09/6/13 「諦観の俳句」
信濃毎日新聞には、写真と俳句を組み合わせたフォト俳句のページがある。先日、ここに印象的な作品が載っていた。
作品は上掲のように、「亀鳴くや夢で終わりし数学者」 というものだ。80歳になる作者は、自分の人生はほぼおわったという事実認識に立って来し方を振り返り、「数学者になりたかったのだが、それも夢に終わったな」とつぶやいている。
この句は若い人には、格別の印象を与えないかも知れない。諦観の句だからだ。
人間は実現の可能性のある夢の他に、実現の見込みのない夢を抱いて生きている。いい大学を出て、いい会社に就職し、安定した生涯を送りたいと頑張っている若者がいる。だが彼は、もう一つの夢として尺八を吹いて全国を流れ歩く流浪者になることを願っているかも知れないのだ。
堅実な主婦として子どもを育てている女性が、密かに歌手になって舞台に立つ夢を持ち続けているかも知れない。
人は皆、何かしらこうした見果てぬ夢を心の片隅に置きながら生きている。そして、人生の終わりが近づいて初めてこれをある種の諦観とともに放棄するのだ。
この句の作者は、呉服商として成功した人物かもしれない。多忙な仕事に追われて、脱俗の数学者になり得なかった作者は、ひっそりと生きる亀を眺め、ふと寂寥の念に襲われたのである。この句は、亀と数学者という対応関係がきいている。記憶に残る作品である。