自分のこと

自分についてのレポートを書かせたら、ナルシシズムの権化のように思われた女子高の生徒が、反面では大変強い自己否定感情を持っていることが分かって来た。例えば、今、自分は何をすべきかというテーマで書かせると、85%の生徒が「性格の改善」を挙げるのである。

次に、性格の改善と答えた生徒を分類してみる。すると、

劣等感・絶望・自己否定に傾いている者・・・・・・・52%
自分を客観的に分析している者・・・・・・・・・・・・・37%
現在性格改善に着手している者・・・・・・・・・・・・・11%

となっている。彼女らは、ナルシシズムの傾向を持ちながら、それを裏返したような自己否定の感情も強く持っているのである。

私はつくづくちっぽけな人間だと思う。テストが近づけば一生懸命やるが、終われば何もしない。家に帰ってテレビを見て寝てしまう。なんの目的もない。こんな生活が続く。

3年たつと卒業し、又どこかで同じ生活をする。そして結婚したら、家事に追われて年をとって死ぬ。少しも充実したところがない。自分の意志で行動するというところがない。

何か目的を持って、それに向かって突き進んでいきたいと思う。だが、自分を正確に把握していないから、何を目的にしたらいいのか全然分からない。私は人生の目標を探しながら、それを得られないまま、年をとって死んでいくだろう。自分は、動物と変わらない人間だ。


今の私は夜を好む。誰とも関係しない夜を。昼間は人のことを思いやったり、いろいろなことに責任を感じたりして煩わしい。私は新しい自己を形成できず、古い自己のなかに閉じこもっている。私には弱さと寂しさがある。私の精神は、か弱く流麗なのだ。


あるとき、「Xへの手紙」というのをやった。ほとんど全部の級友が私をほめてくれたのに、私は悲しかった。私の真実の姿を知らないと思ったからだ。


夜眠りにつく前とか、授業中ぼけーとしているときとかによく考える。私が私でなく、別の私であったらなーと。それほど私はこの自分自身というものがいやでたまらないのだ。

皆と一緒にだべっている時にも、ああなんて嫌な自分だろう、こんなこと言うんじゃなかった、するんじゃなかったと思う。おかしくもないのになぜ笑ったんだろうと思ったり、関係ないときに急に笑い出したくなったり、とにかく精神的に不安定だなと感じることが多い。

だから私はモンロー主義者になりたいと思って、努力してきた。 まだまだ不完全だから、これを完全なものにしたい。


私は駄目な人間である。自分の性格のすべてを逆にしたい。心は温かく、表面は冷たい人間になりたい。


友人から冷たい人だねと言われたことがある。また、小さい頃から泣かない子だと言われてきた。悲しみに、自分の全部が支配されないからだ。思いあまって暴走することがない代わりに、物事を一気にやり遂げることが出来ない。いつも、全体ではなく部分で行動しているためだろう。


女性には、「女はそれほど深くやらなくてもいいのだ」という感じ、「職業なんて、仮のしのぎ」という感じ、「若いうち3年ほどが花なのよ」という感じ、つまり「女だから」という言葉に甘えて努力を怠っているところがあります。

勉強にしても運動にしても、女だから仕方がないという考えに安住しています。


私は人間であるが、人間の形をしただけの感情動物である。


私はちょっと人に後ろ指を指されると、すぐ砕けてしまいそうになる。


中学生の頃、友だちというのは自分の優越感を満たしてくれる手段だと思っていた。


「他人によく思われたい」という虚栄心がある。他人が「テスト、出来た?」と聞いてきて、その人が「私は出来た」というと、私は出来もしないのに「できた」とか、「簡単だった」とか、事実に反することを言ってしまう。

今度は友人が「毎日、何時間くらい勉強する?」と尋ねると、たとえ3時間位していても、「家に帰ると眠くて、勉強どころではない。マア、30分くらい」と答えてしまう。

だから、本当の自分を知っているのは自分だけで、人はデフォルメされた私しか知らないことになる。


友人にテスト勉強したかと聞かれると、してあっても「しない」と答える。そのくせ、相手に「あなたはした?」と尋ねて、「しない」と答えられると、「ほんとうにしない?」としつっこく聞いて、「あなたは、勉強しなくても出来るから、いいよね」とイヤミを言う。

