孫の絵

私には四人の孫あり、それぞれの成長を興味を持って見守っているが、その孫の一人が今度「かんてんぱぱ」社の主催する小学生絵画コンクールに入賞して賞状を見せに来た。私は去年の12月以来、体調を崩して病臥中だったから、このニュースを聞いて少し元気になった。

コンクールに入賞した孫は、私の長女が生んだ二番目の男の子で、小学校の五年生になる。

この子が生まれたときには、びっくりした。生まれた日が、私の誕生日と同じだったからだ。私も次男だし、この孫も次男坊で、私と同月同日に生まれている。そればかりではない、今度は絵の賞状を貰うという点まで似てきたのだ。私は80才になるまでに賞状なるものを貰ったことは一度しかなく、それが郡教育会の主催する美術展覧会の優秀賞だったのである。

こういう偶然が続くとすこしばかり気味が悪くなる。が、「画才」という点では、私などよりずっと才能があるようだ。私は小学生の時には、とてもこんな絵は描けなかった。

ローカル紙に載った作品と紹介記事と

──時々、私は自分が80才になっていることを思い出して、変な気分になることがある。若い頃の私は、結婚して係累を増やすことを好まず、生涯独身で過ごそうと思っていた。もし、そうしていたら、多分、私のように多病で癖の多い人間は雑書に埋もれながら60になるまでに死んでいたろうと思う。

60で死ぬべき人間が80まで生き延びたのは、思いがけず結婚する羽目になったためである。結婚生活というのは、夫婦相互の毒を消しあい、夫婦双方の生活と性格の偏りを是正する働きをそなえているのだ。

新井白石の自伝「折り焚く柴の記」には、聡明だった父親の思い出が語られている。それによると、白石の父は色々な食べ物を取ると、個々の食品の持っている毒が互いに消しあって無毒になるようだと、現代栄養学の所見と一致するようなことを言っている。このことは食べ物についてだけでなく、人間関係についても言えるのではなかろうか。

職場ではなかなか相互の毒を消しあうというわけには行かないのに、夫婦関係の中ではこれが割合にスムースに進行する。子供との関係でも、親は自己の毒を自力で解消するように求められる。

「人間、家庭を持ってしまったらおしまいだ」という若き日の感想は修正する必要があるかもしれない。生涯独身を張り通すのもいいが、縁があったら結婚して家庭を持つのも悪くない。早死にするのも結構なら、長生きするのも悪くないのである。

これまで私は妻子を養っていると思っていたけれども、気がついたら妻子や孫に支えられて生きている。人生というものは、分からないものである。

                                           (06/1/30)

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