小池百合子の「花魁道中」 TVの選挙番組を見ていたら、東京から立候補することになった小池百合子が選挙区の町内をしゃなりしゃないと歩いている場面が出てきた。彼女は背後に運動員らを従えて、演説をするわけでもなく、通行人と握手するでもなく、ただ歩いているだけだった。歩きながら、好奇の目をみはる人々に向かって片手をあげるだけなのである。
その表情は人気絶頂のアイドルが、舞台上からファンに見せる優越の微笑に似ていた。
(アイドル?)いや、ちょっと待てよ、と思った。
その政治的な経歴の点で彼女は、アイドルというより大名や豪商を客にしてきた花魁(おいらん)を思わせるのだ。小池百合子は、所属政党を転々と変えている。日本新党から新進党へ、新進党から自由党へ、自由党から保守党へ、保守党から自民党へと義経の八艘飛びのように次々に党を変え、そのたびに各党の党首から格別の寵愛を受けて来た。
彼女は、日本新党の細川首相をはじめ時の権力者から愛されてきたけれども、寵愛してくれた相手に利用価値がなくなればあっさりと手を切り、最後に小沢一郎に落ち着いたと思ったら、これも弊履のように捨て去って、小泉首相に媚びを売るようになった。その行動は、まさに吉原の花魁そのままなのだ。
その昔、花魁は世話役の男衆を引き連れて、顔見せのために盛り場を練り歩いたものだった。小池百合子の選挙運動は、この花魁の練り歩きを連想させるのである。新聞報道によれば、彼女の当選はほぼ間違いないという。江戸時代以来、東京の庶民は、厚化粧をした花魁が大好きなのである。
ライブドアの堀江貴文の立候補も目についた。
この人は、若い世代が偽善的な物言いにうんざりしていることを意識して、「金があれば、何だって出来る」というような偽悪的な発言を繰り返してきた。私も彼の露悪趣味を面白がって眺めていた一人だが、衆議院選挙に立候補して会社の株価をさらに引き上げようとするやり方を見ると、首をかしげざるを得なくなるのだ。事を起こして会社の知名度を上げ、株価を上昇させ、結果として自身の資産も増やすという趣味と実益をかねた手法を愛用するのは、彼の自由である。だが、税金によってまかなわれる国政選挙まで利用して、売名行為に走るのはいささか仁義に反している。
彼は自民党からも民主党からも立候補の誘いを受けた。
その際、彼は「強い者をより強くして行く政策が必要だ」と強調したので、民主党は手を引いたと言われる。強い者は、腕一本で遠慮会釈なく強くなって行くべきだというのが彼の持論だとしたら、國などに頼らず、まして税金などにおんぶすることなく、独力でホリエモン劇場を続演して行くべきではなかったろうか。投票日まであと一週間足らず、まだいろいろと面白い光景が見られそうである。
(05/9/5)