についての感想を求めれば、どうしてもこれらを対象にした印象批評になってしまう。
その両親に人間的な優劣が際だっていると、生徒の未来に対する考え方が反対のものになったりする。母親が優れていて父親が駄目なときには、娘は結婚を忌避するようになるし、その逆の場合には、早く家を出て結婚したいとスイートホームを夢見るようになるのである。
お辞儀をすれば、「あの子はませている」と言われ、、しなければ「あの子は、礼儀知らずだ」と言われる。
祖母も、「おばあちゃん、肩をたたいて上げるかネエ」と言うと、「お嬢様に叩かしちゃ、肩が曲がってしまう」 と言う。それで叩かないでいると、「うちの孫は、肩も叩いてくれない」 と愚痴る。
先生たちも、あまり人気なんか気にしない方がいい。
少しぼけて見えたり、型が整っていなかったりすると、話しやすいものだから人気が出るくらいのものだ。すべてにキチンとしている先生は、整いすぎて、話題にならないのである。
小学校4年になると、また、受け持ちに先生が替わった。人の心を素早く読みとり、皮肉めいたものの言い方をする先生である。この先生は、第一印象で生徒を区別するというようなタイプだった。・・・・小学校時代の先生は、3人とも、一人合点して物事を単純に決め付けたり、生徒たちの悪い点ばかりを取り上げて問題にする人たちだった。
中学の教頭先生は、いつも「二三注意する」といって、「二三が六になる」九九みたいな先生だった。
母は父をあまり尊敬していない。でも、私たち兄妹に有り余るほどの愛情を注いでいるので、別に不満はないようだ。
私も夫などというものは持ちたくないが、子供だけは欲しいと思う。女はそれだけで満足できるものなのだ。それだけで、単純に充足して一生を送っていけるのである。男は、自己中心的な生活をしたり、出世を目指したりしていれば、満足らしい。女の問題点は、子供との関係だけで生きていけるために、ものの考え方が貧弱になることだ。現に私も、さほど勉強しなくたって、と考えている。
父と母のケンカを見ていると、母の独り相撲みたいです。母から何を言われても、頭をポンポン叩かれても、父は何も言わずニヤニヤ笑っているだけです。父は母を大きな何かで包んでいるみたいです。男の人って、女性をふんわり包み込んで、暖かく見守っていることが出来るのですね。そして、女の人は、見守られていることが幸せみたいなのです。
私は女性はとても強いものだと思っています。そして、細やかな心を持ち、しんからの働き者だと思っています。
というのは、父と母が同時に病気になってしまったことがあるのです。私から見れば、母の病気の方が重いように見えたのですが、母は全然寝てなどいませんでした。食事の準備から、家族全員の世話まで、何から何まで一人でやってしまうのです。
母は、「私が寝てなんかいられますか!」と言いました。本当にその通りなのです。もし母が寝込みでもしたら、家の中はストップしてしまうでしょう。くるくる動き回りながら母は言います、「男なんて、ほんとうに気楽なものだ」
男というものは、家族を食べさせるための働きで目立っています。でも、私から見れば、男というのは機械みたいなもので、それに油を差したり、動かしたり、止めたりするのは、すべて女であると思います。
女性の特性の一つに、変身が巧みだということがあると思う。近所に、二三年前に夫を亡くして未亡人になった女性がいるのだが、この人は夫が生きていた頃は、いかにも頼りなさそうで、夫なしには夜も日も明けないような感じだった。
この人が未亡人になってから、少しずつ変わり始めたのだ。たくましい感じが出てきて、顔つきまでキリッとしてきたのである。末の子を進学させるためにお勤めに出るようになったかと思うと、それまでは、農作業に出たこともなかったのに、休みの日には家族の先頭に立って田圃に出かけている。
こうした変身を生んだのが、家族への愛情であることを思うと、女の強さの秘密がわかるような気がする。
ある日、私の母が言いました。「私がどんな辛い仕事にも我慢できるのは、あなたのお父さんがいるからだよ」と。