金持ちの本音 「金持ち喧嘩せず」という言葉があって、資産家はあまり人と争うことをしないといわれている。彼等は、経済的に余裕があるので、他人と喧嘩しなくても、ちゃんとやっていけるのである。だが、彼等が、いつも温容をもって人に接しているかと思うと間違っている。金持ちも人の子なのである。
金持ちの行動様式と、東大生のそれには似たところがあるように思う。
東大生は「秀才なんですね」と褒められると、「とんでもない」と謙遜してみせる。だが、東大生のなかには、私大の学生がいかにものを知らないか、いかに間抜けであるか、その具体例を持ち出して笑いあうものたちがいる。彼等は、身内同士で他大学に学ぶ学生を侮蔑してはばからないのだ。金持ちも同じである。すべてとはいわないけれども、かなり多くの金持ちは自分たちだけになると、リベラリストやアカをあざけり、お人好しの庶民のいじましい日常を笑いものにして、勝利者としての快感にひたっている。
先日、「朝日ニュースター」の人気番組「パックイン・ジャーナル」を見ていたら、経済同友会前副代表という肩書きを持つ人物がコメンテーターとして出席し、日銀の福井総裁を弁護する議論を展開していた。彼は福井叩きに熱中するマスコミを批判しはしたが、あからさまに国民を非難するようなことはなかった。ところが、ときおり、もらす彼の短い言葉に一般国民を蔑視する本音がちらちらあらわれるのである。それが、私には大変興味深かった。
パックイン・ジャーナルの一場面 彼は、格差論議が盛んなのは民衆のやっかみから来ているという。そして、歴代の内閣が国民を総中流にするような政策を実行してきたから、経済がおかしくなったのだと非難する。小泉内閣はそのやりかたを改め、あえて格差を拡大するような政策に切り替えた。お陰で経済は立ち直り、経営者の活力も戻ってきた──と、まあこんな趣旨のことを強調するのである。
この経済同友会前副代表は、サッチャー路線の信奉者なのである。イギリスの首相のサッチャーは、福祉政策を行って貧乏人に金をばらまいても、その金は消費面に投じられ淡雪のように消えてしまうと考えた。だが、金持ちを優遇して彼等の持ち金を増やしてやれば、その金は企業の設備投資にまわり産業は活気づく。サッチャーは、こうした観点から福祉予算をバッサリ切り捨て、税制を金持ちに有利なように改めたのだった。
全世界の金持ちが願うところは、自国でこのサッチャー路線が実行されることなのだ。経団連・経済同友会がこぞって小泉内閣を支持してきたのは、小泉内閣にサッチャー路線を実行する勇気があったからだった。しかし金持ちが小泉首相の勇気として賞賛するものは、庶民にとっては冷酷な施策ということになる。小泉首相は、冷酷な政治家なのである。
私が小泉首相に愛想を尽かしたのは、2004年にイラクで起きた日本人青年人質事件に対する彼の対応の仕方を見たからだった。武装勢力が自衛隊を撤退させなければ青年を処刑すると通告してきたのに対して、首相は即座に「撤退しない」と突っぱね、24才の青年を斬首刑にさせてしまったのだ。その半年前に、フィリピン政府は武装勢力の要求通りにフィリピン軍の引き上げを一ヶ月早め、フィリピン人の人質を釈放させるのに成功しているのである。
当時、自衛隊を撤退させることは出来なかったかも知れない。そうだったとしても、政府は「目下、検討中」とでも声明を出して時間を稼ぎ、現地の宗教指導者などの手を借りて、青年の救出に努力することが出来たはずだった。小泉首相はそうした配慮を微塵も見せず、冷酷に青年を見殺しにしてしまったのだ。
さて、前副代表の話に戻ると、彼は国民の多くが低金利に苦しんでいるとき、日銀総裁がファンドに金を預けて高額の配当を得ているのは怪しからんという世論に水をかける。そして、冷然と「預金の金利が安かったら、株式投資に切り替えればいいではないか」とコメントしていた。
これが金持ちの本音なのである。
われわれ金持ちは、余裕の金があればそれをくるくる回転させて利が利を生む算段をしているのに、知恵のない連中は預金だけに執着し、貯金しても利息がゼロに近いと文句を言う。利殖の方法はいくらでもあるのである。ところが、国民の多くは自分に知恵と才覚のないことを棚に上げて、まるで正義の使徒のように福井総裁を責め立てる。所詮、負け犬の遠吠えなのである。確かに前副代表の言うとおりなのだ。余裕金を銀行や郵便局に預けるような人間は、知恵の足りない阿呆なのである。だが、知恵の足りない阿呆は、損をしても仕方がないと冷淡に突き放してしまうのは人間としてどうだろうか。小泉首相流の冷酷な態度ということにならないだろうか。
今度の福井総裁事件で明らかになったのは、金持ちには金持ちたちの閉鎖的なサークルがあり、その中でインサイダー取引もすれば、有利な投資先を相互に紹介しあっているということだった。そういう彼等に庶民の浅知恵を嘲笑する資格があるだろうか。
アメリカでは、金持ちの不正行為に厳罰をもって臨んでいる。日本では記者会見をして謝罪すれば終わってしまうような経営者の不法行為を、アメリカ政府は容赦なくとらえて投獄している。日本の金持ちたちは、「免れて罪なし」というような顔をしないことである。
「朝日ニュースター」は、「批判しなければ権力は腐敗する」という立場から政府の失政を厳しく攻撃してきた。人気の秘密は、歯に衣着せぬ政府批判にあるのに、ときどき自民党の国会議員や、小泉大好きの女性評論家を連れてきて、政府を弁護させている。今度、経済同友会前副代表が出席したのも、そうした流れの一環としてだった。
しかし政府の立場を代弁するようなTV番組は、いたるところにあるのだから、「パックイン・ジャーナル」は権力批判に徹すべきなのだ。視聴する側も、その方が違和感なく番組を見ていられる。今や、この番組は、敵軍に包囲された千早城のように孤立している。千早城のなかに敵兵がまぎれこんでは困るではないか。
(06/6/29)