家に帰り、妹が勉強しているのを見ると、「よくやるね。やっぱり、勉強家は違うわ」と皮肉を言って、相手を不愉快にさせる。

父母には、勉強が出来なくて困ると嘆いて、心配させる。母が用事を頼むときに気を遣って、勉強が忙しければいいけれどという。すると私は忙しくもないし、その用事が嫌でもないのに、「どうせ勉強しても、出来ないからいいよ」と言ってから、仕事を手伝う。


音楽会の入場券を何枚か手にした友人が、一緒に行く仲間を捜している。私も行きたい。が、「私も連れてって」とはどうしても言い出せない。だから、じっと誘ってくれるのを待っている・・・・・というようなことが度々ある。バカげた自尊心で自分を苦しめながら、どうしようもない。


私の性格は明るいのか、暗いのか、皆目分かりません。学校では友達とおしゃべりをし、大きな口を開けてゲラゲラ笑っているくせに、家に帰ると余程おかしくない限り笑わないのです。学校にいるときと、家にいるときでは、ガラリと性格が変わります。そして、一人で部屋にいると、自然に涙が出てくるのです。


自分で自分が分からなくなる。友人の多くは、「いつもニコニコ笑って、楽しい人生を送っているあなたがうらやましい」という。なぜ私は人前でニコニコしていられるのだろう。毎晩、布団のなかで泣いているのに。16歳だからだろうと、自分で思っている。


このごろの私は、両親にも分かるほど変な状態になっています。いつも自分の部屋に閉じ困っていますが、特別のことをしているわけではありません。ただ、ポカンとしているだけです。

家の人に呼ばれても、三度ばかり呼ばないと返事をしないそうです。そして、以前にあんなに好きだったテレビ番組やタレントを見る気がしません。テレビそのものも見なくなりました。夕飯の時などに、たまに眺めて笑っているだけです。

以前にあったことを思い出して、急に笑い出したり、家族に時々意味不明なことを質問するそうです。自分で考えてもいなかったことを口に出して、びっくりすることがあります。

このように何となくとぼけた私を見るに見かねて、祖母は「このごろ様子がおかしいけれど、どうかしたのかねえ」などと心配しています。

自分でも変だと思うことがあります。今まで、あんなに嫌いだった仕事を急にやり出したり、掃除・洗濯なども親に言われる前にやるようになったり、家にいても服装などに気を遣うようになりました。

私はやたらと「世の中の常」というものに関心を払うようになりました。ごく当たり前のことなのに不思議に思ったり、親類関係をくわしく調べたり、どこかに婚礼でもあるとトコトン調べてしまうのです。

たまに見るテレビに美しい人が出てくれば、(こんなひとの親の顔が見たい)(どうして世の中には、こんなに美しい人がいるのかな)と思います。人間の歴史は、アダムとイブの昔から、こんなに多くの人がよくも出てきたものだとか、あれやこれや考えているうちに、時間がどんどん過ぎてしまうのです。

早くこんなバカげた状態から抜け出して、実り多い人生を送りたいと思っています。

註:この手記にあるような「おかしな状態」は、好きな相手が出来たためかと思われる。「家にいても服装などに気を遣うようになりました」以降の文に注目。


私にとって高校一年の一年間は、まるで無意味でした。あまりにも時間が早く過ぎて、今、私の頭はカラッポです。去年一年、何も勉強しなかった私。お母さんが、あまりにも可哀想な去年一年でありました。


一日一日が無意味に過ぎて行く。このままで行ったら、どんな人間になるだろうかと、不安でたまらない。頭から怒鳴りつけてくれる人がいてくれたらと他力本願になったりする。


私は人前に出ると口が利けなくなるくせに、家に帰ると弟や母につっかって八つ当たりをする。通知票の所見欄には、先生が何時も「素直な子だ」とかなんとか書いてくれるが、それは全く違うのである。学校では不満を表に出さず、何も考えていないのに、考えているようなふりをする。そういう自分が泣きたいほど嫌だ。自分はなんてつまらない人間だろうと思わざるを得ない。


他人にくらべて、自分がとても不幸に思える。すべての点で、皆より劣っているように思う。なぜか、学校を止めれば、なにもかもうまく行くような気がして、学校を止めたいと思う。この世が終わってしまえばいいと考えたりする。テレビや雑誌で不幸な人々のことを知ると、泣きたくなる。

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