ナベツネ氏と海老沢会長

友人に熱烈な中日ファンがいて、彼は顔を合わせるたびに「ナベツネのヤローが──」と巨人軍前オーナーの渡辺恒雄氏を罵るのを常としている。ナベツネは、プロ野球全体を私物化して、巨人軍さえよければいいという原理で動いているエゴイストだというのである。

その友人の説が頭にあったから、ダイエー球団が四番打者の小久保選手を巨人軍に無償で譲渡したときには、なるほどと思った。週刊誌の解説によれば、ダイエーがそんなことをしたのは、オーナー会議の議長をしているナベツネ氏の御機嫌を取り結ぶためだったという。これが事実だとしたら、他チームのオーナーは将軍の御前に出た外様大名のように、ナベツネ氏の前にひれ伏しているのである。

ナベツネ氏は、読売新聞社内でも絶対的な権勢をふるっているという。読売新聞には、以前に正力という社主がいて鶴の一声で新聞社を動かしていたが、ナベツネ氏はその跡を継いで正力に劣らぬ独裁者になったらしいのである。どうもこの新聞社には、ワンマンを生みやすい土壌があるらしいのだ。

渡辺恒雄氏

独裁を生みやすいといえば、NHKがその最たるものだろう。
現在の海老沢会長は、周辺を側近の部下で固め海老沢王国を作り上げているといわれる。それ以前のNHK会長も、島ゲジと呼ばれていた強烈な人物で、日本放送協会を意のままに操っていた。

正力、ナベツネ、島ゲジ、海老沢と並べてくると、いやでも日本企業の前近代性を連想しないではいられない。企業社会のリーダーがこれほどまでに権勢をふるい得るのは、社員が大勢順応型の日本的心性を持っているからなのだ。何しろ、アンケート調査をしてみると、サラリーマンが信奉することわざのトップに「触らぬ神にたたりなし」が来るというお国柄なのである。

だが、ここで注意しなければならないのは、社内で絶対的な権勢をふるうワンマンも、社員の大勢順応心理に支えられているに過ぎず、極めて脆弱な基盤しか持っていないということだ。本当に信服している部下はいないのである。だから、新しいリーダーが出現すると、たちまち忘れ去られてしまう。

以前に三越で岡田天皇といわれていたワンマン社長が、重役会のクーデターにあって追放されるという椿事があった。けれども、これは例外的な事例でワンマンが下から突き上げられてその座を追われるということはほとんどないから、ワンマン社長を頂いている会社が、おかしな方向に行ってしまったり、倒産の憂き目にあったりすることも多くなる。だが、部外者はこれに口を出すことができない。ただ、傍観しているしかないのだ。

部外者は傍観しているしかないとはいいながら、全国紙やNHKにワンマンが出現して、組織を思うままに動かすようになっては困るのである。

ナベツネ氏は学生時代に共産党員だったが、その後、反共主義者に転じたといわれる。私はこういう人間を好かない。マルクス主義に心酔し、共産党に入党した若者が、長じて主義を捨てたっていいのである。若い頃、熱心なクリスチャンだった青年が、中年になって棄教し無神論者になるのと同じで、それは思想遍歴の一こまであり、人間が成長していく段階の一つだからだ。

だが、かつての共産党員が、アカ嫌いの世俗に荷担して共産党を攻撃したり、かつてのクリスチャンがキリスト教撲滅運動に狂奔したりするのは、馬鹿な男が別れた元妻をあしざまに罵るのに似ていて、素直に受け取れないのだ。男は離婚したとはいえ、相手の女を純粋な気持ちで愛していたこともあったはずであり、その相手を人々の前で罵るのは天に向かって唾するようなものだ。以前に自分が信奉していた主義、宗教を公衆の前で罵倒するのも、自他をなみする恥知らずな行動である。人間としての慎みに欠けている。

ナベツネ氏は、今も「主筆」という肩書きを離さず、政府のイラク政策を支持し、憲法改正の旗を振り、読売新聞を政府与党の機関紙のようにしてしまっている。これは、自由民権運動の闘士だった徳富蘇峰が藩閥政府に身売りして、自分が主幹をしていた「国民新聞」を民権運動弾圧の御用新聞にしてしまったケースを連想させる。

