井上康生の敗因

アトランタ五輪のあとで、つくづく感じたことがある。
五輪の前に、TVも新聞も(例のごとく)金メタル候補のことをはやし立てて、日本が圧勝することは間違いないとPRしていた。だが、結果は(例のごとく)それほどのことはなかった。

五輪の後で、各国別のメダル獲得数が新聞に出ていた。
それを見たら、日本のメダル数は韓国の半分しかなかった。日本の人口は、韓国の倍以上あるから、メダル数から単純に比較すれば、オリンピックでの日本の実力・実績は、韓国の四分の一以下ということになる。

五輪に出場した日本選手の成績がふるわないのは、選手たちが国民の期待を意識しすぎて固くなってしまうからだと言われる。ところが外国の選手は自己顕示欲が強く、晴れ舞台に登場した自分を「見て、見て」とばかりに奮闘するから実力以上の力を発揮する。かくて、日本選手は、格下の外国選手にも勝てなくなるのだとも言われて来たのだ。

確かに、そういうこともあるだろう。
だが、無理して日本の弱さを弁護する必要はない。日本人は、気質や体質の点で、オリンピックでは弱いかも知れない。けれども、こうした気質や体質を持っているからこそ、日本人の平均寿命は世界一なのだ。米食中心の日本人が、肉食中心の欧米人にくらべて体力的に劣るのはやむを得ないとしても、そのマイナスを補うにたる別のプラスがあるのである。

アトランタ五輪以来、醒めた目でマスコミの五輪狂騒曲を眺めるようになったが、今回のアテネ五輪の成績はなかなかのもので、日本人の気質体質も外国並みになって来たかなと思わせた。そうしたなかで、金メタル確実と見られていた井上康生選手の敗北は意外だった。

新聞を読むと、井上選手の敗因について、斉藤監督は「調整は万全で早く試合をしたいと言っていた。ただ、試合で気持ちが乱れた」と言い、「心のコントロールができなかったのかな」と語っている。

佐藤全日本柔道理事は、「いろいろなものを手に入れ、康生は負けることが怖くなっていた」と指摘している。

私は彼の試合をTVで見ていて、気負いすぎが敗因だと思った。通路で出番を待っている井上選手の表情はいつものように落ち着いていて、気負っているように見えなかったが、いざ試合が始まってみると、彼は普段の井上康生ではなかった。

柔道で一本勝ちを取るには、一定の手順を踏まなければならない。その手順とは第一に、自分に有利な組み手になること、第二に、相手の体勢を崩すこと、第三に、技をかけるチャンスを逃がさないことだが、井上選手は最初からこの手順を無視して試合を進めた。

実況放送をしている解説者は、彼が空振りに終わる技を仕掛けるたびに、「しっかり組んでから、技をかけないとダメです」と繰り返していた。不十分な組み手のまま内股をかけるので、相手の体が真後ろに来て、彼は相手をおんぶするような格好になって自分からつぶれてしまう。

彼は仲間の選手が次々に鮮やかな一本勝ちをおさめるのを見いて、気負い立っていたのである。自分も内股で、あるいは大内刈りで素早く相手を仕留めてみせると、態勢が整わないうちに投げに行ったのだ。そこには自己の力に対する過信があった。

気持ちばかりが先に行くと、不思議なことに上体に力が集まり、下半身が軽くなる。芯を欠いたふわふわの姿勢で闘うので、その後の試合でも、彼はちょっと足を払われると簡単に崩れて四つんばいになってしまった。こんな、ぶざまな井上康生を見たのは初めてである。

手順の第一第二を踏まずに、いきなり投げに行って失敗することを重ねているうちに、彼の気持ちはうわずり、最早何をしていいか分からなくなっていることが見て取れた。彼は、ただ盲目的に動いていた。これまで、こうした大試合でピンチになったことがなかったから、気持ちを立て直す方法も分からず、闇雲に動き回るしかなくなったのである。

 敗れた井上選手

敗者復活戦に出場した井上選手は、まだ正気に戻っていなかった。
試合をどう組み立てていったらいいか、その見通しを欠いたままで、盲目的に、本能的に動いていた。前日の試合で泉選手と死闘を演じた韓国の黄選手もそうだった。彼は優勝候補の一人だったが準決勝で泉選手に負けた後は、ショックで頭が働かず、敗者復活戦では馬鹿みたいな動き方をして簡単に敗れていた。

井上選手は、今度の敗戦で、試合に臨んだらどんな時にも手順をふんで戦うこと、態勢が整わない内は勝負に出てはならないことを学んだろう。これは柔道だけに限らず、すべての勝負事の鉄則なのである。勝負事という点では、戦争も同じで、日本は手順を踏まず、態勢が整わないうちにアメリカを攻撃して敗戦の憂き目を見たのであった。

               (04/8/20)

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