NHK前会長の島ゲジは、会長になるや否や、従来の芸能路線・大衆路線を切り替えて社会派番組を重視する教養路線・報道路線に転換した。私などは、この路線転換の恩恵に浴した一人で、私がテレビ好きになったのも、島ゲジが会長になって路線転換をしてから以後なのだ。

 海老沢勝二氏

しかし社会派路線をとれば、どうしても政府批判の番組が増えてくる。
島ゲジが政府与党から憎まれ、偽証問題で会長職を追われると、そのあとを襲った海老沢会長は社会派路線を棄てて、再び芸能路線に戻り、歌番組などを重視するようになった。こうすれば視聴率も稼げるし、政府与党から憎まれることもなくなる。かくて彼は会長職にとどまること七年という長期政権を築くことになった。

普通の企業にヒットラー並のワンマン社長が出現しても、被害を受けるのは社員だけだが、問題が発行部数1000万部の大新聞や、視聴者一億人に達するNHKということになれば話は違ってくる。世論がねじ曲げられ、「一億総白痴化」が進行する危険性があるから、放っておく訳にはいかない。

独裁国家が世論を圧殺して突き進めば、全世界を敵にして自滅の道をたどることになる。企業や団体がワンマンの独断専行を許していると、いずれは社会全体を敵に回すことになる。ナチスドイツは崩壊したし、徳富蘇峰の「国民新聞」はつぶれてしまった。

独裁的な国家、企業、団体などが自律的な方向転換を怠っていると、より大きな外部の力によって強制的に路線変更を強いられることになるのだ。読売新聞とNHKは、ナベツネ氏、海老沢会長に対する社会の目が厳しくなったことを警鐘と受け取って、一刻も早く組織の立て直しに取り組むべきだろう。


                  二つの社説

政治問題などの要点を掴むのに便利だから、新聞の社説を努めて読むようにしている。すると、読んでいて笑い出さざるを得ないような記事にぶつかることが多い。今回も、プロ野球のストライキに関する読売新聞と朝日新聞の社説を読んでいて、思わず笑ってしまった。

読売の社説は、「ファンを裏切る”億万長者”のスト」という見出しをつけている。この題名だけを取ってみても、近来まれに見る傑作と言っていい。「億万長者」の選手を先頭に立って作ってきたのは読売巨人軍なのだ。それが、口をぬぐって高給取りの選手たちをなじるような口吻で、君たちがストライキをするのは筋違いだと訓戒をたれるのである。

読売巨人軍は、これまで札びらを切って他チーム、特にパリーグのスター選手をかき集めてきている。それがパリーグ衰退の一因になっているのに、そんなことはどこ吹く風、露骨に経営者側に立って選手会を糾弾するのだ。そして、ストをするのは「試合を楽しみにしているファンへの裏切り行為である」とか、「中立的立場にいたコミッショナーの調停案は、選手会によって踏みにじられた」とか書き立てる。

よく言うよな。コミッショナーがナベツネ氏の連れてきた飾り物で、経営者側の代弁者だと見られていることは周知の事実ではないか。

公然と経営者サイドに立って選手会を糾弾する読売社説に対して、朝日社説は選手寄りの姿勢を見せながら、露骨に経営者側を責めることを避けている。


どこに問題があるかは労使ともわかった。あとは経営側が歩み寄って、門戸解放策などを実行することだ。

これが朝日社説に見られる唯一の主張らしい主張で、あとはプロ野球の未来に対する毒にも薬にもならない夢を語ることでお茶を濁している。「どこに問題があるかは労使ともわかった」とあるけれども、その問題点なるものを社説は伏せたままにして、最後まで明らかにしないのだ。

「良識派」の看板を掛けた朝日は、社説でもどっちつかずの歯切れの悪い結論を出すことが多い。今度の労使紛争の戦犯がナベツネ氏であり、読売巨人軍であることを百も承知で、戦犯の名前を出すことを避けているから、こうした曖昧な社説になってしまう。

朝日がいかに窮したかは、社説に「夢を追っていこうよ」という歯の浮くような題を付けていることからも明らかだ。まるで読者を「いい子の皆さん」扱いにして、優しくなだめているようではないか。

              (04/9/20)

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